42話 黄金世代の筆頭聖女の遁走
――王都から遠く離れた辺境の地。
そこは魔の森から溢れる魔獣の侵攻を食い止めている激戦地だった。
「結界が……!」
魔獣の侵入を防ぐため、結界神器により保たれていた結界が崩れた。
「なんだこの神器は! 交換したばかりだというのに!」
辺境の防衛を担当している第一騎士団の団長は、苛立たし気に叫んだ。
結界神器は、結界魔術を発動する神器だ。
それは国一番の光魔法の使い手である筆頭聖女セラフィナによる強力な結界魔術が込められた神器で、発動すれば魔獣の侵入を阻む大がかりな結界が展開される……はずだった。
しかしその結界神器は、まるで術を消耗しきった使い古しのように脆弱な結界魔術しか発動しなかった。
つい先日、王都の中央神殿から送られて来たばかりの、満杯に術が込められているはずの神器だというのに。
「神器に込められている結界魔術が弱いのでは……?!」
「弱いわけあるか。この神器に術を込めているのは筆頭聖女セラフィナ様だぞ!」
「しかし、これは……」
「この神器に結界魔術を充填したのは本当に筆頭聖女セラフィナ様なのですか?! 何かの間違いでは?!」
つい最近まで、筆頭聖女セラフィナは体調不良のため静養していて、その期間は他の聖女が仕事を代行していた。
他の聖女の仕事は、光魔法の天才と称される筆頭聖女セラフィナの圧倒的な魔術に比べれば見劣りしたが、充分に使えるものだった。
セラフィナが天才すぎるだけで、他の聖女たちは決して力が弱いわけではないのだ。
だが……。
筆頭聖女セラフィナが復帰したはずなのに、とんでもなく脆弱な魔力が込められた神器が送られて来ていた。
「これに比べたら、他の聖女のほうが良い仕事をしていた」
空を飛ぶ大型の鳥型の魔獣の群れが、結界など何もないかのように、上空を自由に飛行している。
「結界が脆弱すぎる……!」
人間の領域に、飛行型の魔獣の群れが空から侵入しようとしていた。
神器による結界魔術が役に立たない分、騎士団と魔法師団が魔獣の侵攻を食い止めなければならない。
「この強化の神器は壊れているのか?!」
騎士たちのベルトには、バックル型の神器が装着されていた。
身体能力を上げる強化魔術を発動できる神器だ。
しかし発動しても、身体能力は大して上がらなかった。
「これは本当に筆頭聖女セラフィナの術なのか?!」
それまでは、筆頭聖女セラフィナの強化魔術が込められている神器は、騎士たちの能力を大きく引き上げていた。
セラフィナの強化魔術で強化された足で地を蹴れば、城壁ほどの高さまで跳躍することすら可能で、城壁や塔の上から跳躍すれば飛行型の魔物にも剣や槍が届くほどであった。
それが今回の強化神器は、発動しても大して身体能力は上がらず、跳躍しても高さが全く足りない。
「弓だ! 弓で応戦しろ!」
飛行型の魔獣に対して、騎士団は弓矢で、魔法師団は遠距離魔法で応戦した。
聖女による補助魔法がほとんど使い物にならない状態では、それ以外に手はない。
「これなら、他の聖女のほうがマシな仕事をしていた!」
第一騎士団の団長は、脆弱すぎる魔術しか発動できない神器に怨嗟を吐いた。
「神器の仕上がりはここでは死活問題だ。この使えない神器を手がけた聖女には今すぐ辞めてもらわねばならん!」
◆
――王都、バンクス公爵邸。
筆頭聖女セラフィナは、父バンクス公爵に言った。
「お父様、あの光魔法使いは仕事が遅すぎます! 使えません!」
新しい裏方の助手を得たセラフィナは、仮病による静養を終え、神殿に復帰した。
だが新しい助手は、驚くほど使えなかった。
セラフィナはその状況を父に伝えるため、一時帰省していた。
「もっと魔力量の多い者はいないのですか?!」
「あれは我が領で最も魔力量が多い光魔法使いだ。あれ以上の光魔法使いは我が領にはおらん」
「ぜんぜん使えません!」
バンクス公爵が送り込んだセラフィナの新しい助手は、セラフィナが言うほど使えない光魔法使いではなかった。
むしろ平均より魔力量が多い優秀な者だった。
しかしセラフィナは、規格外の魔力を持つルネを使うことに慣れ切っていた。
平均より優秀という程度では、セラフィナが満足できる助手ではない。
子供のころから九年間ルネを使っていたセラフィナは、ルネがいた生活の習慣をすぐに変えることができなかった。
助手に対して、適切な仕事の日程を組むことができないセラフィナは、ルネに対してやっていたように気ままに、短期間に大量の仕事を課した。
そのため優秀な光魔法使いの力を引き出すことができなかった。
「他の聖女はきっともっと優秀な助手を使っています」
「そうなのか?!」
「今の状態では他の聖女の魔力に負けています。このままでは筆頭聖女の地位を取られてしまいます!」
「ううむ……」
セラフィナが窮地を訴えると、バンクス公爵は難しい顔をして唸った。
「筆頭聖女から、ただの聖女に格下げされることは避けねばならん……」
「ルネはまだ見つかりませんの?!」
「ああ。探させているが見つからん」
「じゃあ他の使える光魔法使いを早く探してください」
「セラフィナ、それも難しい。仮に今すぐ優秀な光魔法使いが見つかったとしても、神殿に入れるには時間がかかる」
「では私は、それまで静養します」
「静養ももう難しい。国王陛下に苦言を呈された。聖女の体調が万全でないなら、神殿を離れてゆっくり療養したらどうかと……」
「え、それは……」
国王の言葉の意味を解釈して、セラフィナは顔色を変えた。
「そうだ」
バンクス公爵は眉間に皺を寄せた顔でセラフィナに言った。
「つまり、筆頭聖女の地位を譲り渡して、ゆっくり休めということだ」
「……」
「辺境の第一騎士団と第一魔法士団からも、筆頭聖女の交代を求める要望が届いているそうだ」
「そんな! 酷いわ!」
セラフィナは感情的に声をあげたが、バンクス公爵は考えるような顔をしたままで言った。
「セラフィナ、筆頭聖女からただの聖女に格下げになるよりは、筆頭聖女のままで退陣したほうが得策だ。このあたりで見切りをつけて、大損する前に撤退したほうが良かろう」
「嫌よ!」
セラフィナは顔を歪めた。
「あの女に大きな顔をされるのは絶対に嫌!」
「は? 誰のことだ?」
「ウィルモット家のベルタよ!」
「ウィルモットか……」
ウィルモット公爵家は、スタイン公爵家とともに、国で一、二を争う権勢を誇る大貴族だ。
対してバンクス公爵家は、公爵家の中では最下位の位置づけだった。
バンクス公爵家は先祖に王族の血が入っているが、現在は特に取り柄も存在感もないため、辺境伯よりも軽んじられていた。
しかしセラフィナの存在によりバンクス公爵家の地位は向上した。
セラフィナが筆頭聖女となり、さらに王太子フィリップの婚約者となったからだ。
しかし今やその栄光が崩れようとしていた。
「セラフィナ、ウィルモットの娘など放っておけ。お前が王太子妃になれば、お前のほうがウィルモットより身分が高くなるのだ」
「でも……あの女に筆頭聖女の地位をとられるのは嫌よ!」
「筆頭聖女でなくなっても、お前が王太子の婚約者であることには変わりない。不名誉な噂が立つ前に、さっさと撤退するのだ」
「でも、ベルタがむかつくのよ!」
「冷静になりなさい。筆頭聖女は一時的な地位だ。一生続けられるものではない。だが王太子妃は一生ものの地位だ。いずれ王妃となれるのだぞ」
バンクス公爵はセラフィナを諭した。
「潮時だ。不出来な聖女という評価が下される前にさっさと撤退するのだ。未来の王太子妃の地位を大事にしろ」
「……はい……」
セラフィナはくやしそうにしながら父の意見に承諾の返事をした。
そして拳を握りしめ、わなわなと身を震わせながら呟いた。
「ルネさえいれば、こんなことには……!」
◆
――中央神殿。
「ベルタ様、筆頭聖女の地位を賜ったとのこと、お慶び申し上げます」
裏の主人である聖女ベルタに、平民巫女ジルは祝辞を述べた。
「ありがとう、ジル」
筆頭聖女セラフィナが健康上の理由で神殿を去った。
それによりセラフィナの以前に筆頭聖女だったベルタが再び筆頭聖女として返り咲いた。
筆頭聖女の地位を取り戻したベルタは清々しい笑顔を浮かべた。
「これでいつでも聖女を辞められるわ」
「おめでとうございます」
「もう少し聖女の人数が増えるまでは続けるけれどね。半年くらいかしら」
少し考えるような顔でベルタはそう言った後、ニヤリと皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「セラフィナ様の、逃げ足の早さに吃驚よ。あの性格だから、もっと筆頭聖女の地位にしがみつくと思ったのに。……親に何か言われたのかしらね。養生のために、神殿を退去なさるご決断をなさったのですって」
「良い助手が見つからなかったのですね」
「そうみたいね。中途半端な仕事をして、辺境にいる第一騎士団から非難轟々だったらしいわ。神器が使い物にならなかったせいで辺境では回復薬も底をつきそうだとか」
「中央神殿の薬草園は大凶作ですのに」
「薬草園の巫女たちが仕事をさぼっていたことは最近話題になっているわね」
聖女ベルタは面白そうに言った。
「黄金世代の巫女が堕落したという理由で、スタイン公爵の息子が巫女との婚約を破棄したらしいわ」
「スタイン公爵令息と巫女の婚約破棄は、薬草園でも話題になっていました」
二人はひとしきり世間話をした。
そして世間話が一段落したところで、聖女ベルタはジルに問い掛けた。
「ジルは、私にお祝いを言うためだけに来たわけじゃないでしょう。何か話があるのではなくて?」
「ご明察の通りでございます」
「遠慮なく言ってちょうだい」
「実は……」
ジルは声を顰めて、ベルタに用件を告げた。
「ふうん。なるほどね。いいわよ?」
ジルの要望に、ベルタは了承の返事をした。
「お手数おかけすることになり申し訳ございません」
「気にしないで。むしろこちらは貴女のおかげで、今まで助手の人数を削減できていたんですもの。貴女は有能だから一人で回してしまったけれど。平凡な光魔法使いなら二人くらい雇わなきゃいけない仕事よ」




