24話 天才薬師
――翌日。
私は宿屋を引き払いました。
「お世話になりました」
「こちらこそ冒険者様にはお世話になりました」
私は宿屋の一階のカウンターにいる女将さんに、部屋の鍵を返しました。
そして私が立ち去ろうとすると……。
「あの、冒険者様!」
女将さんが私を呼び止めました。
「よろしければ、ぜひ、お名前を……」
「……」
(……偽名は変えるってローナさんと約束したけれど。この宿屋はもう引き払うんだから、最後にもう一度名乗るくらいは良いよね?)
薬屋で雇ってもらう条件で、私は偽名を変更することになっていましたが。
宝石とお姫様を合体させた素敵な名前に少し未練がありました。
なので、最後に、もう一度だけ使うことにしました。
「アレキサンドライト・カルメンシータです」
私が颯爽と名乗ると。
「アレキサンドライト・カルメンシータ様……」
女将さんは私の名を噛みしめるように復唱して、祈りの言葉で私を送り出してくれました。
「ご武運をお祈りしております」
「ありがとうございます」
私は外套のフードを目深にかぶり、唯一の荷物である手持ちの鞄を持って宿屋を後にしました。
◆
「お待ちしておりました!」
何度か迷いながらも、私は昨日訪ねたローナさんの薬屋に到着しました。
店のドアを開けるとニーナがすぐに出て来て、私を迎えてくれました。
「アレキサンドライト様! どうぞ中へ!」
「その名前はもう捨てましたので……。アリーと呼んでください」
ニーナが私を、元の偽名で呼んだので、私は新しい偽名を知らせました。
私の言葉に、ニーナは一瞬はっとした顔をして、そして神妙に頷きました。
「そうでした。世を忍ぶ仮のお名前ですね。すべて承知しております」
ニーナは私を店に招き入れると、カウンターの奥にある扉を開けて、開けた扉の奥に向かって叫びました。
「お婆ちゃん! アリー様のご到着だよ!」
◆
「この部屋を使いな」
ニーナの祖母である老婆、薬屋の女店主ローナさんが、私を部屋に案内してくれました。
私はこの『ローナの薬屋』で、今日から住み込みで働くのです。
(今日からここが私の部屋!)
綺麗に掃除がされている清潔な部屋です。
ベッドや小卓や整理棚などの家具が揃っていて、物書き机もあります。
(物書き机だわ!)
神殿の寮の部屋には物書き机はなかったので、使ったことのない家具に私の心は浮き立ちました。
「荷物の整理をしたら、下の店においで」
「整理するほどの荷物は、特にないので……」
私が手持ち鞄を置いてそう言うと、ローナさんは「そうかい」と素っ気なく言いました。
「じゃあ下においで。仕事の説明をするよ」
◆
「薬棚の整理と店の掃除が、お前さんの、アリーの仕事だよ」
薬屋の奥にある工房で、私は老店主ローナさんと向き合って座り、仕事の説明を受けました。
「アリーには、ニーナが仕事を教える」
「あの……製薬は?」
製薬ができる薬師として雇われた私は、仕事内容に疑問を感じて質問しました。
ローナさんは淡々と答えました。
「最初の一か月は製薬はしなくて良い。下働きだ。それに製薬なら、昨日やってもらった」
ローナさんはそう言い、工房の棚に並んでいる硝子瓶を指しました。
硝子瓶たちの中には、緑色の回復薬が入っています。
「お前さんが昨日精製した最上級のツベルギア・ポーションだ。鍋一杯分で金貨三枚は下らない。今年は薬草が不作だから、もしかしたら金貨五、六枚にはなるかもしれん」
「鍋一杯で……金貨五、六枚……!」
私は初めて、自分が作っていた回復薬の値段を知りました。
七歳の頃から神殿で奉仕していた私は、今までに一体どれだけの回復薬を作っていたことか。
それを金貨にしたら、何枚になるのか。
(金貨百枚どころじゃないわ……。金貨の山ができるわ……)
私に金貨十枚を貸してくれたジルさんは、私が成功したら、掛け金を金貨百枚にして返すようにと言っていました。
そのとき私は、例え成功したとしても、金貨百枚を得るのは遠い未来のように思っていました。
ですが、鍋一杯の回復薬が金貨五、六枚になるなら、金貨百枚はかなり現実的な数字です。
一回の製薬で金貨五枚になるなら、二十回やればもう金貨百枚ですから。
「アリーはしばらくは養生と勉強に専念するんだ。どうせ薬の種類も値段も知らないんだろう?」
「はい……」
「魔力を使わずに養生すれば、目の下のクマも消えるかもしれんよ」
「……!」
目の下のクマは、消えて欲しいです!
◆
「アリー様、僭越ながら私めがお掃除のやり方をお教えします」
ニーナが私に仕事を教えてくれることになりました。
「ニーナさん、敬称はやめていただけませんか。呼び捨てにしてください」
私はニーナにお願いしました。
「私は下働きなので、ニーナさんが私に敬語を使うのもおかしいです」
神殿では上下関係がはっきりしていました。
ニーナに敬語を使われると、上下関係がおかしい気がしてモゾモゾしました。
「たしかに、そうですね……。アリー様は世を忍ぶ仮のお姿。会話も仮のお姿に合わせるべきですね。かしこまりました」
ニーナがぎくしゃくしながら言いました。
「じゃあ、アリー、も、私のことニーナって呼び捨てにして?」
「はい……ニーナ……」
「アリー、その調子よ」
「ニーナ、ありがとう」
私たちはお互いにぎくしゃくしながら会話をしました。
「これがツベルギア・ポーションの通常品。これが中級、これが上級だよ」
掃除を一通り終えると、まずは回復薬についてニーナが解説してくれました。
「随分と色が薄いんですね」
通常品のツベルギア・ポーションだというそれは、緑色に色づいた液体ではありますが、色は微かで、向こう側が透けて見えるほど透明度があります。
「これが普通だよ。ポーションって言えばこれのこと。傷薬。畑の肥料にも使われてる」
「畑の肥料に?!」
「今年は猛暑で植物が弱ってるからポーションがよく売れてるよ。アリーが作ったこれは……」
そう言いニーナは、私が作ったポーションを指して言いました。
「超高級品だよ。こんな濃いの初めて見たわ。神殿にはこういうのあるらしいけど。この辺りの薬屋はこんなの置いてないよ」
しかつめらしい顔でそう解説をすると、ニーナは言いました。
「こんなの作っちゃうアリーは、超がつく天才だよ」
「そんな、大げさな……」
「大げさじゃないよ。あのときの魔法も凄かったわ。いきなり現れて、一瞬で二人の男を倒しちゃうんだもん。まるで神技だった!」
「大げさです」
「大げさじゃないよぉ!」
ニーナに褒められて、私はすっかり良い気分になりました。
(もしかして、私って本当に……天才?)
製薬を褒められて、魔力を褒められて、私はだんだんその気になって来ていました。
もしかしたら自分は天才ではないかと。
(ジルさんも私のこと天才って言ってくれたわ。もしかしたら、もしかしちゃうかも?!)
ですがそのときの私は、完全に増長していたと言わざるを得ません。
真の才能というものを目の当たりにしたとき。
私は自分の小ささを、衝撃とともに思い知ることとなりました。
真の天才は、ニーナでした。
◆
「美味しい! すごい美味しい! 何これ美味しい!」
昼食はニーナの手料理でした。
それは温め直したミルク・シチューでしたが。
とんでもなく美味しいシチューでした。
私が今までに食べたどんな料理よりも美味しいシチューでした。
「製薬するときみたいに魔力を注いで作ってるんだよ」
「魔力でこんなに美味しくなるの?!」
私はニーナの魔力の使い方に、大きな衝撃を受けました。
雷に撃たれたような衝撃でした。
「まだ研究中だけどね。美味しくなってるでしょ?」
「美味しいよ! すごい美味しいよ! どうしてそんなこと思いついたの?! すごいよ!」
お料理に魔力を使うなんて、お料理すらできない私が逆立ちしたって思いつかないことです。
私は魔術を習っていましたが。
魔力をどう使えばお料理が美味しくなるのか、さっぱり解りませんでした。
「製薬とか調薬とかしててさぁ、思ったんだよね。どうせなら美味しい薬が作れないかなって」
「ニーナは調薬もできるの?!」
「薬屋の娘だからね。小さいころからお婆ちゃんに色々と教わってるから」
「すごい! ニーナすごい! 天才だよ!」
私は目の前の巨大な才能に瞠目して、ただ感嘆を叫ぶことしかできませんでした。
感激していて、賛美の言葉しか出て来ませんでした。
「やっぱり私ってば、料理の天才かな?」
ニーナの問いかけに、私は大きな確信を持って答えました。
「天才だよ!」
やがてカフェハウスを一緒に切り盛りすることになるニーナの才能を、私が初めて知った日でした。




