13話 カフェと金貨と自分の道
「ルネ、ちょっと話をしましょう。おいで」
私はジルさんの個室に招かれました。
平民の巫女たち一人一人が与えられている小さな部屋です。
部屋の作りは私が与えられている個室と同じでした。
部屋の中には、ベッド、小さなテーブルと椅子、そして整理戸棚と物入箱。
(泥水?)
テーブルの上には透明な硝子製の水瓶が置かれていて、泥水のような茶色い水が入っていました。
ピッチャーの底には泥のようなものが沈んでいます。
「そこに座って」
ジルさんは私に椅子をすすめると、戸棚からコップを二つ取り出し、ピッチャーの中の泥水のようなものを注ぎました。
(飲むの……?!)
「あの、私、浄化の魔術が使えます」
私が泥水の浄化を申し出ると、ジルさんは半目になりました。
「これは泥水じゃないわ」
「違うんですか?」
「カフェ水よ」
「カフェ?」
「カフェの実を水出ししたの」
「泥みたいなのが入っていますが……」
ピッチャーの底に沈んでいる泥のようなものについて私が言うと、ジルさんは淡々と説明をしました。
「泥じゃない。カフェの実を砕いた粉よ。……まあ飲んでごらんなさいな。苦いけど、私はこれ好きよ」
私は泥水のようなものが入ったコップを、おそるおそる口元に近付けました。
何か香ばしいような匂いがします。
「……」
泥水にしか見えないカフェ水なるものをジルさんは平然と飲みました。
ジルさんが飲んでいるので、少なくとも飲めないものではなさそうです。
私も少し口をつけてみました。
「苦い……」
「苦いけど、目が覚めて頭がすっきりするのよ」
私がカフェに口をつけているのを、ジルさんは少し面白そうに眺めると言いました。
「聖女セラフィナ様は、ルネがお金を持っていないことを知っているんでしょう?」
「はい。多分」
「ルネが消えたことに気付いたら、真っ先に救貧院を探すと思うわ」
救貧院は、神殿が貧しい人たちのために作った施設で、最低限の寝床と食事を提供しています。
私も救貧院へ行けば、寝床と食事にありつけると思っていたのですが。
たしかに、お金を持っていない私を探そうとするなら、最初に救貧院を探すでしょう。
「……そうですね……」
「神殿に戻りたくないならちゃんと宿を探しなさい。安すぎる宿は女の子が一人で泊まるには危ないところもあるから、ケチらないでそれなりの宿に泊りなさい」
「でも、私はお金を持っていないので……」
「貸してあげる」
「え?!」
ジルさんは席を立ちました。
そして部屋の隅に置かれている物入箱を開けて、小箱を取り出しました。
両手に乗るくらいの大きさで、金属で縁が補強されてれている頑丈そうな木製の箱で、鍵付きの蓋があるものです。
ジルさんは小箱をテーブルの上に置いて、再び席につきました。
そして今まで服の下に隠していたネックレスの紐を襟元からひっぱり出しました。
ネックレスには鍵がぶら下がっていました。
ジルさんはひっぱり出した鍵で、小箱の蓋を開けました。
「金貨?!」
小箱の中には金貨がざらざら入っていました。
「お金を持っていたんですか?!」
私が驚きの声をあげると、ジルさんはさらりと言いました。
「私は給金を貰って巫女をやっているの」
「え?!」
神殿の薬草園の巫女は、給金など貰っていません。
無償奉仕です。
巫女だけではなく、聖女も神官たちも神殿から給金など貰っていません。
「どういうことですか?!」
「私は表向きはこの薬草園の巫女だけど、聖女ベルタ様のお手伝いとしてウィルモット公爵家に雇われているのよ」
聖女ベルタ様は、中央神殿にいる聖女の一人で、ウィルモット公爵家のご令嬢です。
セラフィナ様が筆頭聖女となる以前にはベルタ様が筆頭聖女で、王太子妃の最有力候補と言われていたそうです。
「聖女ベルタ様の裏方として働いて、私はウィルモット公爵家から毎月金貨十枚の給金を貰っているというわけ」
「毎月……金貨十枚?!」
ジルさんが聖女ベルタ様のお手伝いをしていたことに私は驚きました。
それ以上に、金貨を貰って働いていたことに驚きました。
「ここでは当たり前のことよ。貴族巫女の手伝いをしている巫女見習いたちだって、みんな貴族巫女の実家に雇われていて給金を貰っているのよ」
「……」
「だから、巫女見習いから巫女に昇格する人はいないの」
ジルさんの言うとおり、私がこの中央神殿に来てからの三年間で、巫女見習いから巫女に昇格した人はいませんでした。
「ルネは稼ぎたくてあちこち手伝っているんだと思っていた。タダ働きだって聞いたときは驚いたわ」
「……」
「世間知らずの孤児を騙しているのは見ていて気分が悪いもの。ルネが出て行くなら応援するわ」
ジルさんはそう言い、金貨が詰まっている小箱から金貨を十枚取り出しました。
そしてその金貨を、私の前に積み上げました。
「金貨十枚、ルネに貸すよ」
「……!」
神殿を出て行く私には、お金は必要です。
お金を貸してもらえることは、とてもありがたいことです。
「ジルさん……良いんですか……?」
「勘違いしないでよね」
ジルさんはニヤリと不敵に笑いました。
「賭けしただけで、あげたわけじゃないんだから」
「は、はい! 必ずお返しします!」
「倍率は十倍よ」
「……え……?」
倍率が十倍って……、利息が十倍ということでしょうか。
金貨十枚を、百枚にして返すってこと?
親切なのか、悪徳なのか、良く分からなくなって私は戸惑いました。
ジルさんは更に言いました。
「私はルネが成功するほうに金貨十枚を賭けるの。だからルネが大儲けしたら、この金貨を百枚にして私に返してちょうだい。大儲けできなかったら返さなくて良いわ。博打ですったものと諦めるから。でも負ける気はないのよね」
「え……と……?」
私が大儲けできなかったら返さなくて良いって、それは無期限で金貨十枚を貸していただけるということでしょうか?
やはりジルさんは親切?
「ただの賭け事よ。人生にはこのくらいの楽しみが必要なのよ」
「……ありがとうございます……?」
ジルさんが言っていることがよく解らなかったのですが。
私に金貨十枚を貸してくださるようなので、やはり親切にしてくださっているのですよね。
「ルネが成功して、私が賭けた金貨十枚を、百枚に増やして持って来てくれる日を楽しみに待っているわ」
「が、頑張ります……!」
「あのね、ルネ、私は適当に励ましているわけじゃないからね。私はこの賭けに勝つつもりよ。勝率はかなり高いと思っている。だって……」
ジルさんは私を正面から見据えて言いました。
「ルネは多分、天才だから」
私が天才?
「ルネは正当な報酬が貰えれば、金貨百枚なんて余裕で稼げると思うわ。私だって毎月金貨十枚稼げるんだもの。ルネならもっと行ける」
「私が……そんなに稼げるでしょうか……」
「光魔法使いしかいない薬草園で子供のころから働いていたなら、解らないかもしれないけれど。世間では光魔法使いはとても珍しいの。貴重な才能なのよ」
「……」
ジルさんの金貨の話で、光魔法がお金になることは何となく解りました。
でも私は世間を知らないので、光魔法が貴重だと言われても実感が湧きませんでした。
「今まで自分がどれだけ仕事をしてたか思い出してみたら良いわ。筆頭聖女セラフィナ様の裏方の仕事をしていたのはルネでしょう」
「はい、そうです……」
「聖女のお手伝いは最低でも一か月で金貨十枚の仕事よ。その他に薬草園でも貴族巫女たちを手伝っていたでしょう」
「はい……」
「巫女見習いの一か月の給金の相場は、金貨三、四枚くらい。ルネは巫女見習いたちの十人分以上は働いていた。毎月金貨三十枚か四十枚くらいにはなる仕事よ。ルネはそれを今まで全部タダでやっていたの」
「……」
――あなたがやっていることは、盗みに来た泥棒に優しくして、泥棒にホイホイお金を差し出しているようなものよ。
かつてジルさんに言われたことの意味が、今、正確に解った気がしました。
「ルネは、お人好しな性分につけこまれてコロッと騙されたりしなければ、がっつり稼げるわ」
「が、頑張ります……!」
私がそう言うと、ジルさんは楽しそうに微笑みました。
「私もこの賭けに勝ちたいから、勝率をあげさせてもらうわ」
そしてジルさんは、平民の知恵を私に授けてくれました。
◆
「これ、苦いけど、ちょっとクセになりますね」
私はジルさんに色々なことを教えてもらいながら、三杯目のカフェ水を飲んでいました。
「でしょう?」
ジルさんは得意気に微笑みました。
「なんだか調子が良くなってきた気がします」
「カフェの実を食べたヤギが踊り出したっていうくらいだからね」
「え?!」
「飲み過ぎは禁物よ。それでやめておきなさいね」
◆
「良い? まずは宿探しだからね」
「はい!」
「人を見たら泥棒と思いなさいね」
「はい!」
私はジルさんに入れ知恵をしてもらいました。
王都育ちのジルさんは、簡単な王都の地図も書いてくれました。
ジルさんは神殿の門まで出て来て、これから神殿を出て行く私を見送ってくれました。
「じゃあね、ルネ、せいぜい気を付けて」
「ジルさん、色々とありがとうございました」
私がお礼を言うと、ジルさんはニヤリと口の端で笑いました。
「金貨百枚を楽しみにしてる」
「頑張ります!」
私はジルさんに別れの挨拶をすると、神殿の門から外へ出ました。
夏の日差しが輝く中、神殿の前の大通りには大勢の人が歩いていました。
(泥棒の群れだわ)
泥棒が群れをなす世間の荒波に、私は飛び込みました。
(さようなら、セラフィナ様……)
私は誰の命令でもない、自分で決めた自分の道を歩き始めました。




