そんな絶望
「君の絶望は美しくない」
そいつは私にそういった。
「絶望とは、抱いた希望が折れて絶えた時、高みより落ちてもうそこには戻れないと気付いた時に生じるものだ」
大仰な身振り手振りを交えて語るそいつ。
別に聞いちゃいないのに、一体何が言いたいのか。
「絶えた希望が大きければ大きい程、落ちた高みが高ければ高い程、絶望は大きく美しい」
実に気持ち悪い……。
「翻って君はどうだ。ただ単に歩き続けて、歩き続けて、疲れて膝を折っただけだ。そこに何の傷が生じるのだろう? それはただの無、虚無ではないのか?」
自分の変態性を見せ付けてまで、したい事は私の否定か。
私のこれが絶望であれ、虚無であれ、そいつには関係ないというのに。
悍ましいそいつの趣味に合致しなかった事は、寧ろ幸いなのかもしれない。
いや、幸いだって?
まさか、そんな事があろう筈もない。
私は私の抱えるこれを、最悪だと思ってる。
ただ、世間が見る目はそうなんだろう。
大きな希望を抱いた人が折れたなら、高みにある人が落ちたなら、その痛みはわかり易く、共感できるし、嘲笑う事もできる。
静かに膝を折った人の事なんて、誰も興味は示さず、見向きはしないのだ。
でも理解はされなくて結構だ。
高い空を仰ぎ見て、その重さに潰されながら歩く苦しみを知らぬなら、どうして重さに耐えかねて膝を折る痛みが、高みより落ちる痛みより軽いと判断できるのか。
もちろん、高みより落ちた事のない私には、そちらの痛みは想像するしかできないから、結局判断はつかないのだけれども。
空を飛ぶ鳥の苦労も、地を這う虫の苦労も、人にはわからない。
しかし鳥が地に落ちた時だけは、わかり易い痛みに人は憐れむ。
私もそうした人である。
言葉を返さぬ私に溜息を吐き、悪趣味なそいつは去っていく。
けれどもそいつの足取りも、ひどく重たげなものだった。
私はその背を見詰めながら、一つ溜息を吐く。
さっきのそいつと同じような溜息を。
何故だか不思議と、あと少しだけ休んだら、あんな風に無様な足取りで、もう一度、幾らかは歩けそうな気がした。
ひどく億劫ではあるけれども。
今年も冬が来ましたね
人と話すのって結構大事だと思います




