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匠と誠二の、始まりの物語③


『どこまで走れるか、わかんないよ。匠』



そういう弱音を聞ける、そんな位置に俺はいたはずだった。



『俺、凄いって皆が言ってくれるけど。俺だって不安だし、怖いし、逃げたい時だってある。だからこれから先もこうやって走っていけるのかとか……も、わかんない』



少なくとも俺は、藤澤誠二の親友、だったはずだった。



『たくみー……俺ってちゃんと一人で頑張れてんのかなぁ……』



こいつ、天才だって言われてるけどやっぱり中身は俺と変わらないんだ。……そう思った。

いつもいつも元気一杯で走り回ってるような印象が強すぎて、俺はきっとこいつのこういう普通のところ、みてやれてなかったんだ。


そう、思った。



結局それは、俺の思い込みでしかすぎなかったけれど。




      **********




部活が終わった後、すぐに日誌をつけるのは、キャプテンが――渋沢先輩がそうするのを間近で見ていたからだ。



「お疲れ様でしたー。お先に失礼します」

「お疲れ様」




最後の部員である一年生が部室を後にすれば、学校一大所帯といわれるサッカー部の部室はひどく静まりかえる。

立ち並ぶロッカーや今使っている机や椅子はあまりいい物とはいえないが、しかし奥にはシャワー室まで常備されていて、それだけ学校側の期待というものがどれほどなのか意識せずともわかるものだ。


だからただの部日誌とはいえ、手を抜くことは許されない。

事細かな分類項目に分けられたそれは、莫大な予算獲得のためにも生徒会などで公表されるものであるからだ。


『忘れないうちにつけておけば、少しはこの山のような項目も埋められるかと思ってな。まあ時間はかかるが……寮の門限などは融通してもらえるから、何か戸惑うようなものがあっても 大丈夫だから』とは渋沢先輩の弁。

見習おうと意識した覚えはないが、なるほどと納得した覚えならある。


だからこうして日誌をつけるのはいつものことで、それは皆が知っていることで。


でも。



「…………」



いつもならスラスラ埋められるはずのそれは、いつまで経っても真っ白だった。

シャーペンは手に持っている。でも動かないのだ。


――帰りたくなくて。


そんな原因など、考えるまでもなくたった一つだった。



「――葛西。いるか?」

「……間下?」



後ろめたさが手伝って、とっさに日誌を閉じる。

それと同時にドアが開いた。



「やっぱりここか」

「ここって……いつものことだろ。それよりどうした?何か忘れ物?」

「――だったら声は掛けずに開けると思うが」



間下はドアを閉めると、ちょうど反対側の椅子に腰掛けた。



「日誌はつけ終わったのか?」

「あ……うん」



なんで嘘をついたのかはわからない。

でも少し――多分俺がほんの少し間下を苦手としているせいかもしれなかった。

別に渋沢先輩みたいに爬虫類大好きな間下が苦手だからとか、そういった理由じゃないけれど。



「それで?俺を探してたのは何か用?」

「いや――俺が用があるというわけじゃない」



珍しく間下が言葉を切った。



「間下?」

「――正確に言えば他のサッカー部員……まあ大体が三年だが、そいつらに押し付けられたというのが正しい」



それはかなり珍しい。

最上級生になった今でも、間下はどこか他の皆からは敬遠されるようなところがあるからだ。

それはその特殊なペットだとかそういうものだけではなく、なんとなくそういう雰囲気があるからでもある。


その間下に皆が声を掛け、あまつさえ頼みごと――?



「間下、それってな……」

「藤澤と何があった」



あまりにストレートすぎる質問に、一瞬何もかもが止まる。

しかし同時にそれが隠せもしない答えだった。



「……皆が言うにはここのところ、お前らがおかしい、何かあったのか、喧嘩でもしたんじゃないか、だそうだ。だからそれとなく聞いてこいと言われた。聞いてどうするとも思うが、さすがに――渋沢先輩や三上先輩にも言われたらな」

「――先輩たちが?」

「『個人的なことだろうし、お前たちのことだからよほどのことなんだろうとは思うが』だそうだ。二軍や三軍のやつらから耳に入ったのかもしれないし――どちらにしろ様子がおかしいことはここ二週間ほど誰でも身に染みてわかっている。サッカー部以外のやつはどうか知らんが」



めんどくさいと顔に書きながら、それでも気遣う様子が間下から伺える。

その事実にそんなに自分は動揺していたのかと他人事のように思った。

高等部にいる彼らにまで心配されてしまうほどに。


――ずっと緊張していたことも。

こうして言及されることも嫌だと思うのに、確かにそれが怖いと思っていたはずなのに、どうして実際はこんなに落ち着いてしまえるのだろう。



「――そんなにおかしかったかな。別になにかあったってわけじゃないんだけど」



ほら。

こんな風になんでもないことのように答えられる。



「喧嘩なんてしてないし、別に何もない。……ああ、そっか。もしかしたら俺があんまり構わないようにしてるからじゃない?前みたいにさ、世話焼いたりとか。だからギクシャクしてるように見えるのかもしれないよ」

「――藤澤がイタリアに行くから自立を促しているって?」

「そう、それ。だって一人でやってかなきゃいけないでしょ。だったら少しずつ慣らしていかないとね。甘やかしていた自覚は俺にだってあるんだよ」



そう。

実際には何もない。

喧嘩もしていない。


一人でただ馬鹿みたいに拘っているだけで、だからってこんな風にまわりから心配されるほどアホなことをした覚えもない。


藤澤の態度は変わらない。俺も、変えていない。

だから何もないのだ。


しかし間下はじっと何かを待つように葛西を見つめる。

――この目も苦手だ。


人は思い込んでしまえばそれを真実だと思えるという。だから言い聞かせるのだ。何もないと。

それは確かに事実で、だから余計にその事実に頷けない自分の我侭な部分をわざわざ他人に見せびらかせる趣味はない。


頷ける理由のはずだ。実際自分はずっと藤澤の面倒を見てきた。

母親か?と周りからからかわれるくらい。


だからこれはおかしな理由じゃないし、納得できるはず。



「……お前がそういうならそうなんだろうな。きっと」



けれど間下の言葉はとても納得したような返事ではなかった。



「個人的事情に他人が口を挟んでもいいとは思わないし、だったら俺は今の言葉を他のやつらに伝えたほうがいいんだろうな」

「……どういう意味だよ、間下」

「別に意味などない。ただそれなら――藤澤が今まで以上にずっとお前を見ているのはなんでだろうと思っただけだ。それからお前が――」

「俺が何だって?」



これ以上聞きたくもなかった。



「藤澤が何?ずっと見ている?そんなの気のせいだ。俺たちは何もないし、変わってもいない。俺は何も変わっちゃいない」



声を荒げたわけでもない。手をあげたわけでもない。

けれど間下はしばらく黙り込み、やがて何でもないと小さく呟いた。



「間下」



立ち上がり、出て行こうとしていく間下がわからない。

しかし言え、と目で促しても間下はため息を一つついただけだった。



「――なんで藤澤を藤澤と呼ぶ?藤澤もだ。なんでいまさら葛西なんだ?自立を促す?そんなものに呼び方までかえる必要があるのか?一軍も二軍も三軍も――とにかく全員がそう思ってる。雰囲気まで変わって、呼び方まで変わって、それで何も変わっていない?……よく考えろ。――キャプテン」



ドアを閉める音がひどく大きく耳に響いた。

間下は――何を言ったのだろう。何といったのだろう。


頭は理解しているはずなのに、どこかがわからないと叫ぶのを葛西は黙って押さえ込んだ。


みんなが気がついている。皆がそれをおかしいと思っている。

――馬鹿馬鹿しかった。そんなのとっくに自分だって思ってる。

気づいてる。おかしい、変だと思っている。


――でも藤澤は違うのだ。

藤澤にとってそれはおかしなことではないのだ。



『葛西』



そう笑いながら自分を呼べるくらい、それは普通のこと。

柄にもなくうろたえた自分がおかしいほど藤澤は藤澤だった。



「――俺にどうしろっていうんだよ」



全部の答えを握っているのは――藤澤。

彼、ただ一人。



「聞けるわけないだろっ……」



堪えきれずに机に叩きつけた右手がひどく痛んだ。


どの面を下げて訳を聞けって?

何で急に呼び方を変えたかって、それなのになんでいつもとお前かわんないんだって、俺に聞けって?

いつもと同じように笑っているあいつに、そんな女々しいことをしろって?


イタリア行きだってそうだ。何の相談も報告もなかった。

皆と同じように噂で聞いて、そうして確かめたらあっさり頷かれた。それから葛西と呼ばれるようになった。


――もうこれだけで理由なんてわかったようなもんだ。


わざわざ間下が『キャプテン』と呼んだ理由はわかる。

早く問題を解決して、サッカー部の皆を落ち着かせろ。そういうことだ。

当たり前だった。自分はこのサッカー部のキャプテンで、藤澤はもうすぐいなくなるとはいえかなりの影響力を持つエースストライカー。



でも。

――でも。


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