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匠と誠二の、始まりの物語。

その時その時だけがいつだって正しいわけじゃないけれど、でもやっぱり生きてるんだからそれを第一優先事項に格上げしてたって、それはそれで正しいんじゃないかな。

まあ大きな顔してこれがあっていますなんて言えないとしても、少なくともそれが間違っているとは言い切れない、くらいのことは言えるような気がする。


たとえばそれがどんな非現実的な話であったとしても、常識とか当たり前とかそういったものはすべてこの現実の中で養われてきたものなんだから、それを突然変えろといわれても難しい。


つまり他人に理解なんかできなくたって、これが真実自分のよくわかっている、知っているそういうものなんだから、それについて文句を言われても完全に理解できない。


そう、葛西匠は理解している。

……わかっている。


そして彼の場合はもっと明らかで。

わかりやすい。


だって彼は――藤澤誠二は天才とか、そういう名前でくくられる人種の一人だからだ。


例えば何気なくできること――どうやっても入らないと誰もが思った瞬間に、どういうわけかボールに足が届いてゴールができるとか。

例えばどんなに頑張ったって競り負ける体格の相手でも、バランスが崩れた状態で最善の場所にワンステップでボールを動かせるとか。


いっそ見ていて気持ちがいいほど、それはありえないはずのことで。

だけどその才能を妬まれたって、彼にはそれが実のところなんなのかわかっていない。

だってそれは彼にとって当たり前で、いまさら口をぽかんとあけてすごいといわれるようなことではないのだ。


だからなのかは知らないけど。


彼は、彼のひく他人に対するライン――例えばわからないことを問い返すみたいな、基本的なラインがどこにあるのかさっぱり見えてこない。

他人に対してまるで期待などしていない――最初から諦めているんじゃないかと思うくらいに。


だからこんな風に注目を浴びても、上級生から睨まれても。

周りから賛辞の視線をどれだけ浴びようと、彼は変わらない。

わかっているようなわかっていないような顔して、「葛西、部活いこーぜ!」と声をかけてくるのだ。


全国区で注目を浴びようが、ユースの日本代表に選ばれようが、それから一ヵ月後にはイタリアにサッカー留学することが決まっていようが、そんなものなんでもない顔をしていつもどおり過ごせるのだ。




そう、わかっている。

わかっているんだ。

ちゃんと理解してる。


でも。



「葛西?」



ざわめきが収まろうはずもない放課後の喧騒の中で、そんな風に首を傾げて。

こんな胸中のドロドロさなんて全く知らない顔で、藤澤は笑う。



「どうした?なんか、あった?」

「――何でもない」



ほら。

俺の声が少しこわばってたって、それに気づいていたって、それを追求するなといわんばかりにいつもどおり鞄を手に取れば、彼はそれ以上何も言わない。



「今日さ、水上先輩が用事あるからちょっとこっちにも顔出してくれってさっき高等部に行ってきたんだけど、まーたアホって言われて追い返されたんだぜー。しかも蹴っ飛ばしてさっさと部活行けーって。ちょっとくらい構ってくれたっていいのにさー」

「……水上先輩だって忙しいんだから、そういう無理を言うほうが悪いだろ。高等部の練習、ただでさえきついのにあの人、他にも色々雑用押し付けられてるんだから」

「だってー」

「だってじゃないだろ。もうすぐ夏の大会に向けた選手編成、発表されるし。そういう時にお前の顔見たら、水上先輩じゃなくたって蹴りたくなる」



長い廊下の、ひとつの窓からフェンスの向こうに見える高等部校舎。

六月の梅雨が明けたばかりのせいか、いつもよりまぶしい青空をできるだけ見るようにして、ため息をつく。


そう。たとえば水上先輩。

いつもどおりの日常をいつもどおりに過ごすことがどれだけ大変か、身をもって知っている人。


彼はきっと何かあった時はいつもどおりに過ごそうと努力しているに違いない。

何も心配なんかしていない。こんなのいつものことで、普通のこと。

そんな顔して発表のときまで一人黙ってその時を待っている。


……俺も同じ。


わからないだろ、お前。

そういう普通って何なのか。

そういう普通を、いつもどおり演じられているのか不安に思っているなんて、お前、考えたこともないんだろ。



「でもさ、俺だってちょっとくらい水上先輩とか渋沢先輩とサッカーやりたい」

「……チームメイトや後輩がいるだろ。鍛えてやればいいじゃんか」

「だってそんなの待ってらんないし。楽しいことは楽しくやったほうが絶対いいと思うんだよなあ」

「……」



他の人の前でそんなこといったら、袋叩きにされたって文句は言えない。

レベルが低いから物足りないんだって高らかに宣言して回ってるのと同じことだ。

でもそれを考えていても、あるいは考えていなくても、これが藤澤誠二という男の意見だというだけで、それは撤回される意味を失うのだ。


でもさ。

でも。



「――俺、ちょっと職員室寄ってくから。先行ってて」

「わかったー。早く来いよ」

「ん」



大して身長なんて変わらないはずなのに、ひょいひょいと人ごみをぬって駆けていくその後姿がひたすら大きくて遠く思えた。


誰よりも、とはいかなくても。

少なくとも自分はいつだって藤澤の――隣にいたはずなのに。



「……何考えてるんだか、ホントにわかんないよ。藤澤……」



ほんのちょっとでいいから、そういうのわかってほしいって思うのは、やっぱりただの俺のわがままなんだろうか。

お前のやることなすこと、全部がわからない俺は、きっとお前からみたら同じくらいわからないのかもしれないけど。


でもさ。



「……なんでいきなりこうなるんだよ……」



藤澤。と声に出さずにつぶやくのは、俺が弱いから?


――言い馴れない、名前。

昔は、ほんの二ヶ月前までは――あいつがイタリアに行くと俺に言うまでは――違った呼び名。



『葛西』



そんな風に彼から呼ばれたことなんて、今までなかったのに。



『藤澤』



そんな風に呼んでいて、怒られたことはまだ記憶に新しいのに。



「……わかんないよ、お前」



廊下のざわめきに消えた呟きは、今の俺のすべてだった。



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