道化を夢見る偶像
はじめましての方は、はじめまして。
前作を読んでくださった方は、ありがとうございます。
ピエロになりたいアイドルのお話。
今作も、どこかの誰か一人にでも届けば嬉しいです。
あの日、あのピエロは私に何を伝えたかったのだろう--
「みんなー! 今日は来てくれてありがとう! 最後まで楽しんでいってねー!」
「あたし達『アネモネ』が最高の一日にしてあげる!」
「じゃあ一曲目いくよー!」
私達に歓声が降り注ぐ。会場はとても盛り上がっている。皆、笑顔でこちらを見てくる。
こんな時に暗い顔なんてしたらダメだよね。
私はアイドル。アイドルはファンに偶像を魅せる。ファンのためなら笑われる存在にもなろう。
私は今日も刺さる、二つの嘲笑と嫌悪の混ざる視線から逃げるように踊る。
「おい姫井。さっきのアレ、どういうつもり?」
ライブが終わり、控え室まで三人一緒にくっついて歩いていた姿は何処へやら。控え室に着いた瞬間、私は『アネモネ』の一人、浅見華夏に突き飛ばされた。
ああ、また始まった。
「さっきのアレって?」
「舞希ちゃんさぁ、華夏ちゃんの近く寄り過ぎて華夏ちゃんが倒れそうになってたの、見えてなかったの? 華夏ちゃん可哀想じゃん。三人の中で一番人気だからって、あたしらのこと蔑ろにしてる? えーん、泣いちゃうよー」
メンバーのもう一人、狐川二葉がわざとらしい泣き真似で華夏に寄り掛かる。売れたいなら、こういうところでもうちょっと演技を練習すればいいのになぁ。
そもそも、振り付けで私と華夏が近くに寄るところは歌唱中にない。近付くとしたら最後のキメポーズくらいのはずなのに、途中で近寄って来たのは華夏の方だよね。
こんな態度を取られるのはいつもの事で、正直うんざりしてる。
けど、人を笑顔にする仕事がしたい私には逃げ道がない。
私は大袈裟に両手を揃えて頭を下げる。
「ごめんね、華夏ちゃん! 次からは気を付けるね! 二葉ちゃんも教えてくれてありがとう!」
こんなに嫌悪をぶつけられても、私は二人にも笑顔になってもらいたいんだ。
だって、私がなりたいのはピエロだから。
昔、家族でサーカスを見に行った時、握っていた風船を飛ばしてしまい、泣きじゃくる私の前にそれは現れた。
大きな体、デカい顔、赤い鼻、もじゃもじゃの髪。
私はあまりに衝撃的過ぎて一瞬で泣き止んだ。その直後、その巨人は自身の後ろの、尻尾のように着いていた風船の一つを引っこ抜くと、とても痛がった。
しばらく辺りを走り回り、巨人は痛みが引いたのか、私のところに再度近付いてきて風船を手渡してくれた。
私はそれが可笑しくて、意味がわからなくて、気付けば笑っていた。
後からお父さんに聞いたところ、あの巨人はピエロという道化師らしい。人々に笑われる存在。人を楽しませることがピエロの仕事だと教わった。
それをきっかけに、幼い私はピエロになろうと決意した。何をどうしたらピエロになれるか皆目見当もつかなかったが、とりあえず着ぐるみを着ても動けるように体力と筋肉をつけ、ダンスも練習した。それが幸か不幸か、アイドル事務所に見つかり、アイドルとしてスカウトされた。ま、この状況を見たら完全なる不幸だよね。今もめっちゃ睨まれてるし。
でも、そんな視線も私は笑顔で返した。ピエロはずっと笑っていなければならない。例え被り物の下が泣いていても、怒っていても、ピエロを被れば笑顔なのだ。
『アネモネのみなさーん。そろそろアンコールの時間です!』
控え室の外からスタッフの声が聞こえてくる。
「はーい! 今行きまーす!」
「舞希ちゃん、華夏ちゃん! 頑張ろうね!」
わー、一瞬で睨まれるのが終わった。この二人も実はピエロなのかな?
「「チッ」」
あ、全然違うや。
私達は三人仲良く走ってステージに飛び出す。また、大きな歓声で会場が揺れている。
さあ、最後の一曲。がんば……あれ?
アンコールの曲を歌い始める直前。大きな歓声の中で一人、泣いている子が目に入った。
ファンが感極まって泣いてしまうのとは、どこか違う感じがする。けど周りが何かしたとかそういう訳でもなさそうだ。隣にいるお父さんらしき人が、泣いてる女の子を頑張ってあやそうとしていた。
心臓が自分の耳に届くくらいバクバクと音を立てて鼓動する。
なんで? なんで泣いてるの? 楽しいライブだよ? 笑ってよ。じゃなきゃ私は、なんのためにここにいるの?
アンコールの曲が流れ始める。私は無我夢中で歌って踊った。なんとかして笑ってもらおうと、女の子の席に向かってのファンサが過剰になる。それでも女の子が笑うことはなく、ライブは終わりを告げた。
「おい、てめぇ! 最後のダンス、ふざけてんのか!」
明らかに様子がおかしかった私のダンスに、苛立った華夏が胸ぐらを掴んで怒鳴ってきた。しかし、私はさっきの女の子がなんで泣いてたのか気になってしょうがない。
いつもならすぐに謝って怒りを収めようとするのだが、今の私にはそんなことをしてる暇はなかった。
「ごめんなさい! 後でいくらでも謝るから! だから、退いて!」
私は初めて華夏の腕を振りほどいて走った。
適当なコートと大きめなキャップを手に取り、衣装を最低限隠して会場の外へと向かう。
「私達が控え室に戻ったとちょうどくらいにお客さんが外に出始めたからまだ遠くには行ってないはず……」
私は走ってあの親子を探す。しかし、この人混みの中でたった二人を探すなんてあまりにも無謀だった。十分ほど走り回ったが、それらしき人物は見当たらない。
「もう、帰っちゃったかな……」
あの子、なんで笑わなかったんだろう。あの子を笑わせることが出来たら私の何かが変わる、そんな気がしてならない。けど、見つからないんじゃ諦めるしか--
「おねーちゃん。なんで、笑わないの?」
不意にコートの裾を引っ張られる。下を向くと先程泣いていた女の子が私に話し掛けていた。
「す、すみません。百合……娘がどうしてもと言って聞かなくて……どうにか会えないか、と探していました」
女の子の父親らしき人物が後からやってきて謝罪する。どうやら向こうも私のことを探していたらしい。
「いえ! 気にしないでください! 『アネモネ』の姫井舞希です。今日は来ていただきありが」
「おねーちゃん、なんで? なんで笑わないの?」
泣きそうな顔でコートの裾をぐいぐいと引っ張る女の子。どうしてこんな質問をされているか分からなかったが、この子を悲しませたくない、笑顔にしたい。私は泣きそうな女の子、百合ちゃんと目線が合うようにしゃがむ。
「百合ちゃん、私はいつでも笑顔だよ。ほら、百合ちゃんも一緒に笑おう?」
いつものアイドルスマイルを、見る人を魅了する笑顔を百合ちゃんに見せる。が、百合ちゃんは更に表情を歪ませ、今にも泣きそうな顔になる。
え? 私、笑ってる……よね?
「すみません、困惑させることを言ってしまって……ほら百合、お姉ちゃんを困らせちゃダメだぞ」
「あ、いえ……あの、私、笑ってました、よね? あ、もしご満足のいくライブが出来てなかったらチケットの払い戻し対応とかしますけど」
動揺が隠せず、自分の立場で言うべきじゃないことを言ってしまった。払い戻し対応とかしたことない。
混乱している私に対し、百合ちゃんのお父さんは穏やかな笑顔で首を振った。
「ライブはとても良かったです。なので払い戻し等は必要ないのですが……百合は感情の本質を見抜く能力が高いようで、姫井さんがステージの上で泣いている、と言いだしてライブ中に泣き出してしまいまして……」
私が、ステージの上で泣いてる? いや、そんなことは無い。私はステージに立てば偶像で道化なペテン師。例え私の感情がどうであれ、ファンを笑顔にするために笑っている。でもそれは百合ちゃんからすると、あの笑顔やファンサも全部泣いてるように見えたってこと?
「百合ちゃん、アイドルって言うのはね。皆を笑顔にするのがお仕事なの。私は笑顔になって欲しくて必死になってたのかな。だから百合ちゃんには泣いてるように見えちゃったんだと思う。でもね、悲しい訳じゃ……百合ちゃん?」
百合ちゃんは私の話を聞いてるのか聞いてないのか、急にポケットに手を突っ込み、小さなおもちゃの指輪を自身の親指に嵌めた。
「おねーちゃん、みてて……えい!」
そして、百合ちゃんは自身の左手の親指を思いっ切り引っ張る。すると、親指は勢いよく左手から離れた。パッと見では親指が取れたように見えるが、実際には取れたわけじゃなく、よくある手品の一つだった。
「いったあああい!!」
なのに百合ちゃんは物凄く痛がり、辺りを駆け回る。私はあまりにも唐突な出来事に呆気にとられ、百合ちゃんが走る様をただ呆然と見てしまった。
そして、百合ちゃんは痛みが引いたのか、私の下に駆け寄り、さっきまで親指に嵌めていた指輪を私に渡した。
「これはね、笑顔になるゆびわだよ! これを持ってれば、おねーちゃんも笑顔!」
どこにでも売ってるようなおもちゃの指輪、なのにそれを手渡すために取った百合ちゃんの行動とあの日の景色が重なる。
「ピエ……ロ」
思わず声に出してしまった道化師の名。私は咄嗟に口を塞ぐ。人によっては、ピエロは悪口になりかねない。
「ピエロ!? おねーちゃん、今百合のことピエロって言った!? やったー! 百合ね、しょーらいはピエロになるの!」
努力は虚しく、百合ちゃんの耳に届いてしまったようだが、何故か百合ちゃんは飛び跳ねて喜んだ。あんなに願った笑顔の花はいとも簡単に咲いていた。
「百合ちゃん、ピエロになりたいの? ピエロってアイドルと同じで人を笑顔にするお仕事だよね。百合ちゃんくらいの歳の子ならアイドルになりたい、とかじゃない?」
気が緩んでしまった私は、またしても失言してしまう。
それは過去の私と百合ちゃんの夢を同時に否定する言葉だ。しかし、否定をされても百合ちゃんは悲しむことなく笑顔で答えてくれた。
「ピエロってね、笑ってもらうだけじゃないんだよ。泣いてる子に寄り添って、一緒に泣いて、一緒に笑ってあげる、それがピエロなの。たくさんの人に笑ってもらうのはピエロじゃなくても出来るけど、ピエロはたとえ笑顔にする人が少なくても、一人一人に寄り添って笑顔にするの。だから百合はピエロになりたい!」
百合ちゃんの真っ直ぐな言葉が私の胸に突き刺さる。
ああ……私はこんなピエロを夢見ていたんだ。
あの頃、私に寄り添って風船をくれたピエロのような、あの光景を自分でも作りたかった。
でも私のやり方は間違っていて。
百合ちゃんこそが本当のピエロなんだ。
やっと、気付けた。
「あっ! おねーちゃん笑ってる!」
「えっ、ほんと?」
百合ちゃんに言われて顔を触ってみるが、笑ってるとは言えなかった。ただ、溢れてくる水滴が手のひらに付着するだけだった。
「百合ちゃん、こ、れは、ね……笑顔じゃ、ない……かな」
自分が泣いてると気付いた時にはもう遅かった。自身の感情が制御出来ず、涙を止められない。
「あの、良ければこちらを使ってください」
百合ちゃんのお父さんが柔らかい笑顔でハンカチを貸してくれた。私は頭だけでお礼し、ハンカチを使わせてもらう。
「おねーちゃん、それはね、嬉しい時に出る涙なんだよ! だから今おねーちゃんは笑顔なの!」
百合ちゃんは私に抱き着いてより明るい声で話す。
そっか……私は今嬉しくて泣いてるんだ。笑ってる時に笑ってないと言われ、泣いてる時に笑ってると言われるなんて、今日は散々な日だな。
「ふっ……あははっあはははっ!」
笑ったのなんていつぶりだろう。しかも人前で泣くなんて、初めてかもしれない。でもこの温かい空間なら、そんな状態でも楽しかった。
私が泣き止むのにはそこそこの時間が掛かった。会場に残ってる人はもう関係者くらいだろうか。泣いてる間も、ずっと寄り添い続けてくれた百合ちゃんにお礼を言う。
「小さなピエロさん、寄り添ってくれてありがとう。私もね、ピエロになるのが夢だったんだ。でも、道を間違えてたみたいだね」
私は百合ちゃんの頭に手を乗せて優しく撫でる。今更取り繕っても無意味だと感じて、アイドルが人前で晒して良い顔じゃなくても気にしないことにした。そんな私のお礼に百合ちゃんは向日葵が花開いたように笑った。
「おねーちゃんもピエロになりたいの!? パパー! おねーちゃんもピエロなるだって!」
「ははは、それは良い。と、言いたいところだが、姫井さんはアイドルだからね。すぐにピエロになるのは難しいかもしれないね」
百合ちゃんのお父さんは笑いながら懐に手を入れ、一枚の小さな紙を取り出した。
「姫井さん、良ければ一度、ここに来てみてください。きっと、この子も喜びます」
「えっ?」
突然渡された紙は名刺だった。そこには『鈴原悟』と書かれていた。これは百合ちゃんのお父さんの名前だ。しかし、注目すべきはその名前の上。
「スズランサーカス団、団長……」
「さあ、百合。そろそろ帰ろうか。ピエロは泣いてる子に寄り添って笑顔にしたら、どうするんだい?」
「さっそーとさる!」
「はい、よく出来ました。では姫井さん、わたし達はこれで失礼します」
「えっあっ」
もしかして私、思いっ切りやらかしてない? サーカス関係者の人に対してピエロよりもアイドルがいい、みたいな発言したってことだよね。こんなに温かく接してくれた人たちになんてこと言ってるの、私!
「あ、あの! さっきは失礼なことを言ってすみ」
「ああ、一つ言い忘れてました。風船、もう手放しちゃダメですよ。手元から離れてしまったら同じものは手に入らないので」
私が謝罪しようと頭を下げる直前に、鈴原さんが私の言葉を遮った。
「風……船?」
急に何の話だろうと思い首を傾げるが、言葉の意味に気付いた時には鈴原親子はもう姿を消していた。
「……ははっ、ははははははっ!!!」
あー、ほんと、今日は散々な日だ。
ここは遊園地の隅っこに位置する小さなサーカス会場。小さな施設なのに今日も観客席は満席だ。
きっと今日も楽しい一日が始まる。
「ねぇねぇ舞希お姉ちゃん、会場が暗くて怖がってる子がいるよ」
「え、どこどこ。あ、ほんとだ。じゃあ私達の出番だね」
『本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。早速ですが、披露していただきましょう。我がスズランサーカス団の二枚看板! ピエロ姉妹のショーでございます!』
読んでいただきありがとうございました。
「笑顔にすること」の違いに気づくための物語でした。
スズランサーカス団のピエロ姉妹に会ってみたいですね。
また、機会がありましたら次も読んでいただけると幸いです。