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1 落花

「すみません、もうすぐ閉店のお時間なのですが」静まり返った館内に声が響いている。

「ああ、すみません。もう少しだけ…」

雪の絵だ。この絵を見るためだけにここに来たような気がする。木の上に雪が舞っている。

その景色はまるで桜のようだ。きれいだ…、そう呟く。

その言葉は誰にも届かずただ反響し消えていく。

美術館を出ると外は暗く、十一月の冷気が肌を痛める。

帰るか、そう呟き交差点の近くで左手を高く上げる。


「850円です」タクシーの運転手が振り向いて言う。

「あのー」と保険証と千円を出すと、少し驚いた顔をされて500円にして返してくれた。

目覚まし時計の音を聞いて目が覚めると、時間は七時を超えていた。

テレビでやっていた美術館を見に遠くまで行って疲れすぎてしまったのだ。

まずい、仕事に遅れないようショクパンをかじり駅へと向かった。

今日はあの場所に行けそうにないか…

出勤時刻ギリギリに職場に着き机で汗を拭いていると、

「日野さんこの書類今日中にまとめておいて」と赤本五冊くらいの高さの書類を渡され、朝から気分が悪くなった。

これじゃあ本当に行けそうにないな。


空の色が黒くなり始めたくらいでようやく書類をまとめ終わり退勤の準備を始めた。

「日野先輩、今日どうですか?」と後輩の水本がやってきた。

誰かと飲みたい気分だったが、

「悪いね、今日行くところがあるから」と言って会社を出た。

今日も疲れたなー、と伸びをしながらあの場所へ向かう。

街灯が段々と減っていき、側に流れる水の音だけが聞こえてくる。

静かな音を聞き、穏やかな気持ちになる。もう少しだ。

そこにはいつも何にも照らされていない一本の木がある。

冬の風は涼しくて寂しくなる。この木を眺めるのは何度目だろうか。何も生えていない木を見ていつも思い、あの日を思い出す。


静寂で哀愁漂った心持ちで今日も仕事を続けていた。

会社に着いたらメールをチェックし、返信を書く。

いつもは五通くらいだが多いときには十通、二十通来る時がある。

そんな日は誰かと愚痴を言い合ったりしたくなる。

でもそんなことはできるはずがない、俺の人間関係は会社内で完結してしまっている。

飲み明かす友人など一人も居ない。

寂しいとは思うがいつの間にか慣れてしまった。

後輩が誘ってくるも事もあるがそんな時は大体後輩の悩み事や仕事のやり方を教えるだけだ。そんなのは面白くない。


10時からの会議に出ながら効率のいい仕事の終わらせ方を考えていた。

昼休憩になり、会社の外に食事を取りに行っていた。

会社に戻る時、エントランスで一人の女性がソファに座りながら通行人を見ていた。

それも誰かを探すように。

俺が通った時少し驚いたような顔をしていたような気がしたが、その時はなんとも思わずただ仕事のことだけを考えていた。


その日から一週間女性はエントランスに毎日現れるようになっていた。

一体何をしているのか気になったがそんな事を気にしてられるほど暇ではないので彼氏の仕事が終わるのを待っている健気な、そして暇な女性だと勝手に結論付けていた。

今日の昼間にも女性は居てどうやら俺の事も監視の対象のようで不思議そうな顔をしながらこちらを見ていた。

仕事は忙しいものの毎日同じような作業続きで飽き飽きしていたのもあり、今日の帰りに話しかけてみようかという気が起こりかけていた。

しかし、仕事が終わりエントランスに行ってみるとそこに女性の姿は無く今日も日常を過ごして終わってしまうのかと少し落胆した。


駅前のデパートではクリスマスが近いからか、イルミネーションがキラキラと夜の街を照らしている。

今日の晩御飯は何にしようかな。

そう思いながら歩きだす。

ふと、人の気配がした気がして振り返ってみたがそれは気の所為でただ後ろの木が風に靡いただけだった。


人がいなくなった公園を横切りながら、アパートを目指す。

そんな時急に強い風が吹く、寒っ。

前に足が出ないくらいの風が吹いている。

なんだこの風は。目を開けることすら出来ない。

ありがたいことに、風は一分もしない内に止み、さっきのことは嘘みたいに風はピタリと止んだ。

アパートが見えてきて、少し気分が良くなっていると、俺の部屋のドアの前に誰かがいるのが見えた。


「誰だ…?」

少し遠いのでわからないが知り合いではない、若い女性がドアに寄りかかっている。

誰かを待っているのか?まったく俺の部屋の前で待っているんじゃないよ、と思いながら女性に声を掛ける。

「そこ自分の家なのでどいてもらってもいいですか」

急に話しかけたからか、驚いた顔をして女性は言った。

「あなた日野さんですよね?」

「えっ、ええ」驚いた、知り合いだったのだろうか。

「良かった。ずっと会いたかったんです」

「え、あの失礼ですがどなたでしょうか」

俺に女性の知り合いがいた覚えはない。誰なんだ。


「私、未来から来た貴方の娘です!」

…はぁ?何を言っているんだこの女性は、

「すまない、もう一度言ってくれませんか?」


「あなたの娘です」女性は眉毛にかかるくらいの前髪を触りながら言う。

聞き間違いではなかったらしい。

少なくとも今の俺に子どもどころか、付き合っている女性もいない。

つまりこの女性は勘違いか、あるいは変人だ。


「失礼ですが、私に子供はおりません。どうか、お引き取り願います」

「いえ、ですから未来から来たんです。二十年後の未来から」女性はまだ言っている。

「あなたの言っていることは信じられません。このまま帰らないようでしたら警察を呼びますよ」

そう言うとようやく観念したようで

「分かりました。今日のところは失礼します。ですが私にも用があってきたのです。また明日来ます」

そう言い残し彼女は去っていった。

少しして彼女がエントランスで見かけた女性の顔に似ていることに気がついた。まさか会社から着いてきたのでは…と思ったが俺に限ってそんなことは無いと高を括った。

まったく、なんだったんだ…



朝の目覚めは最悪だった。

昨日のあの一件のせいでお酒を飲みすぎてしまい、頭痛がひどいのだ。

まったく仕事終わりくらいゆっくりさせてくれよ…そう思いながらドアを開ける。

今日は行けそうだ。ドアを開けて鍵を閉める。

ガチャ、としっかり音が聞こえた瞬間だった。

足元になにかの感触を感じた。


「あ、おはようございます」昨日の女性だった。

生まれて初めて人を見て悲鳴を上げてしまった。

「どうしました?」と女は聞く。

「あのね、君本当になんなの?」憤慨と叱責を混ぜながら言う。

「だから私はあなたの娘です、そう昨日も言いました」

はあ…冷たいアスファルト見ながらふと思う。

「君ずっとここに居たの?」彼女が少し可哀想に思ったのだ。

「いえ、さっきまでコンビニで寝てました」

少しでもこの変人に同情したさっきの自分にりんごをぶつけたい。

「俺会社行くんで帰ってください」そう言い残して足早に駅へ向かった。

何なんだ、あいつは。ストーカーなのか?

俺の娘だと言っていたがどうかしている…


会社の最寄りの駅に着いてすることはいつも決まっている。

会社のすぐ近くにある母校に行き、桜の木を眺めること。

といっても今は11月なんにも生えてないんだけど。

仕事が終わって電車の中から風景を眺めながらあいつは居るのだろうかと、心の何処かでイレギュラーな日常を望んでいるような気もする。

アパートが近くなり、物陰のようなものが確信に変わる。

やつだ。


「あのぉ、やっぱりいるんだね」

つい話しかけてしまった。

すると女性は嬉しそうな顔をして

「はい!」と返事をした。

その笑顔を俺はどこかで見たことのあるような既視感に駆られた。

怪しいことには変わりない、でも俺の娘だというこの女性の話を少し聞いてみたくなったのだ。

どうせ、人間関係は会社の飲み会だけで完結している。

少しくらい人と話してみるのもいいだろう。

「おい、君。ちょっと話を聞かせてくれないか?」

そう言ってしまっていた。

見ず知らずの女性を部屋に入れては勘違いされてしまうので近くにあるカフェで話を聞くことにした。

「昨日は突然すみませんでした。考えてみたら急に娘だと言われても信じられませんよね」そう女性は言った。


俺は普段は飲まないはずのブラックコーヒーを飲んでいた。

「まあ、どういうことか詳細に話してよ」不信感はあるが怖いもの見たさで話を聞くことにした。

「まず、信じられないと思うんですが私未来から来たんです。冗談じゃないですよ。ホントの話です」

いかにも胡散臭そうな説明から始まった。

SF作品にありがちなタイムマシンというもので20年前のこの時代に来たらしい。

「20年後の未来ではタイムマシンは普通にあるんですよ」

女性は前髪が気に入らないのか分け目をいじっている。

何かの勧誘ではないかという疑惑はあったが、この女性の紡ぐ話は俄然興味があった。「で、何でこの時代に来たの?君が本当に俺の娘だとしてさ」

「理由は一つです。父がこの時代に来たというデータが残っていたからです」

なるほど。未来の俺はこの時代に逃亡したという設定らしい。

なるほど、それなら頷ける。

「で、君は父親を探しに来たってわけだ」

「そういうことです」もっともらしいことを言ったような満足げな表情をしている。癖なのだろうか、髪をくるくると回している。

「俺に会いに来た理由は一緒に探してほしいって感じか」

「そうです、そういうことです」

「でもよ、それなら他の人を未来から連れていけば良いんじゃないのか?警察とかをさ」

どう答えるんだ、少しワクワクしながら返答を待つ。

「それは血縁関係が近いものがタイムスリップしないと同じ時間軸にたどり着けないんです。例えば赤の他人が父と同じタイムマシンに乗ると同じところに行けても三〜四ヶ月ほどズレてしまうんです。タイムマシンが遺伝子の組み換えを利用したものらしく…」

へえ、ちゃんと対策済みってわけか。

「でもなんで君なんだい?母親がくればよかったじゃないか」

「いえ、母は過去に行こうとする人なんて知るもんですかと、」

「そうか」

未来の俺の嫁は相当気難しいようだ。

「で、これからどうするつもりなの?」

「まずあなたと一緒に探してもらいます。あなたなら同じ考えを持っているはずですから」

「探すって、いろんなとこをか…?」

「ええ、思い出のところであれば」

そろそろ面倒になってきた。

「やっぱり協力はできないよ。まあ、SF作品を見ているようで面白かった。でもそろそろ帰りなよ。くだらないことやってないでさ …退屈しのぎにはなったよ、ありがとね」

そう言って会計に行こうとすると、「待ってください!」

今日初めて彼女の大声を聞いた。

「あなたがいないとだめなんです。私一人でどうやって探せば良いんですか!」

「知らないよ、警察にでも頼めば?」その時の彼女の顔は絶望や失望の感情が入っているように見えた。

「まあ、会計はしておくから早く帰りなよ」そういって会計を済ませ店を出た。

ブラックコーヒーの味は舌に暫く残るぐらい苦かった。

部屋に入ると夜の田舎道のように静かだった。

俺の娘?そんなの居るはずがないだろう、俺のことを愛する人なんてどこにもいないんだから。

仕事の疲れがどっと来て、ミサンガを一つ作ってから床についた。


2時頃だろうか、尿意を催しトイレに駆け込んだ。

トイレを済ませ、手を洗っていると不意にドアの外が気になった。

音を立てないようにドアを開く。居ないよな…。

ドアを全開まで開くと何かに当たる音がした。

バコン、そう音がした場所を見ると人がいるではないか。

電気をつけるとそれは件の女だった。

「何してるんだ、こんなところで」そう吐くと

「へへへ、コンビニを追い出されちゃいました…」

「そういうことじゃない、何でこんな寒い中外に居るんだ」俺は一つの仮説を立てた。

「君、住むとこないのか?」

「はい。お金もないんです」

なぜ気づかなかったのだろうか、彼女は昨日と同じ服を着ている。

「しょうがない、ひとまずうちに入りな」そう言って女性を家に入れた。

「寒かったろ、今風呂沸かすからちょっと待ってな」

女性は部屋の隅で小刻みに震えている。気がつくともう三時を回っていた。

「シャワーあったかいのを浴びていいから早く入んな、風邪引くぞ」

そう言うと短距離走のスタートを切ったように浴室へと向かっていった。

俺は布団に潜り込みながらなんでこんな事してるんだろうと、苦笑した。

風呂から上がると女性は汚れた服をまた着ようとしたので俺のパジャマを貸してやった。「こんな時間でしょうがないから家で寝ていいぞ、俺は床で寝るから布団使いな」

そういって何も掛けず壁を向きながら体を楽にした。

なんでこんなことをしているんだろう、自分の行動にまたも苦笑した。

目覚まし時計がなり、毛布をどかしてアラームを止める。

「あ、おはようございます」そう声が聞こえた。

「うわっ、なんだ」寝ぼけていて隅にいる女性の存在を忘れていた。

「ああ、君か」そう言って顔を洗う。

「ずいぶん早いんだな、何時に起きたんだ?」

そう聞くと「6時です」と言葉が帰ってきた。

俺の起床時間より1時間早い。

布団も畳まれていて育ちは良いように感じた。

お金もないんです …昨日の言葉を思い返していた。

「君、お金持ってないんだっけ?」

「はい」申し訳無さそうに女性は言う。

「そうか、俺はもう会社に行くから君は警察にでも行きなよ。多分なんとかしてくれるからさ」そう言って家を出るつもりだった。

「無理です。私本当に未来から来たんです。だから免許証も見せられないんです」

どうしたもんか。

「免許証は持っているの?」「はい!」

早くそれを言ってくれよ、それが一番信憑性上がる道具じゃないのか。

「じゃあ、それ見せてくれる?」そう言って女性は免許証を取り出した。

免許証を受取り西暦を見て驚いた。2052年まで有効と書いてある。

2027 年生まれらしい。

今は2025年だから2年後に生まれていると言うことになる。

横にはしっかり女性の顔が。

「なあ、これ本物なのか」

「はい」そう聞かれたらそう返すしかないか、そう思いながらも少しだけ信憑性は上がってしまったような気がする。

とはいえ、未来人にしろそうでないにしろあの子がそのまま外で眠っていたらどうなっていたかと考えると恐ろしい。

今日も外は寒そうだ。

貴重品をカバンに詰めて、「今日は家に居てもいい、ただ貴重品は何も無いから探したりはするなよ」と言った。

こんな事が起きても会社には行かないといけないのだ。

そう言い残し出ていった。

家のもの壊されたりしたら困るな…そう思ったがそうなったら警察に行けば良いんだと楽観的な気持ちで居た。

今日もようやく仕事が終わり帰路についた。

途中のコンビニで買った鳥の唐揚げにかぶりつきながら歩いていると、目を疑うような光景が見えた。

なんと、俺のアパートの周りに二台パトカーが停まっているのである。

なんだ、どうしたんだ。気が動転し、唐揚げを落っことしてしまった。

「どうしたんです?」

側に居た警察官に尋ねた。

「いや、泥棒がこのアパートに入ったらしいんだよね。君ここの住人?」「ええ、そうですか…」

泥棒? 

そう聞いてあの女性のことが心配になった。

見ず知らずの人を入れてよかったのか?

いや、彼女が泥棒だと決まったわけではない。

「捕まったんですか?」

「ああ、そこのアパートの女性が通報してくれて捕まったよ。今は事情聴取だけね」良かった。少し安堵した。

ガチャ、ドアを開ける。

「お帰りなさい」一人暮らしを始めてから聞くことがなかったセリフだ。

「まだ居たんだね」

「すみません」彼女は申し訳無さそうな顔をした。

「いや、いいんだ。ところでこのアパートに泥棒が入ったらしいんだ。大丈夫だったか?」「ああ、それなら私が通報しました。何だか隣の部屋が騒がしくて少し変な感じがしたので」

「そうか、君だったのか」女性の通報は、彼女がしたものだったのだ。

家にあげてしまっているが彼女のことを少し見直した。

「ありがとう」

一応感謝を述べることにした。

「いえ、そういえば夕食を作りました」

「何、勝手に使ったのか?」

「すみません」

「いや、いい。ありがとう」

親しくない女性との食事は気まずい。

さっきから食器の音だけが部屋に響いている。

「そういえば、君の名前を聞いてなかったな。何て言うんだ?」

「日野 和菜です」

「和菜…か」ちゃっかり日野という名字もつけている。

「そうか、知っているかもしれないが俺は日野福寿、よろしくな」

彼女は少し驚いた顔をして元気な声で「はい!」と言った。

「今日も布団使っていいいから」

そう言って布団を渡す。

「いえ、申し訳ないです」

「いいんだよ、使って」

正直いつまでここに居るつもりだよ、とは思うが昨日のことを見るとどうも放って置くことはできない。何も掛けないのは凍えそうだったが、まあ娘のためだと思い我慢した。

いきなり現れた変人に気遣いをしている事に苦笑していた。

明日は土曜日だ、明日話をちゃんとしよう。

そう思い、いつの間にか眠っていた。

大きな電子音が聞こえ目が覚める。

毛布を弾いて止めに行く。

もう朝か…顔を洗い、テレビを点けると今日もまた彼女は部屋の隅で座っていた。

「おはよう、早いね」

「おはようございます」

いつも早起きなのだろうか気づかぬ間に彼女は起きている。

「今日土曜日だからさ、人探し…だっけ手伝うよ」

そう彼女に伝えると嬉しそうな顔で

「ありがとうございます!」と返事をした。

早く帰ってもらうためだ、彼女が部屋にいるとなんだか落ち着かない。

冷凍ご飯を二人前温めて、机に置く。

「で、探すって言ってもどこに行けば良いのかな?」

「そうですね、父がこの時代に来たってことは何か大切な思い出があるからだと思うんです、なのでそこを教えてもらいたいです」

思い出…か。この時代にそんなものがあるのだろうか。

「まあ、俺が気に入ってる場所ならあるけど」

「じゃあそこをお願いします」彼女はご飯を食べ終わったようで食器を流しに持っていこうとしている。

「あっ」

彼女の足に段ボールが当たったようでつまずいてしまっている。

「ごめんな、部屋が汚くて」

「いえ、大丈夫です」

そう言ってお皿を洗いながら

「あの段ボールはなんですか?」と彼女は聞く。

「ああ、確か小学校の頃のモノが入ってるんじゃなかったかな」

「へえ、いいですね」

それにしても、この部屋を掃除しないといけないなと思った。

休みの日なのに会社方向へ向かってあの場所へ向かう。

「君は電車に乗ったことはあるか?」と彼女に聞くと、

「さすがにありますよ」と答えた。

未来でも電車はあるのだろう。駅を降りてしばらく歩く、川の音が段々と聞こえ始め少し気分が上がる。

「ここは…」

「ここは俺の母校だよ、高校さ」

多分俺にとってあの木が一番の思い出だ。

木の下に着くと部活をやっているのか活力のある声が校庭の方から聞こえてくる。

「それで、なんでここが思い出の場所なんですか?」

「昔、高校2年生の始業式の日、幼馴染と桜の木の下で待ち合わせをしたんだ。同じクラスだったらここで待っていてって。青春なんだよ、俺の」

「じゃあその子と同じクラスになれたんですね」

「…どうだったんだっけ、もう何年も前のことだから忘れちゃったよ。ただその記憶が甘酸っぱく残ってるってだけだね」

彼女は道路のアスファルトを見ながら

「青春って感じですね」と一言言った。

帰り道、少し考えたような顔で彼女は言った。

「でも、ここではない気がします。ここが思い出なら高校時代に行くと思うんです」

確かにそうだ、もう卒業して何年も経っているところを見たってしょうがない。

「それと少し思い出したんですけど、父は桜の木が好きだと言っていました」

「さっきの木も桜の木だよ」

「そうですよね」

他に思い出の場所、あるのだろうか。なぜだか小学生の時に感じた気分を思い出した。

嬉しくて、涼しいけどどこか暖かいような思い…

『君の事気に入った…』不意にそう声が聞こえたような気がした。

あれ?誰の言葉だっけ。

「日野さん」と彼女は言う。

「木に関係する思い出の場所って他にありますか?」

「うーん、そうだな。多分、小学校には桜の木があったような気がするんだけど…」

「じゃあ、そこに行きますか?」

「そうだね、でもそこには実家もあるんだけど大丈夫か?」

「実家…ですか」

「ああ、そうだ。悪いがやっぱり俺の思い出がある場所って言ったらここか、実家しかないと思う」さっきのは小学生の時の記憶だと思った。

彼女は少し困ったような顔をして、

「実家に行くんですか?」と聞く。

「ああ、でも家に入らなくていい。親に勘違いされてしまうかもしれないからな」と訂正しておく。

「…そうですよね」

「今日はもう午後だから明日に行こうか、車はないから電車だけど大丈夫か?」

「はい」

またも彼女は部屋の隅にいる。

「そんな隅っこに居なくていいよ、どうせ居るんならいいから」

そう言って彼女は中央のところにいく。

「ちなみに俺の実家は行ったことある?」

一応俺の娘という事になってるから聞いておく。

「はい、一応」

「そうか、それならいいか。一応明日は福島に行くから」

正直2人分の料金がかかってしまうのできついがまあ久しぶりの福島だし良いか。

「あれっ、新幹線じゃないんですか?」

と彼女は聞く。

「ごめんな、新幹線は高いから電車を乗り継いでいくんだ」

「そうですか、でも大丈夫です」と彼女は言い電車に乗り込んだ。

電車に乗っている間は、田んぼや森が見えて気分が落ち着く。

こうやって、自然を眺めているのもいいなと思った。

「次は江田、江田」

ようやく着くことができた。

東京から五時間くらいかかった。

「着いたぞ」彼女を起こして電車を降りる。

「ここ、ですか」「ああ」人の居ない改札を通り歩く。

「静かなところですね、ここで暮らしてたんですか」

「ああ、小学3年生まではここに住んでたんだ。見てみな、雪が積もってるだろ。いいよな雪って」

「そうですね、何か特別な感じがします」

そう話しながら自分がもし行くとしたら、福島で行くとしたら小学校なのだろうと思った。小学校にも大切な思い出はあったはずだ。

「ここだ」校庭の広いかなり大きい学校だった。

小学校は記憶のものより綺麗になっていた、何年も経っているんだから当然なのか。

「あ、これももしかしたら桜の木ですかね」

そう言って彼女は校門の前の木を指差す。木の表面が凸凹している。確かに桜の木かもしれない。

「悪いがここには小学校くらいしか思い出はないよ」

「そうですか」

「俺がどんな風貌をしているのかは分からないけどここは人もあまりいなそうだね」

「ええ、多分父はここに居ないと思います」

「帰る前に実家に挨拶だけしてもいいか。君は会わなくていいから」

「はい」

少し楽しみだった、久しぶりに会いに行ったら二人はどんな顔をするだろうか。

遠くからこの女性を見つけて勘違いしてくれたらいいなと、少し下心が混じった気持ちでいた。

「着いた、ここが俺の実家だ」リフォームしたのだろうか面影が無くなっている。

「あの、連絡はしてあるんですか?」

「いや、してないよ。でも多分大丈夫だ」

「そう、ですか…」あの人たちのことだ、突然押しかけても大丈夫だろう。

そう思いながらチャイムを鳴らした。

「はい」そう言って出てきたのは白髪交じりの老婆だった。あれ、こんなだったかな。

「失礼ですが、どなたですか?」老婆が言う。

「あれ?すみません日野さんいらしゃいますか?」

「いえ、私は日野ではありませんけど」

「そうですか、すみません」そう言って家を後にした。

おかしいな、ここのはずだったけど。

「ここじゃなかったんですかね?」

「ああ、おかしいな」

久しぶりにこっちの方に来たから忘れてしまったのかもしれない。

「どなたかに聞きますか?日野さんって人いるか」

「そうだね」そうして一軒ずつ聞いて回った。

しかし、どこの家も日野という人は知らないというのだった。

そんな時、一人の老人が話しかけてきた。

「あんた、日野さんを探しているのかい?」ここに来て初めて両親を知っている人に出会った。

「はい、どこに居るかご存知ですか?」老人は気の毒そうな顔をして

「日野さんは何年か前に亡くなったよ」と言った。

時間が止まってしまったかのような気がした。

嘘だろ…確かに何年も会っていない。

でもそんな事。

「そんな…」

「残念だけどもう会えないよ」

「日野さん大丈夫ですか」静まり返った駅のホームで彼女の声が響く。

亡くなっている、そんなことがあるなんて…

「俺はどうしたら…頼れる人は居ないのか…」

親がなくなってしまったとなると人間関係が薄い俺はもう独り身だ。

本当は、彼女がいる気分を少し味わってみたかった。

だから連絡はしなかった。

どこかでばったり会わないかと期待していた…

「俺はこれからどうやって生きていけば良い…」

11月の冷たい冷気が肌をどんどん冷たくする。

親のために生きているわけではない、でもこれからどうやって生きていけば良いのだろうか。

電車が来るまであと三時間、しばらくこのままホームで冷えていよう…

「日野さん、あと三時間もありますよ。こんなところに居たら凍えてしまいます」

「いいんだ、俺のことは気にするな」そう言って瞼を閉じる。

このまま凍ってしまってもいいと思う。どうせ、俺が思い残すことはないのだから…

突然首の後ろが暖かくなってきた。

とうとう感覚も麻痺してしまっているらしい。

しかし、その暖気は幻想ではなかった。

体重が乗っているのを感じた。

「日野さん、暖かくなりましたか」

その時突然幸福感が満たされていった。

そんな自分がおかしくてなぜだか苦笑してしまった。

「この前と逆になったな」そう言ってしばらくそのままでいた。

十分くらいしたころ「寒いだろ、どこかで温まろう」と言った。

先程までの悲壮感はいつの間にか無くなっていた。

「悪かったな」申し訳なかった、取り乱すところを他の人に見せてしまったから。

「いいんですよ、貴方は多分自分ひとりで抱え込んじゃうんですよ。だから、困ったら頼っても良いんですよ」

出会って間もないがこんな事を言って貰えて嬉しかった。ただ単純に。

二時間ほどコンビニで雑誌を立ち読みして駅に向かった。

「帰るか、和菜」少し驚いた顔をして

「はい」と彼女は言った。

電車が来る一分くらい前のことだ。

「あなたは今一人で生きてるかもしれないけど私にとっては大事な家族なんです。だから自分の事もっと大事にしてください」と少しクサいことを彼女は言った。

でも、それは彼女の本音のような気がして気分が良かった。

彼女はどこからか青いミサンガを取り出し、俺の手に乗せてくれた。

不意に小さな頃に戻ったような感覚がした。

「さあ、帰りましょう」そうして電車に乗り込んだ。

もうこの場所には来ないだろうな、電車の風景を見ながらそう思った。

電車は徐々に加速していった。

トンネルに入った時、ガラスに反射するはずの顔が映らなかったのは俺の幻想だったのだろうか…



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