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 後ろから聞こえた声に血の気が引くのがわかった。

 身体中の体温が奪われ、背筋が文字通り凍りついた。

 今の声は紛れもない、愛する妻のものだ。

 姿を見なくてもわかる。私くらいになれば、彼女が酒で喉を潰していても聞き分けるくらいわけない。


 だからこそ、私の体は一瞬で凍りついたのだつた。

 前方のギグ達は振り返り、私の後ろに視線を向けている。

 

「おい、あの女性、お前のことを呼んでるんじゃないか」


 私の肩の生地をつまみながら、マルクが囁いた。


「さ、さあ? 魔界で私を呼ぶ人なんて居るわけないじゃないですか」


「そうか? でもあの人、お前の名前を⋯⋯」


「たまたまですよ! たまたま後ろ姿がよく似た同じ名前の人がいるんですよきっと! ね?」


 首が動かないので、眼球だけマルクに向け、何も言わせないよう圧をかける。

 ここで汗を垂らしてマルクに勘づかせるほど、私は愚かでは無い。

 体は硬直しながらも、平静を装うようため、魔法で無理やり身体の神経と血流を調整する。

 汗なんて出させないし、顔を紅潮させもしない。

 石のように重く固まった足を踏み出し、皆に笑顔を向ける。


「きっと勘違いですよ。さあ行きましょう」


 ギグは何かを察したのか、私と目を合わせながら頷いた。

 

「そ、そうだな」


 オーク達も気を取り直して歩き出すと、リディアが後ろから早足でこちらに迫ってくるのが分かった。

 リディアは私とオークの前に立ち、しっかりと私と顔を合わせた。

 若干涙目になりながらも、顔が綻んでいる。


「やっぱり、シュナク様ですよね!」


 もはや誤魔化すことは出来ないだろう。

 仮にも私達は夫婦だ。お互いの嘘くらい多少は見抜けるし、その姿や性格もしっかりと覚えている。


 万事休す。そう思った時、最後の希望がすぐ近くにあることに私は気がついた。


「いいえ、私はシュナクという名ではありません。人違いですよ。さあコロン、早く帰りましょう。お昼にはオムレツを作ってあげますから」


 コロンを抱き上げ、左腕で抱える。


「え、何言ってるんだよシュナ⋯⋯」


 全く私の心を察してくれないマルクを睨みつけた。

 マルクは怯んだようで、つり上がった頬を痙攣させている。


 リディアは私を見た目で判断しただろう。

 こうして子連れを装うことで、そっくりな他人だと認識してくれるはずだ。

 仮に詰められたとしても、コロンの母の存在をほのめかせば誤魔化せるはずだ。

 しかしそこまでの必要はなく、リディアは口をポカンと開けたまま突っ立っている。

 そしてその愛らしい顔を紅潮させたかと思うと、頭を下げてきた。

   

「す、すみません。私なにか勘違いしてたようで」


 リディアは頭を下げたまま謝ってきた。

 騙しているだけに、気が重い。


「いえいえ、いいんですよ。では」


 一礼し、リディアの前を通り過ぎる。

 こちらを追ってくる様子も、視線も感じない。

 

 愛する妻を騙すなんて、私は何をしているのだろう。

 彼女は純粋ゆえおそらく今のやり取りを信じ切っている。

 放っておいても問題はないかもしれないが、再開を喜んでくれた彼女をこのまま落胆させたままでいるのは心が痛む。


「おい、いいのか。さっきの魔物は知り合いじゃないのか。そういえばシュナクは魔界に来たことあったんだっけ」


 マルクが耳元で囁く。

 鈍感な彼でも、流石に不審に思ったのだろう。


「まあ知り合いといえば知り合いですが⋯⋯君達といるときに合うのは不味いというかなんというか」


「ふぅん。そうなのか」 


 マルクはそれ以上何も言わなかった。


「すみませんねコロン、嘘のために君を利用してしまって」


 抱きかかえたままのコロンは無言で私の目を見据えている。

 コロンのつぶらな瞳に、まるですべてが見透かされているようだ。

 純粋としか言いようがない瞳は少し不気味さも感じる。


 

「あ、みんな!」


 道を曲がったところで、先を歩いていたオークが前方を指さしながら声を出した。

 指をさした先には連なった岩山が見える。

 あの岩山の無効にググルと炭鉱がある。


「なんとか、帰れたようだな」 


 ギグが足を止め頷いた、


「シュナク、マルク。ここまででいい。世話になったな」


 オーク達は良い顔をしながら、私達を見ている。

 

「いやいや、ついていくよ。まだ魔王の城もみつけてないし」


 するとマルクが突拍子もないことを口にした。

 ギグ以外のオーク達は戸惑った様子でお互い顔を見合せている。

 私はマルクの耳元に口を近づけた。


「何言ってるんですマルク。君が魔王を倒すために旅をしていることを彼らに言ってはいけませんよ。それに仮に魔王の城を見つけたところで弱すぎて相手になりませんよ」


「まあ確かにそうだけど⋯⋯気になるじゃないか? それと単純に魔界に興味あるし」


 気持ちはわかるが、魔界に人間が長く居るのは危険が伴う。

 今この街にいる魔物達はマルクを人間と認識していない。もしくは認識しながらも敵意を向けていない大人しい者たちだが、魔界には人間嫌いの魔物というのも数多く存在する。 

 何処からか人間が居ることを知った悪意ある魔物が、マルクを襲うことも考えられるのだ。

 

 ギグ達を魔界に返すことが無事できた今、無用な長居は行うべきではない。

 

 しかしマルクは駄々をこねる子供のように口を結びながら、無言で訴えかけてくる。

 困った私がギグに目を向けると、ギグはまた察して頷いてくれた。


「魔王城に行くのは無理だが、魔界が見たいなら俺たちの住処へ来るか? 俺が説明すればお前らも受け入れられるはずだ」


「ほんとうか!」


「ああ、本当だ」


「じゃあ行こうシュナク」



 ギグの誘いでマルクは目を輝かせた。

 せっかくギグがこう言ってくれているのだから、断るのも悪いとおもい、私はマルクに言いたい小言を飲み込んだ。


「わかりました。ではマルクは先に行ってください。私は少し寄るところがあるので」 


 この機会にリディアにある程度のことは自分の口から説明したい。

 そしてさっきのことを弁解したい。


「魔界で寄るところなんてあるのか?」


 察しの悪いマルクは本当に何もわかっていない様子でいる。

 会ったばかりのギグは私の内心をかなり理解してくれるというのに。ここまで馬鹿だと心配になる。


「まあ少し⋯⋯私も魔界のことは気になりますし」


「なんだ。シュナクもそうだったのか」


「ええ。ググルの場所は人に聞きますので、先に行ってください」


 コロンをマルクに預けて、彼らを見送った。

 私は急いで道を引き返し、自分の家に向かって走った。


 数日振りに自分の家に立った。

 魔王城や地方に泊まり込みのときはもっと長い間家を開けることもあった。

 なのに何故か、今までで一番家を開けていた気がする。


「あの、リディアいますか」


 恐る恐る、私はドアをノックした。 








「はい。どちら様でしょうか」


 ドア越しにリディアの声が響く。

 私はノックしてそのまま浮かせていた手を下ろし、後ろへ3歩さがった。


「私です。シュナクです」


「シュナク様!」


 勢いよくドアが開けられ、リディアが姿を現した。

 ドアの前に立っていれば危うく頭をぶつけていたかもしれない。


 いざ面と向かって顔を合わせると、言葉が出てこない。

 いまさっき彼女を騙したばかりの私の脳では、かけるべき言葉が分かっていても口から出てこない。 


「り、リディア⋯⋯さ、さっきは」


 詰まりながらも何とか言葉を発すると、突然リディアが抱きつき、私に体を預けた。

 

「り、リディア!?」


 彼女の体に手を回し、軽く背を撫でる。

 リディアは私の胸に顔を埋めている。


「よかった。やっぱりさっきのはシュナク様だったのですよね」


「ええ⋯⋯さっきはすみませんでした。マルク⋯⋯そばに居た彼に君との関係を知られる訳にはいかなかったのです」


「構いません。ただ間違いじゃなくてよかったです」


 リディアの温もりを肌で感じたおかげか、すんなりと言葉が出てくる。

 私は久しぶりに家に入り、リビングの椅子に腰掛けた。

 幸い、悪夢と違って義父の姿は無い。

 台所で茶を入れるリディアを眺めながら、私はひと時の安息を堪能した。


「実はシュナク様がしばらく最高神様からの命によって家を空けることは知っていたのですよ」


 赤褐色の茶が入ったカップを机に置きながら、向いに腰掛けたリディアがふと言った。


「そうでしたか。それはよかった。何しろ突然の事でして君に伝える暇もなかったので」


「いいえ、仕方ありません。何せ最高神様からのお達しですから。そういえば羽はどこへいったのですか」


 リディアは嫌に目を輝かせている。

 最高神を尊いものだと勘違いしている彼女は、どうやらあの日以来ずっと、この任務が喜ばしがったようだ。当人とは正反対に。


「羽は⋯⋯知らない間に消えてました。それより⋯⋯何も言わずに家を空けてしまい⋯⋯寂しくはありませんでしたか」


「いえ! 確かにひとりの寂しさはありましたが、シュナク様が大命を受けていると知れば大した問題でもありません!」


「そ、そうですか⋯⋯」


 可愛らしい見た目とは裏腹に、なんとも頼もしい妻である。


「そんなことより、あの子は誰ですか」


 穏やかな雰囲気が突如、鋭く冷たいものに変わった。

 リディアは口元にティーカップを添えながら、下から私を睨みつけるように凝視している。


「あ、あの子とは?」


 リディアが誰のことを言っているのかはすぐに分かったが、わざとワンクッション挟んだ。

 即座にコロンの名を出すと、リディアの刺すような視線がさらに鋭くなる気がした。


「シュナク様が抱いていた子供のことですよ。まさかシュナク様⋯⋯私に隠れて隠し子を⋯⋯はっ!? まさか愛人まで!?」


「いやいや違いますよ! あの子は人間界で出会った迷子の子です! 親を探している途中、人間界に迷い込んだオーク達を家に返すために一緒に魔界に来たんです。それでさっきリディアに私だと気づかれないように親子の振りをしただけです。愛人も隠し子も居ませんよ!」


 咄嗟に立ち上がり、全力で弁明した。

 言い終えると息が苦しくなり、自然に口呼吸の音が大きくなった。

 

「なんだ。そうでしたか」


 リディアの顔が少しづつ晴れていく。

 私は安堵の息を漏らしながら、腰を下ろした。


「分かってくれましたか?」


「ええ。それよりシュナク様」


「どうしました?」


「任務って人間界に行ってたんですか」


 リディアは首を傾げて言った。


「え、あ」


 必死の弁明のため、人間界に行っていることは黙っているつもりだったのに、無意識に漏らしてしまっていた。


「人間界で一体なんのお仕事を?」


 リディアに任務のことを言う訳には行かない。

 もちろん、魔界と人間界の争いで、私が形式上とはいえ、人間側に味方していることなど知られればリディアはきっと気を悪くする。

 それに真実を知ると、きっとリディアは親やご近所に話してしまう。


 さらに、任務のことを伝える。それ即ち我らが魔界の王が怠惰で色欲だけは立派なダメ魔王だということが知れてしまうことになる。

 魔王城の者以外に魔王の秘密が漏れれば、魔王の威厳は消え去り、残るのは魔王に対する負の感情だけだ。


「ちょ、調査と交渉を⋯⋯。近ごろ人間界と魔界の境界付近では争いが勃発しているので。人間と魔物それぞれを調停するために人間界を調査していたのです」


「なるほど。大変ですね」


「ええまあ。まだまだ終わりそうにありません」


 リディアは元来、あまり人を疑う性格では無い。

 誰かに騙されたりしないか昔から不安だが、この性格はこういう時にはありがたい。

 いや、もう神達に騙されていた。


 リディアは私に昼食を食べていくことを勧めたが、あまり長いしてもマルクに色々聞かれて面倒になりそうなので、丁重におことわりした。


「すみませんリディア、もう彼らの元に戻らないといけないんです」


「そうですか」


 リディアは視線を落として陰りが見えたが、私は黙って彼女の頭を撫でた。


「必ず帰ってきますから。この世界の争いが無くなった時に」


「はい⋯⋯」


 リディアはそれ以上何も言わなかった。

 随分大袈裟な話だ、そう思っていたのかもしれない。

 しかし、マルクと魔王メルスが戦わなければならない理由は、世界の均衡を保つため。

 近郊が保たれれば、境界の争いも消え、それ以上広がることもない。

 だから嘘は言っていない。


 玄関のドアを出る時、リディアが私の服の裾を掴んで引き止めた。


「リディア」


 リディアは顔を下げたまま、掴んだ手を震わせている。


「待ってますから。お体に気をつけてください」


 その声も随分と震え、リディアの内心が滲んでいた。

 家を空けることが多くても、いつも明るく振舞ってくれているリディアだが、内心は私と同じように寂しかったのだろう。

 それでもリディアは何も言わず、いつも私の帰りを待ってくれている。

 今こうして再会を果たしたことで、そのありがたみが身に染みてわかった。


「この仕事が終わったら、しばらく休みをもらおうと思います。いや、絶対に貰います。だからそれからはしばらく君とふたりで静かに過ごしたいです」


 そう言うと、リディアは顔を上げ、はちきれんばかりに笑顔を作った。


「はい。待ってますシュナク様」


 リディアの手が離れ、彼女はいつもの明るさで私を見送った。

 私の心も明るくなり、ググルの村に向かって飛び立った。



 

 



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