第二十一話「風の中の放熱」
翌日、外は青空が広がり道に生える植物を濡らす雨露がキラキラと光り、なんとも清々しい景色であった。
早起きをしていたのは例によってシータスと、同部屋のセインだ。
旅支度と身支度を手早く終え、二人は暫く雑談などを交わしながらくつろいでいたがそれもやがて途絶え
「少し、外を歩いてくる」
とセインはクロークをはおって扉の前に立った。
「ああ、朝食の時間までには戻ってこいよ」
と言うシータスの言葉を聞くと黙って頷き、部屋から出て行く。
シータスはその姿を見届けるとベッドに横になって気に入りの小説を広げた。
部屋を出たセイン。
すぐに気が付いたのは微かにどこかから少女の歌声が聞こえてきた事だった。
その声は紛れもなくリリアナのものだ。
どこから聞こえるのだろうと耳を澄ましながら廊下を歩いていくと、やがて二階のバルコニーに辿り着いた。
リリアナの小さな背中がバルコニーの端に見える。
歌はなんとなく聖歌のようだと思ったセインはクロークのフードを被り、バルコニーの壁にもたれかかって腕組みをし彼女の背を見ながら歌が終わるのを待っていた。
やがて、何かの歌を歌い終えたリリアナ。
セインはそれを見て、ゆっくり歩み寄りながら彼女に声をかけた。
「リリアナ」
「あっ、セインさん?あ、おはようございます!」
振り返ったリリアナは少し驚きながらも丁寧にお辞儀をしながら挨拶をする。
「ああ……おはよう……」
おはよう。なんだか久しぶりにその言葉を口にした気がする、とセインは自分の口に手を当てた。
そんな彼の姿を不思議そうな目で見つめるリリアナ。
セインは咳払いをひとつし、
「歌が聞こえてきたんで見に来た。何の歌なんだ?」
と訊ねると、彼女はちょっと恥ずかしかったようで先程のセインと同じ仕草をした後、
「あ……ごめんなさい、うるさかったですかね?」
少し申し訳なさそうにする。
「いや、綺麗な歌声だった。聞いていて安らぐ……聖歌のように聞こえたが……」
「えへへ、ありがとうございます。はい、あの、讃美歌なんです。今日は礼拝の日なので出発前に礼拝を済ませておこうと思いまして……」
綺麗な歌声という言葉に気恥ずかしくなりながらもそう答えた。
なるほど、見れば確かに彼女は手にロザリオのネックレスを持ち、バルコニーの柵の縁の部分には木彫りの聖母像が置かれている。
「俺も一緒にいいか?……歌は歌えんがな」
「えっ、あっ、はい、もちろんです。私も後はお祈りだけですし」
予想に反したセインの返答に戸惑いながらも笑みを浮かべるリリアナ。
彼女の笑顔を見て、つられるようにセインも微笑み胸元から瑠璃色のロザリオのネックレスを取り出した。
「それは……?」
「母の形見だ」
セインは木彫りの神像の前でロザリオを手にして手を組むと、ゆっくり目を閉じた。
リリアナもその隣で同じように祈りを捧げる。
祈りを終えると二人は顔を見合わせ、それぞれの部屋へ戻って行った。
朝食を終えた六人は早速、町を出る準備をし再び移動を開始した。
先頭を歩くのがシータス。
後ろに続いてイリヤとラビアンが並ぶようにして、その後ろにセインとアリスが肩を並べて、彼女の後ろにつくように最後尾はリリアナ。
充分に心身を休ませる事の出来た一行の足取りは軽かった。
イリヤとラビアン、アリスとセインはそれぞれ何か雑談を交わしながら歩みを進める。
楽しそうにセインに話し掛けるアリスに、セインも無表情ではあったがいつもよりリラックスした表情で彼女の話を静かに聞いていた。
リリアナはこの二人の様子を後ろからなんとなく眺めていた。
冷たい空気に少しだけ湿り気を帯びた強い風は二人の会話をリリアナの耳には届かせまいとしているようで、それは彼女の心に波風をたてていくようだ。
ただ、風が吹く度になびくアリスの髪は美しく靡き、元々容姿端麗な彼女はリリアナから見ていても確かに美しく、普段は人の顔をあまり見ようとしないセインでさえ彼女に見惚れているように思えた。
面白く……無い。
そう思ってしまった。
リリアナは彼ら二人が親しそうにしている様子を素直に喜ばしい事だと思えずにいた。
二人とも、とても楽しそうなのになんでこんなにイライラしちゃうんだろう。
会話に入れないからかな?
ダメだ、こんな気持ち。
性格悪いなぁ、あたし……。
リリアナは自分の中の気持ちを振り払うように、首をぶんぶんと降った。
二人から気を紛らわせなきゃ。
すると、その時セインが振り返り
「リリアナ、後ろを歩くな。さっきからお前の様子が気になって仕方ない。俺の目が届く前か隣を歩け」
とリリアナにそう声をかけた。
セインはアリスの顔に見惚れていたわけじゃなく、視界の隅に映るリリアナの姿を気にしていたようだ。
彼からの急な呼びかけに面食らっていたリリアナだがすぐに笑顔になり、
「はいっ、わかりました!」
と明るく返事をし、もう片側のセインの隣を歩いた。
嬉しい。
ずっと自分の事を気にしてくれたなんて。
もっと自分の事を見て欲しい。
もっと傍にいたい。
そこまで思った所でリリアナは、はっとした。
この気持ちは……?
自分を見てほしいって思った。
もっと傍にいたいと思った。
アリスさんと楽しそうにしてるのが嫌だと感じてしまった。
一昨日の夜にセインに聞いた言葉を思い出す。
『恋心だ。そばにいたいと思ったり……』
今やっと自覚した。
自分のセインに対するこの浮ついた気持ちが、恋なのだと。
「どうした?」
セインの低く落ち着いた声が、風が乗せる彼の匂いが、宝石のような紫色の瞳が、彼女の胸を強く高鳴らせた。
どうしよう、こんなに胸が苦しいなんて。
セインの何もかもが、自分の心を大きく動かしていく。
「なんでも……ないです」
リリアナは平静をとりつくろいながら彼を安心させるようにニッコリ笑った。
「そうか。ならいい」
セインは一言そういうだけだったが、彼が気を配ってくれているのがリリアナには充分伝わっていたし、それが嬉しくてたまらなかった。
しかし、そうなるとより気になってくるのはアリスの存在だ。
多分だけれど、彼女もセインに好意をもっている。
実際、リリアナのその予感は当たっている。
そもそもシータスでさえ、アリスの気持ちに気付いているのだ。
しかし、次第にセインに惹かれて行ったリリアナの恋心とは違い、アリスのほうは一目惚れに近かった。
端正な顔立ちに戦闘では周りを圧倒させる強さをもつ。
無駄の無い動き、冷静な判断力。
今までアリスの周りにいなかったタイプの男性だ。
そして意外性のあるさりげない優しさと漫画を読んでいたりする素朴なところ。
彼の見せる表情も声も匂いさえも、彼女の感性を刺激する。
そして何よりも安心するのだ。
低く落ち着いた声とたまに見せるその穏やかなその表情に。
セインの隣を歩くアリスはじっと彼を見つめた。
リリアナを気遣う彼の姿を見て、アリスの中に嫉妬という感情は生まれなかった。
まるで妹を気遣うさまに見え、アリスにとっては微笑ましい光景だったしむしろ愛情あるセインの一面を見られて嬉しい気持ちのほうが強かった。
叶うのなら、ずっと一緒にいたい。
その姿を一番近くで見ていたい。
アリスは少しセインのそばに寄り添って歩いた。
暫く歩き続けた夕暮れ前に、その和やかな空気は打ち破られた。
空から獲物を狙う視線にハンターのイリヤが誰よりも早く気が付き、素早く弓を構えた。
「ヘルダイバーだ!」
イリヤはそう怒鳴ると同時に矢を放つ。
しかし矢は敵の翼をかすめただけで致命傷にはいたらなかった。
「ちぃっ!くそっ!」
イリヤ以外の五人も上空の脅威に目をやった。
鷹のようにも見える怪鳥であったが、その姿は信じられないほど巨大だ。
まるで人が空を飛んでいるようにも見えた。
太陽の光を背に受けながら、どうやら一番小柄なリリアナに狙いを定めているような目つきを向けている。
すかさずイリヤが再び矢を引き、アリスも武器を抜いて目標に狙いを定めた。
近接武器しか持たないシータスとセインは、一応にも武器を構えつつも上空の敵になすすべ無しだ。
ヘルダイバーは翼をすぼめ攻撃態勢をとり、無防備なリリアナ目掛けて光のような速さで滑空した。
「くるぞ!」
「!!」
自分が標的だと気付いたリリアナ。怯えながらすぐに身をかばう姿勢をとった。
だが、覚悟していたような痛みはやってこない。
恐る恐る目をあけると、ラビアンが結界を張ってリリアナの前に立ちはだかっていた。
「ラビアンさん!」
「リリアナちゃん!私達はこのまま結界の中で防御体制をとるよ!」
「はい!」
結界にはじかれたヘルダイバーは羽を数枚撒き散らしながら再び上空へ戻って行く。
「でかしたラビアン!」
威勢の良いイリヤの大声と共に空気を切り裂く矢の音が耳に届く。
「キエェェーーッ!!」
ヘルダイバーの悲鳴が空に響きわたった。
血飛沫が上空から舞い、ポタポタと地上の六人にも降りかかる。
尚も飛翔を続けるヘルダイバーにアリスがトドメを撃った。
「ごめんね鳥ちゃん!」
狙撃銃から吐き出された銃弾は胸を貫通し、巨大な敵は一瞬うめき声をあげその後力を失い、重々しい音と共に砂埃をあげて地上へ沈み込んだ。
その目標地点へ、シータスとセインが近寄り生死を確認する。
かつての上空の強者は口から少しばかりの血を吐いて、ほんの少し痙攣していた。
もう虫の息だ。
それがわかると二人は武器を鞘におさめて様子を窺う四人に黙って頷いて「もう大丈夫だ」という合図を送った。
四人は安堵の色を浮かべたり、ため息をついたりしながらヘルダイバーの落下地点に歩み寄る。
しかし。
セインは自分のクロークを広げ、近寄ってきたリリアナの視界を遮った。
驚いた様子でリリアナがセインの顔を見上げる。
「お前はやめておけ」
静かに添えるセインのその意味を察したリリアナはふっと顔を伏せ
「そうですね……」
背を向けて成り行きの終わりを待った。
案の定、セインとリリアナ以外の四人は「この獲物をどうするか」という話し合いを始めた。
「……まだ、つらいか」
セインの静かな問いかけにリリアナは座り込んで
「……はい……」
と小さな声で呟くように答えた。セインもそれを聞き、ため息をつきながらリリアナの隣に座り込み、虚ろな瞳の色を地面に向けていた。




