第九話「すれ違い」
「とりあえず生きてて良かったとか今までどこにいやがったんだとかこっちはメチャクチャ迷惑したんだぞとか言いたいことは山ほどあるがその前に一ついいか」
額に青筋を浮かべた青年が、唇の端をひくひくと痙攣させながら無理やりに怒気を抑え込んだ低い声で言う。
燃え立つような赤みがかった金髪に、夕焼けのようなオレンジ色の目。
彫りが深く、くっきりとした濃い金色の眉が意志の強さを示すかのような顔立ちをした長身の彼は、あまりの怒りにノンブレスになっているが、それを指摘するものはいない。
「どうぞ」
そこに合いの手を入れたのは、同じく無理やり怒気を抑え込み、こちらは頭痛をこらえるように額に手を当てた青年だ。
青銀色の髪に凍りついた湖を思わせる青の目、すっと通った鼻梁に細い銀縁フレームの眼鏡をのせた薄い唇の彼はやや神経質そうな印象だが、中肉中背のその身はよく鍛えられている。
二人とも、黒地に銀を差し色にした第一師団の軍服を纏っており、左胸に数々の略式勲章が輝いていることからかなりの立場の人物であることが分かるが。
「お前らは特殊性癖のバカップルか!」
遠慮のえの字もなく吠えるように怒鳴りつける、その言葉は師団長であるゼレク・ウィンザーコートに対するものだというのに、敬意の欠片もなく辛辣だった。
「なんだその首輪とタグのネックレス! お揃いか! 仲が良いのか! そりゃあ結構なことだが外でやるんじゃねぇよお前は自分が救国の英雄なのをいいかげん自覚しろやこの究極の面倒くさがり男がぁぁぁ!!!」
そうして相変わらずほぼノンブレスで叫んだのは、赤みがかった金髪の青年、団長補佐官であり、ゼレクの幼馴染みでもあるジェド・ウォーレンである。
もう一人の青年、第一師団の副師団長で、二人の軍学校の同期でもあるフォルカー・フューザーは、片手で銀縁フレームの眼鏡の位置を直しながら淡々と言う。
「百歩譲ってその首輪についてはひとまず置いておくとして、あなた方はいったい何がどうして、どういう状況になってるんですか? というか、誰も彼女を取り上げたりしないので、いいかげん解放してやってください、師団長。なんでそんなにガッチリ抱きかかえてるんですか。お気に入りのヌイグルミを抱える幼児じゃないんですから、もうすこし年齢に相応しいふるまいというものができないんですかこの三十二歳児は」
第一師団所属の兵士が暴走し、マリスが死にかけて“クロ”ことゼレク・ウィンザーコートがそれを阻止した翌日。
ゼレクは騒動の後、当然のようにマリスを連れて転移魔術で彼女の部屋へ戻り、一晩、鉄壁の防御を敷いて外部のすべてを締め出し、彼女に必要な手当てをした後いつものように二人で眠った。
しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、マリスが目を覚ました翌日の昼、だいぶ回復した彼女が「いつの間にか帰ってきてるけど、昨日は私、どうしたんだっけ?」と首を傾げつつも用意した食事をとって少し休憩したのを眺めた後、防御壁を解いたのである。
するといったいいつから待機していたのか、彼の補佐官と副長が勝手に鍵を開けてずかずかと乗り込んできて、現在に至る。
「おいゼレク! そっぽ向いてんな! お前の話だよお前の! っつーかそっちのお嬢さんもなんでそんな不思議そうな顔? 俺の言ってる言葉通じてるか?」
怒った様子のジェドにたたみかけるように言われ、はぁ、とゼレクの腕の中のマリスは戸惑い顔でつぶやく。
彼女としては、死にかけた翌日にいきなり見知らぬ青年二人が自宅に突撃してきて訳の分からないことを言い連ねるので、反応のしようがないのだ。
なので、初歩的な質問をすることにした。
「あの、すいませんが、お二人はどちらさまですか? 第一師団の方だということは分かるのですが、ええと、どうしてそのような方々が、私の部屋に?」
は? と、今度はジェドとフォルカーの方が間の抜けた顔で固まった。
そして数秒後、二人はほぼ同時に我に返り、ギギギッと軋む音がしそうな動作でゼレクを見る。
救国の英雄は彼らの会話が始まったほぼ初めからそっぽを向いていて、暇つぶしなのかずっと膝の上に抱いているマリスの左手を取り、ひらひら振ってみたり輪郭をたどってみたり爪を撫でてみたりしている。
“クロ”に甘いマリスが好きなようにさせているのを良いことに、やりたい放題である。
しかも、「この自由過ぎる三十二歳児め」という目で二人の昔馴染みから睨まれるのにもどこ吹く風で、まったくの無表情のままマリスの手で遊び続けているのだから、心臓に毛が生えているとしか思えない図太さだ。
「これは……、コイツ、何も言ってねぇな」
と、頭痛そうにジェドが言い。
「そういえばゼレクは人前に出る時、だいたい兜被ってましたし、出撃前でさえ演説するタイプではありませんからね。言われなければ彼女が気付かないのも、無理はないですね」
と、ついに頭を抱えたフォルカーが言う。
二人は深いため息をついて顔を見合わせると、もう一度とても深いため息をついて、ここは俺たちがやるしかない、と頷きあった。
改めてマリスに向き直り、まずはフォルカーが口を開く。
「名乗りもせず、失礼いたしました、マリス・ラークさん。我々は今あなたを幼児のように拘束しているバカ……、いえ、第一師団長ゼレク・ウィンザーコートの部下です。私は副長のフォルカー・フューザーと申します。こちらは師団長の補佐官です」
「ジェド・ウォーレンだ。うちの師団長が物凄く大変に迷惑をかけて、本当に申し訳ない。しかも俺たちまでこんな礼儀知らずなありさまで君の家に踏み込んでしまったこと、心から謝罪する。すまなかった」
最初の勢いが幻だったかのように、二人は揃って丁寧に謝罪した。
驚いたマリスが慌てて「そこまでされずとも、どうぞお気になさらず」ととりなすと、さっと身を起こして真剣な表情で「この詫びは必ずさせていただくが、今はお言葉に甘えて」と話を続ける。
「じつは我々は、ずっとそこのバカを探していたのです。このアホは救国の英雄と呼ばれ、第一師団という部隊を率いる師団長という立場にありながら、一月ほど前から行方をくらましておりまして」
バカだのアホだの、救国の英雄で彼らの上官であるはずなのに、ひどい言われようである。
先ほどは三十二歳児とか、究極の面倒くさがり男、とも言われていたので、今さらかもしれないが。
でもまあ、一ヵ月も行方不明になっていたら、それは誰だって怒るだろうな、とマリスは思った。
要するに彼らはゼレク・ウィンザーコートのことがとても心配で、それゆえに見つかった安堵に怒りが混じって過激すぎる言葉が抑えきれず飛び出してしまっているのだろう。
ちょっと飛び出しすぎている気が、しないでもないけれど。
ゼレク・ウィンザーコートという人は愛されているのだな、と思う。
が、その人の話と自分がどう繋がるのか、マリスはいまだにさっぱり理解していなかった。
そこにいる、とか、マリスを抱きかかえている、とか言われても、彼女の隣にいるのは黒い犬のクロなのだから。
いつものようにぴったり寄り添ってはいるけれど、犬が人を抱きかかえられるわけもないし、まさかクロが、彼らの言うゼレク・ウィンザーコートという名前で、第一師団の団長をやっているなんてこともありえないだろう。
なにしろ彼は犬だ。
なのでジェドとフォルカーの話が一通り終わったところで、マリスは質問してみた。
「それで、あなた方の上官であるゼレク・ウィンザーコート師団長さまは、どこにいらっしゃるんですか?」
数秒、時が止まったような沈黙が降りた。
「えっ?」と虚を突かれた顔でジェドとフォルカーが驚き。
「えっ?」と二人に驚かれたことにマリスが驚き。
ただ一人、相変わらずマリスの左手で遊ぶゼレクが、彼女の手を優雅にひらひらと揺らしていた。