第七話「出勤するなり修羅場」
「いいからやれ! 見つかるまでやるんだ!!」
「そ、そんな無茶な……っ、うぁっ」
「貴様、口答えする気か?!」
その日は出勤するなり修羅場だった。
黒地に銀の差し色がある特徴的な軍服は第一師団のものだろう。
それを纏った年若い軍人が、血走った目をして片腕で同僚を締め上げながら、もう片方の手で魔道具を突き付けている。
「何も無茶なことは言っていないだろうが! ただ見つかるまでこの魔道具に魔力を供給しろと言っているだけだ!!」
なるほど、それでこの惨状か、とマリスは理解した。
彼らの足元に六人の同僚魔術師が倒れている理由はそれだろう。
口ぶりから誰かを、あるいは何かを必死で探しているようだと分かるが、とんだとばっちりである。
しかし現在のこの国において、救国の英雄ゼレク率いる第一師団の権力は絶大。
彼らに「やれ」と言われたら、無茶でもなんでもやるしかない。
そういう空気が、ある。
「ラ、ラーク」
だから締め上げられている同僚に見つかって名を呼ばれ、振り向いたその軍人の血走った目に捕捉された瞬間、マリス・ラークは腹をくくった。
マリスはこの職場で、立場的に最下位に当たる。
魔術の腕前では今締め上げられている同僚の男よりも上であると自負しているし、それを口に出しはしないものの認めているらしい上司からも相応の扱いを受けているが。
孤児院出身で何の後ろ盾も無い自分が、今ここでできることは命令に従うことだけだ。
外出か休憩か、不在の室長だけが今はただ一筋の希望。
下っ端の魔術師ごときでは止めきれずとも、この部署をあずかる室長ブライス・エルダーレンであれば、彼を止められる可能性がある。
誰かそれに気付いて、彼を呼んできてくれるといいのだが。
部屋に入る前に自分が気付いて呼びに走れれば良かったが、周囲にあまり注意を払わず惰性で職場に来てしまってから状況を把握したというのは、自業自得以外の何ものでもないから文句は言えない。
しかも誰かが彼を呼んでくれたとしても、それまで自分がもつかどうかは五分五分といったところで、勝率は低いが今の自分にはそこに賭けるしかないと分かっていた。
だがマリスは、魔術の腕前だけでなく、孤児院からさらわれるように連れ去られた原因である先天的な魔力保有量の多さにも、それなりに自信を持っている。
すくなくとも自分が魔道具への魔力供給を続けられているうちは、これ以上の犠牲者を出すのを防ぐこともできる。
それに、まともな嫁入りをなかば諦めている自分は、多少の傷物になろうとかまわない、という気持ちがあった。
今さら傷物になることなど恐れはしない。
そんなことよりも、下っ端とはいえ王城魔術師としてそれなりの仕事をしてきたのだという矜持にかけて、こんなところで負けてやるものか、と。
そんなことを考えていると、ふと、昨夜、泣く犬をこの腕に抱きしめて「だいじょうぶ」とささやいた記憶が脳裏をよぎった。
瞬間、なによりも強く、思う。
――――――そう、大丈夫。私はあの子を、独りぼっちになんて、させない。
心は一点に定まり、マリスはぐっと顎を引くように頷いて手を差し伸べた。
「承りました」
締め上げていた同僚を無造作に捨てた青年が大股で歩いてきて、差し出されたマリスの手に魔道具を置くと、その手のひらを突き刺すようにぐっと押す。
「手を抜くな」
こいつはここにいる魔術師を全員殺す気ではないか、と思ってしまうほど鬼気迫る形相で言われるが、マリスは押し付けられた魔道具を握りこむと、視線をそらすことなく頷いた。
女の身で王城魔術師にまでなったマリスは根性も度胸もある方だが、第一師団は武術と魔術の両方を修めた最精鋭のみが配属されるエリート集団だ。
そのせいで実戦に駆り出されることが最も多い部隊でもあり、修羅場を踏んだ数も他の部隊とは桁違いに多い、名実ともに国内最強の存在。
そんなレベルが違い過ぎる部隊の一員である男に間近で凄まれて、マリスとて内心では気圧されている。
けれど、絶対に生きて帰ると、心はすでに定まっているから。
あの子を一人で泣かせたりしない、と。
そうして突発的に巻き込まれた災難へ挑んだマリスの、地獄のような時間が始まった。
◆×◆×◆×◆×◆
会議が長引いた。
そんないつものことが、こんな事態を引き起こすなどと、いったい誰が予想できただろう。
「クソッ、おい、ラークはまだ生きてんのか?!」
「私が見た時はまだ生きてましたけど、正直今は分かりません!」
「正直すぎんだよテメェは! こういう時はもっと希望のあることを言えやちくしょうめ! ああクソッ、第一師団の横暴は今に始まったこっちゃねぇが、さすがに今回のは軍法会議もんだぞ!!」
恥も外聞もなくドタドタと廊下を走る室長ブライス・エルダーレンは、物理的にも魔術的にも完全封鎖された会議が長引いた理由を思い出しながら、激しい頭痛を覚えた。
会議が長引いたのも、今自分が廊下を全力疾走するはめになっているのも、同じ問題が発端だ。
救国の英雄、第一師団の団長ゼレク・ウィンザーコートの突然の失踪。
秘密裏に召集された最精鋭が昼夜問わず探索を続けるも、何の手がかりも得られないまますでに一ヵ月を超える行方不明。
そしてついに追跡部隊のうちの一名、とくにウィンザーコート師団長の熱烈な信奉者である第一師団の兵士が、この件を内密に収めたい上層部が出す「派手な行動は避けろ」という方針や、いっこうに進まない捜索に焦れ、上官の元を離脱して暴走――――――
各部署ともに厳重な注意を、と言われた直後に飛び込んできた急報であった。
いまだ戦後の余波が響く今という時期に起きた英雄の失踪、という会議を完全封鎖せざるをえないその問題についてはブライスではどうにもならないことだったが、現在進行形で命の危機にさらされている部下の救出だけは絶対に間に合わせねばならない。
危機を報せに来た部下ウィル・コールジットに「急いでください!」ともどかしげにせっつかれ、こちとら五十過ぎの老体だぞふざけんな、と怒鳴りたいがすでに息切れを起こしているせいでそれもできず、彼はとにかく走った。
室長に泣きつきに来た部下は三人もいたので、他の二人はそれぞれ別の、唯一この事態を力ずくでどうにかできそうな第一師団の幹部たちのところへ伝令に走らせたが、それも間に合うかどうか分からない。
魔力は生命力と密接に結びついている。
ゆえに魔力の使い過ぎが死に直結することなど、誰もが知っているというのに。
暴走した一人の青年軍人は、魔術師たちの命を使い捨てにしてでも自分の任務を遂行しようとしているらしいというのだから、たまったものではない。
「ラーク! まだ生きてっか?!」
ようやく辿り着いたその部屋は、凍り付いたような静寂の中にマリス・ラークの荒い呼吸音だけが響いていた。
息を切らせながら蹴り飛ばすように扉を開けた室長ブライスが、ずかずかとそこへ割って入り、マリスが魔力を供給している魔道具から彼女を引き剥がそうとする。
しかし。
「邪魔をするな!」
第一師団の軍服を纏った青年に襟首を掴まれて突き飛ばされ、ブライスは近くにあった机の上のものを巻き込みながら床に倒れこんだ。
見上げた男は明らかに正気を失いつつあり、その目には彼の邪魔をした室長に対する激しい怒りが見て取れた。
しかし、その程度で怯んでいる場合ではない。
「テメェか! 俺の部下を殺しかけてるっつうアホ野郎は!」
床に倒れこんだ体はすぐには動かせず、職場にこもりきりで運動不足な身に鞭打って廊下を全力疾走してきたせいで、いまだ息切れがおさまらない。
しかしブライスと同じように床に倒れ伏したまま、ぴくりとも動かない六人の部下は見たところ何の手当てもされておらず、今も魔道具への魔力供給を強制されているマリス・ラークの虚ろな目は明らかに生命に危険を及ぼすレベルの消耗を示している。
ここで激怒しないほど、枯れているわけでもなかった。
「鼻タレ小僧の分際で俺の部下に何してくれやがんだ、あ゛あ゛?! 軍法会議にかけられる前に俺にぶち殺されてぇのかクソ野郎が!!」
「はっ! 軍法会議だと? なぜ私がそんなものにかけられねばならんのだ! 私は己の任務を遂行するために行動しているだけだ!」
言い合いながら、ほとんど同時に両者から攻撃魔術が放たれ、空中で衝突して派手な火花が散る。
室長と一緒に部屋に戻ったウィルがその隙にマリスの元へ駆けつけ、魔道具から引き剥がそうとするが、彼女に触れようとした手を不可視の防壁に弾かれた。
すぐさま厄介な状況になっていると気付き、ざっと血の気が引くのを感じて体が震える。
どうやらこの暴走男、マリスの魔力が尽きるまで魔道具から離れられないよう、何らかの魔術をかけたらしい。
他の魔術師たちにもそうしたのか、マリスが若い女だからというので、途中で泣いて放り出すようなことはさせまいとしたのかは分からないが。
「おいおい、これでもラークは王城魔術師だぞ。本当に殺す気なのか……!」
そしてマリスの先天的な魔力保有量の多さが、良い方にも悪い方にも働いていた。
良い方は、室長と彼が間に合ったこと。
悪い方は、マリスの膨大な魔力によって限界を超える稼働を強いられた魔道具が暴走しつつあり、このままでは内部崩壊を起こして大爆発しかねないということ。
マリスの前に六人もの魔術師によって酷使されていたその魔道具は、設定された対象を発見できないまま虚しく空転を続けており、焼けついた内部回路から漂う異臭とともに、きしむような不気味な音を立てている。
もういつ壊れてもおかしくない魔道具が大爆発を起こす前に、どうにかしてマリスから引き離さなければ、彼女の命が危うい。
しかしそれを邪魔する魔術を解かないと、引き離すどころか触れることもできない。
悪態をつきながらウィルが青年軍人のかけた魔術を解析しようとしたところで、その声はふいに響いた。
『マリス』