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番外小話「祝宴夜話」

マリス嫁入り後、息子出産前の辺境都市でのある日。



 元・第一師団副団長であり、現在はサウザーミスト伯爵家に仕えるフォルカー・フューザーの結婚が決まった。

 めったにない慶事であるというのに、そうか、と常のごとく無言で頷くのがゼレク・サウザーミスト次期辺境伯の返事であったが、今日ばかりは隣にいた妻マリスが黙ってはいない。


「おめでとうございます、フォルカーさん! ぜひお祝いしましょう!」


 そんなわけで、たまたま領主館に顔を出したジェド・ウォーレンも巻き込んで、顔馴染み四人で突発的に祝宴が開かれることとなった。

 予定外のことであるため、いつもより少しばかり豪華な食事に良い酒を蔵から出してきただけなのだが、祝宴は祝宴である。


 第一師団にいた頃から、男三人の中でもっとも事務処理能力の高いフォルカーに、他二人は頭が上がらないことが多かったが、今日ばかりは立場逆転。

 酒の入った席では気分も軽く、とくに組んで動くことの多かったジェドがすでに結婚していたこともあり、三人の中で一番最後に身を固める決心をしたフォルカーを、ここぞとばかりにからかった。


 酒を飲まないマリスは、食事の後も部屋を移して酒盛りを続ける男たちを、果実水のグラス片手に微笑ましく見守る。

 もう片方の手はほとんど無意識に、いつの間にか彼女の膝を枕に寝入ってしまったゼレクの髪を撫でていた。


 グラスを傾けて喉を潤したマリスは、ふと、しんと静まり返った部屋に気付いて顔をあげる。

 先ほどまでからかうジェドと、少しばかり照れた様子でやり返すフォルカーがさかんに言い合っていたのに、なぜか二人とも、マリスの膝枕でぐっすりと眠るゼレクを見ていた。


 どうしたのだろう、とマリスが小首を傾げると、ぼやくようにジェドが言う。


「まさか、ゼレクがうたた寝する日が来るなんてなぁ」


 同感です、とフォルカーが頷く。


「マリスさんのおかげで、だいぶ人間に近付いてきましたね」


 そんな言い方をされると、マリスは苦笑してしまう。


「それは、当たり前じゃないですか。彼は最初から人間だったんでしょう? 私には犬に見えてしまっていましたけど、お二人はずっと、人として接していたじゃないですか」


 すると、今度はジェドとフォルカーが顔を見合わせ、苦笑した。


「いやいや、マリス嬢、こいつ五日くらい寝なくても平気だからな。普通の人間じゃ、ありえねぇって。だからそういう意味じゃあ俺ら、こいつを人間扱いしたこと無ぇんだ」

「寝ると勘が鈍るからといって、わざと寝ないで動き回ることもありましたねぇ。あなたはそうでも、他の普通の人間はそうじゃないんですよ、と言ってもまるで理解してもらえませんし。それならついてこなくていい、と単独行動しようとしますし……」


 苦笑していたフォルカーが、言葉の途中から遠い目になる。

 つられたように同じく遠い目をしながら、ジェドが頷いた。


「ああー、先の戦争の時のアレな。こっちは三交代制で追いかけるのに必死だっつぅのに、こいつは五日目でも絶好調で暴れまわりやがって、後ろから殴り倒さないよう我慢するのに苦労したぜ……」

「あなたもでしたか。私も、この猛獣はどれくらいの力で殴れば気絶させることができるのかと、何度考えたか分からないくらい考えましたよ。半端な力で殴っただけでは気絶しないどころか、避けられて敵と認識されたあげく、最悪こちらが反撃で殺されますからね……。団長が気絶すれば眠れる、ということしか考えられなくなった時は、さすがにマズいと気付いて強引に休養時間をもぎ取りましたが、あれは危なかったです」


 元・第一師団の団長補佐官と副長の言葉には、さすがに深い実感が込められている。

 先の戦争で『救国の英雄』と呼ばれるようになったゼレクの元で、どれほどの激戦をくぐり抜けてきたことか。


 戦場に立つことはなく、下っ端王城魔術師の一人として、壊れた魔道具をひたすらに修理し続けていただけのマリスには想像もつかない。

 だから彼女はこうした話になると、いつも黙って聞いているばかりだったのだが、祝宴のやわらかな空気感のおかげか、今日はふと口が動いた。


「そういえばお二人とも、旦那様がこちらに来てから、わりとすぐにいらっしゃいましたよね。とくに副長だったフォルカーさんは、次の団長になられる方と思っていましたから、驚きました」


 英雄として一目置かれるゼレクが抜ければ、彼とともに先の戦争を戦い抜き、戦後もその副官として巧みに立ち回ってきた二人に注目が向かうのは当然の流れだ。

 ゼレクの性格のせいもあって、普段からお互いに遠慮のない物言いをするので、それなりの信頼関係があってのことだろうとは思っていたが。

 王都に残れば出世は確実にあっただろうに、まさかそれを蹴ってさびれた辺境都市まで道を共にするほどであるとは、マリスにはまったくの予想外だった。


「それに、なんというか、すごく今さらなんですけど……。お二人とも、旦那様が大きな獣の姿になった後も、まったく態度が変わらなかったですよね」


 だからなんだ、という話なのだが、マリスは以前からそれが少し気にかかっていたのだ。

 ゼレクがあんな姿になったのは、あれが初めてのことだと本人に後で聞いて知っていたけれど、それにしてはこの二人の態度はあまりにも変わらなさすぎて。

 まるで、ずっと前から知っていたかのようで。


「いやまあ、驚いたといやぁ、驚いたんだがなぁ」


 考え込むようなしばらくの沈黙の後、ふと笑って、ジェドが言った。


「たぶん俺だけじゃなく、戦場でのゼレクを知ってるやつはみんな、驚くより納得しちまうんじゃねぇかと思う。あー、やっぱただの人間じゃなかったのか、っつう感じで」


 酒杯を傾けて喉を鳴らしてから、フォルカーも言う。


「ですねぇ。驚きよりも、そうだったのか、だからあれだけ強かったのか、という納得の方が大きかったです。戦場での彼を見たことのないマリスさんには分かりにくいかもしれませんが、とにかくゼレクは規格外ですから……

 だから私には、最初から彼の次に団長になる気なんて、まったくありませんでしたよ。そんな話がもし回ってきたら、全力でジェドに押し付ける予定でした」


 元・副長の言葉に、名前を出された元・団長補佐官が隣から半眼で言う。


「そりゃこっちのセリフだ。俺だって、もしもの時は全力でお前に押し付けてやる予定だったさ。誰がゼレクの後任なんぞやるかよ。そんな面倒な立場になるくらいなら、ゼレクの下で文官やってる方がまだマシだぜ」


 ゼレクの下で文官をやるのは二度とごめんだ、と断言してサウザーミスト伯爵家の私兵となったジェドが言うと、それは大変に説得力があった。

 二人とも、よほどゼレクの後任になるのが嫌だったらしい。


 国一番のエリート集団である第一師団の長といったら、とても名誉ある地位なのに、どうしてだろう? とマリスが不思議そうな顔をすると、フォルカーが察して説明してくれる。


「いくらゼレクが規格外だと言っても、見たことが無い者はそれを正確に理解できません。そして書類の上では、ゼレクが単独であげた功績であっても、第一師団の戦功であるとみなされます。このため上からは、ゼレクがいなくなった後も当然のように同じ働きをすることを求められるんですよ。

 軍事組織というのは、一人が抜けた程度では揺るがないようつくられているものですがね。彼はあまりにも特出して強すぎました。彼の抜けた穴を補えるような傑物は、そうそう出てこないでしょう。

 そして後任は、それを理解しない上層部に無茶な命令をされることが予測される、というわけです」


 なるほど、それはやりたくない。

 とてもやりたくない、とマリスは納得した。


 フォルカーの説明に、うんうん、と彼女と同じように頷いたジェドが言う。


「ろくに軍議に参加しねぇくせに、戦場に出ればド派手に暴れまわる囮部隊にゃ見向きもせず、誰よりも先に大将か軍師の首を取るし。どっかから魔術師に攻撃されたと思った次の瞬間には、その居場所突き止めて仕留めに走るし、実際に仕留めてくるし。

 後から、なんで分かったんだ、って聞かれても返事なんてしねぇし、まず本人が自分が何をしたのか、まったく理解してなさそうだったしなぁ。

 お前は獣かと。相手の急所を見抜く特殊能力持ちの野生動物なのかと、何度襟首掴んで揺さぶってやりたくなったことか……

 本当にな。ゼレクの代わりになるようなやつは、あと百年か千年は出てこないだろうよ。というか、そうポンポンこんなとんでもねぇやつが出てきてたまるか、って話だな」


 溜まったものを吐き出すようにジェドが言い、酒を飲みながらそれを聞き流したフォルカーが話を戻す。


「というわけで、最初から我々にはゼレクの後任になる気は無かったんですよ。とはいえ、王都では彼の副官として注目を浴び過ぎましたからね。ほとぼりを冷ますという意味でも、ここに来るのが一番条件が良かった。それだけのことですから、マリスさんが気にするような意味はありませんよ。

 それに、我々より先に、部下たちもゼレクに付いて来ていますからね。これでだいぶ第一師団の人員が入れ替わりましたから、上層部もさすがに、新設部隊のような状態になった第一師団へ無茶な命令を下すことはないでしょう」


 そんな意図もあったのかと、マリスは目を見開いた。

 確かにフォルカーの言う通り、ゼレクが抜けただけならまだしも、部隊の司令官が三人も入れ替わり、隊員もごっそりと変わってしまった第一師団には、さすがに上層部だって以前と同じ働きができるとは期待しないだろう。


 けれどそれとは別に、彼らは賑やかな王都での暮らしに慣れた人であり、その中枢に近いところで巧みに立ち回れるほどの能力を持った人物でもある。


「それじゃあ、ほとぼりが冷めたら、王都へ戻ったりすることも予定の内ですか?」


 踏み込み過ぎた質問であると理解しているから、返答されずとも構わなかったけれど、すでに結婚しているジェドの妻も、フォルカーの婚約者となった女性も、この地で生まれ育った平民だ。

 もしも彼らに王都へ戻る予定があるのなら、置いていくか連れてゆくか。

 いずれにしても、彼女らにとって大変な難事となることは間違いない。


 次期辺境伯の妻として、あるいは普段から領民達と親しく交流しているただのマリスとしても、すでに目前の男たちと縁を結んだ女性たちの行く末が案じられてならず、それゆえにこぼれた問いだった。


 なにしろ王都では、あまり華やかな容姿でもなく、悪目立ちしないようおとなしく猫をかぶっていた自分でさえボンクラ御曹司に目を付けられ、嫁入り先を見つけられなくなる、という災難に見舞われたのだ。

 ジェドの妻もフォルカーの婚約者も、それぞれに可愛らしく、美しい女性たちだから、いろんな意味で心配になる。

 まあ、自分に目を付けたボンクラ御曹司は、できるだけ近付かないよう距離をおいていたら、どこかの賭博場で莫大な額の借金をしてとうとう実家に見放されたとかで、いつの間にか姿が見えなくなっていたけれど。


 お金はたくさん稼げるけれど、王都は怖いところだ……


 というのが、一連の経験から学んだマリスの感想である。


「王都へ戻る、ですか」


 ボンクラ御曹司と戦争のせいで果てしない連勤状態に陥り、金は稼げたが忙殺されてトチ狂ってゼレクを犬として飼い始めた頃の自分を思考の流れでうっかり思い出してしまい、マリスの意識が遠くなりそうになったところで、フォルカーがつぶやいた。


「最初は考えていたような気もするんですが……。今は、無いですね」

「俺も無いな。来たばっかの頃は何もねぇところだったが、それでも気に入っちまったくらい、ここはいいとこだからなぁ」


 ぽつぽつと、二人が言う。


「サウザーミスト伯の人徳だろうな。領民が貴族に怯えずに安心して暮らしてるから、さびれちゃいるがそれなりにみんな元気だし」

「最近は商人が増えて旅人も増えましたが、とくに反発もなくどんどん受け入れてしまうあたり、寛容でもありますね」

「そうそう。おかげで余所者(よそもん)の俺らでも、最初からわりと普通に話ができたんだよな。同じ国の中でも、軍人とか貴族の私兵ってだけで毛嫌いする平民なんて、どこにでもいるのになぁ」

「それは本当に、サウザーミスト伯の人徳によるところでしょうね。どうも、先代の伯爵も同じような方針で領地を治めてきた方だったようですから、血筋なのかもしれませんが。何にしても、余所者の我々にはありがたいことですよ」


 血のつながりは無いとはいえ、義父を褒められるのは嬉しいものだ。

 マリスが思わず笑顔になって聞いていると、フォルカーがまとめた。


「ですから、やはり王都へ戻るという選択肢は、今のところ無いですね」


 ジェドがそれに付け加える。


「いくら金があって贅沢ができても、常に命の危険に晒されるのは疲れるもんだ。俺たちはもう、そういうのは要らんのさ。平和が一番」


 その言葉に、フォルカーが笑った。


「平和。ゼレクの近くにいてこんなセリフが出てくるとは、いやはや、まったく、世の中というのは分からないものですね」


 ジェドも「違いねぇ」と笑うのに、それまでぐっすり眠っていたゼレクがぱちっと目を開けた。

 マリスの膝を枕にして眠っていたため、向かいの二人を最初に見ることになったその顔は、不機嫌さを隠そうともしない。


 しかし彼はすぐに自分がマリスの膝で眠っていたことに気付き、身を起こすと彼女に聞いた。


「ずっと話をしていたのか?」

「うん。クロちゃんもお話する?」


 話、と言われて、ゼレクは反射的に向かいに座った昔馴染み二人を見た。

 幼馴染みは面白い出し物を期待するような顔でニヤリと笑い、軍学校時代からの長い付き合いである昔馴染みは実験動物を前にした学者のような顔で「さて、これからどう動くかな」と観察するように彼を眺めている。


 昔からこの二人に口で勝てたためしのないゼレクは、即座に戦場放棄した。


「後は勝手にやれ。俺たちは休む」

「えっ。ちょっ、クロちゃんっ?」


 優秀な兵士は、機を見るに敏である。

 急に抱きあげられたマリスは、手にしたグラスにまだ少し入っている果実水をこぼさないよう慌てたが、ゼレクはそんなことなど気にしない。

 彼女にグラスを置く間さえ与えず、大股ですたすたと歩いて部屋を出ていく。



「……平和だな」

「……平和ですねぇ」



 そして背後から響いた二つの笑い声に、ゼレクに主寝室へと運ばれながら、思わずマリスも笑ってしまった。




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