第十二話「第一師団長ゼレク・ウィンザーコート」
「わざわざお前が報復なんぞせんでも、あいつはもう極刑にしかならんかったんだぞ。なにしろマリス嬢を含めて王城魔術師七人を魔力枯渇寸前まで追い込んだあげく、そのうちの二人がいまだに昏睡状態だからな」
拘束後の取り調べによって、暴走した兵士はマリスとゼレクのつながりを知っていたわけではなく、ゼレクを探すために必要な魔道具がたまたまマリスの部署に修理要請とともに回されていたせいであの場に至った、と分かっている。
結果的にその暴走のおかげでゼレクが発見されたわけだが、七名もの王城魔術師を生命の危機と直結する魔力枯渇が起きるところまで追い込んだその罪状が軽くなることはなかった。
ちなみに彼の取り調べが第一師団の拠点で行われたのは、彼が武術と魔術を修めたエリート集団である第一師団所属の兵士であり、他の部署に任せた場合、隙をついて逃亡する恐れがあったためだったのだが。
幸か不幸か、おかげでゼレクの報復は“取り調べ中の事故”として処理されるだろうことは、すでに暗黙の了解のうちのものとなっている。
「まあ、ひとまず峠は越えたらしいから、魔力が回復すれば自然に目覚めるだろうというのが軍医の見立てだが。死者が出なくて良かったよ、本当に。
しかし、あいつ、あの戦争の後からみょうにお前にこだわってたからな。お前がいなくなってからやたらとピリピリしてまともに仕事にならねぇし、ガス抜きのつもりで追跡部隊に貸し出したんだが。まさかあそこまで派手に暴発するとはなぁ……」
何かやらかすかもしれないから、その時は第一師団から外すよう動こうかとは思っていたものの、まさかこれほど短絡的で無計画な事件を起こすとまでは予測できなかった。
国の最精鋭たる第一師団の一員に相応しい大事を企んで、事前準備や手回しをするような動きがほんのわずかでもあれば、それを理由に捕縛できただろうが、短絡的で無計画であるがゆえに止めることさえかなわず。
おかげで追跡部隊は第一師団の指揮下にあったわけではないというのに、部下の暴走は上官の責任でもあると上層部から叱責されたあげく、また書類が山積みだ、と遠い目をしてジェドがぼやく。
そして地下牢からフード付きのマントを着せて(何と言おうとがんとして首輪を外さないその姿を、さすがに無防備に他の兵士たちの目にさらすわけにはいかなかったので)師団長の執務室へ連れてきたゼレクに次々と溜まった書類を処理させながら、彼は話を続けた。
「そういえば、マリス嬢は魔力保有量の多さが幸いしたみたいだな。魔力枯渇で血を吐いたと聞いたが、今日会って話したかぎりではすでにだいぶ回復しているようだったし。あの様子なら数日も安静にしていれば、じきに本調子に戻るだろう。
しかしお前、よく今のタイミングで彼女の傍から離れる気になったな。もしかしてマリス嬢、今は寝てるのか?」
そうでもなければゼレクが彼女の元から離れるとは思えない。
二人が部屋を出る時には、それくらい彼はマリスにぴったりと寄り添っていたのだ。
案の定、面倒くさそうに書類を処理しながらゼレクが頷いた。
声を出すことは無く、ただ頷くのが彼の返事である。
慣れたジェドは「そうか」と応じたが、ふと思いついて聞いた。
「まさかお前、防御陣とか」
「第四種を構築してある」
珍しくゼレクが長めの言葉で返答をよこした。
どこか自信ありげに。
しかし言われたその内容に、ジェドはげっそりと疲れた顔で「ああそうかよ」とつぶやいた。
第四種防御陣といえば、城塞用の魔術防御だ。
それもゼレクが構築したというのだから、たとえ急ごしらえの簡易的なものであったとしても、おそらく魔術で攻撃されようが、攻城戦用の投石器で攻撃されようが、今のマリスの部屋には傷一つ付かないだろう。
王都の閑静な住宅街にある独身者用の集合住宅を、投石器なんぞで狙い撃つ輩がいるとは思えないが。
こいつはいったい何と戦っているんだ、と思わず遠い目になるほどの過剰防衛であった。
「もしかしてゼレク、初恋ですか」
二人と一緒に黙々と書類の処理をしていたフォルカーが、ふと顔を上げて言った。
長く荒事にしか関わってこなかったゼレクとジェドは、あまりにも縁遠い言葉に数秒、意味が理解できず停止する。
「はつこい」
その数秒を過ぎても、今度はゼレクと初恋という言葉が結びつかないらしく、困惑した様子でジェドがつぶやきながら幼馴染みの顔を見る。
ゼレクは無意識なのか首輪に付いたタグに触れながら、考え込むように視線を中空に迷わせている。
「ゼレクは女性との交際の噂が流れたことが一度も無いですが、それでいて男色の噂さえも無いくらい人を寄せ付けないでしょう。それがどうですか、今のラークさんへの執着ぶり。これに恋情が絡んでいないと言われたら、むしろそちらの方が異常ですよ」
そして今はその“異常”な状態であるらしいのだが。
「ゼレク、ラークさんを抱きたいと思った事、ないんですか?」
「無い」
即答だった。
ジェドが手のひらで目を覆った。
その現実を見たくないという気持ちは痛いほど分かるが、フォルカーはさらに追及する。
「では、ラークさんが他の男に抱かれても、あなたはかまわないんですか?」
ゼレクの手の中で、キシッ、と金属製のタグが軋むような音を立てる。
今度は言葉での返答が無かったが、そのことについて考えてみたのだろう。
鋭利な殺気がフォルカーとジェドの首筋をぞくりと冷やし、それが答えだと二人に告げていた。
マリスの身辺調査はすでに完了しており、彼女に恋人や婚約者がいないのは判明済みである。
その原因が、魔術師団所属のボンクラ御曹司に目を付けられたせいでケチがついたから、というのも把握している。
ちなみに有能な副官たちは、このボンクラ御曹司がマリスにこれ以上ちょっかいを出さないよう、すでに手配済みだったりもする。
家名だけで魔術師団の花形部署に配属されていた彼は、間もなくそこから外されて実家の援助も受けられなくなり、なぜそこまで事態が悪化したのかも理解できないまま、マリスに構ってなどいられない境遇に置かれることになるだろう。
この件について、部下二人にとっては『マリスの脅威となるボンクラ御曹司を排除した』というより、『事情を知ったゼレクが過剰な報復をすることを事前に阻止した』という方が正確だ。
そして幸か不幸か、そんな事情からマリスに恋人も婚約者もいなかったおかげで、師団長の横恋慕で惨殺される男がいなくて良かった、と彼らは心の底から安堵した。
もしそんな惨殺事件が起きたとしたら、その痕跡を隠蔽するのは確実に自分たちの仕事になっていただろう、と分かっているからだ。
二人とも、今さら汚れ役を嫌うほど奇麗な身ではないが、さすがにこんな仕事はごめんこうむりたい。
部屋の空気を一瞬にして鋭く張りつめたものにしたゼレクに、フォルカーができるだけ常と変わらない口調で、淡々と言う。
「今、感じたことについて、もう少し深く考えてみてください。我々の方でも安全を確保できそうな位置にラークさんを異動させられるよう動いてみますが、師団長に方針を定めていただかないと、決定打は出せませんので」
しばらくの沈黙の後、その言葉に頷いて、ゼレクは書類の処理に戻る。
誰も何も言わなかったが、その作業はゼレクが地下牢でやらかした報復行為に目を伏せておいてもらうための対価だ。
一部隊を預かる師団長としては、当然のこととしてやらなければならない仕事であるのだが。
彼の場合、それが対価になりうるのだということが、すでにゼレクの師団長としての資質に問題ありと示している。
それでもゼレクは第一師団長だった。
本人が嫌がっていてさえ誰もその地位から彼を引きずり下ろせず。
一ヵ月を超える期間、無断で行方をくらませていても公的に罰せられることさえなく、それどころか秘密裏に最精鋭で追跡部隊が組まれて捜索されたというのに、その網のすべてをことごとく躱して一切の手がかりを与えず。
マリスの窮地に気付いて自ら姿を現すまで、彼が生きているかどうかすら誰にも分からず。
だがゼレクが戻れば、誰もが当然のこととして彼を第一師団長と仰ぐ。
それが救国の英雄、第一師団長ゼレク・ウィンザーコートという男だった。