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第十話「副官たちの懸念」



「本当に、本当にまったく何の魔術的影響も受けてないのに、ゼレクが黒い犬にしか見えてないのか、彼女は……!」


 第一師団の拠点の一室で、師団長補佐官ジェド・ウォーレンは頭を抱えてうめいた。

 あまりにも訳の分からなさすぎる状況に、副長フォルカー・フューザーも難しい顔で腕組みをしたまま数分前からずっと固まっているが、心なしかその眼鏡の奥の青い目が宙を泳いでいる。


 マリスの部屋でしばらく話をしてから、数時間後。

 どれほど言葉を尽くしても彼女の元から離れようとしないゼレクを、仕方なくそこに置いたまま彼らは拠点に戻った。


 さすがに死にかけた翌日に出勤を迫るほど鬼畜ではなかった上司から何年ぶりかの休暇を得たマリスが、一日家にいるというので、尻尾があったらブンブンと音が鳴るほど振りまくっていただろうというほどの上機嫌で彼女にぴたりと寄り添うあの男を、いったい誰が引き剥がせるだろうか、という話だ。


 もちろん放置したわけではなく、すでに事態を把握した昨日から、第一師団の中でも別動隊として動くことの多い副長直属の遊撃隊の隊員を護衛兼監視役として、マリスに気取られない所に複数配置済みだったが。


 そして今、彼らの前にはマリスについて話を聞きたいからと呼び出した室長ブライス・エルダーレンと同期ウィル・コールジットがいたが、こちらの二人もジェドとフォルカーに負けず劣らず顔色が悪かった。

 とくにウィルは「あの首輪は俺のせいです。俺が余計なことを言ったから。なんとお詫びをすればいいのか……、まさかこんなことになるとは思わず……」と憔悴(しょうすい)した様子で延々と謝罪してはジェドやフォルカーに、「いえ、あれはあなたのせいではないでしょう」となだめられている。


 この首輪問題については、ジェドもフォルカーも早々に「ゼレクが悪い」と結論した。

 なにしろ彼らの目の前で、しばらく話をして彼らの視線の意味にようやく気付いたマリスが、いまだ“クロ”がゼレク・ウィンザーコートという名の人間であるという認識ができないままではあったけれど、一度は試みたのだ。

「クロちゃん、首輪、ダメみたいだから、外そう?」と。

 しかし、そう言いながらそっと首元にのばされた彼女の手を、ゼレク本人が嫌だと言うように掴んで拒んだ。


 この場合、誰に問題があるのかなど、一目瞭然だ。

 なので二人はそれ以上は議論せず、以降はその存在を無視することにした。


 大変に、非常に遺憾(いかん)なことながら、この国で最強の兵士であるゼレク・ウィンザーコートに嫌がることを強制できるだけの力など、ジェドにもフォルカーにも無かったからだ。

 あるいはマリスならばなんとかできたかもしれないが、首輪については断固拒否する“クロ”に、「そんなに気に入ったの? 私は嬉しいけど、なんかダメだったみたいだから、外してほしいんだけどなぁ」と困ったように笑っていたので、彼女に強制的に外させることも無理そうだと察した。


 本当に、特殊性癖のバカップルにしか見えないし、もしそうならその方がまだ話は簡単なのだが。

 そうではないというのだから、ジェドもフォルカーも、ようやく長いこと行方不明だった師団長を見つけたというのに新たな頭痛の種が増えただけ、という惨状である。


 しかしそれでも、やるべきことはやらねばならない。


 という訳で、一通りマリス・ラークについて話を聞き、今日自分たちに話したことは今後他の誰にも言わないように、と口止めしてブライスとウィルを帰す。

 そうしてようやく、二人は力を抜いてぐったりと椅子に沈み込んだ。


「まったく、どうすりゃいいんだ、これ……」


 疲れきった様子でつぶやいたジェドに、しばらくしてからフォルカーが言った。


「……ジェド、あの噂を知っていますか?」

「噂?」

「一つだけではなくて、幾つかあるんですけどね」


 フォルカーが言いながら軽く手を振って、防音結界を張る。

 機密事項を話す時に必ず使う、慣れたものではあるが、噂話程度で使うことは珍しい。


 いったい何の噂のことだ、とジェドが隣を見ると、腕組みをしたフォルカーが眉根を寄せて中空を睨みながら言った。


「聞いた時期も内容もバラバラの噂なんですが」


 その言葉からはじまった話は四つ。



 一つ、両親にまったく似ていないウィンザーコート伯爵家の三男ゼレクは、現在は母方の祖父に似たのだと誤魔化されているが、じつは養子である、という噂が一時期流れたことがある。



 二つ、これは国民の誰もが知るところだが、この国の王は代々黒髪で、それは始祖の王が神獣・黒狼の子であったからである、という伝説がある。

 ただし、これについては現在の貴族には王族から降嫁を受けた血筋がいくつもあり、その末裔が黒髪を持って生まれることも多いので、黒髪自体はとくべつ珍しいものではない。



 三つ、今代の王が若い頃、一人の女官を熱愛していたが、彼女は平民の出身であったために側室にすることもできず、二人は先代の国王によって無理やり引き離された、という噂。



 四つ、その女官が王城を辞した後、終の棲家となったのがウィンザーコート伯爵家の領地であった、という噂。



「あと、これは後世の芸術家の創作ではないかと言われていますが、我が国の王家には、王妃様が初対面に国王陛下を黒い狼と見間違えて、たいそう驚かれることがある、という話が伝わっています。

 なんでも、黒い狼に見間違えられるのは王としての器が優れているからだそうで、その器を見抜いて黒い狼の姿を見通す女性はその王に相応しい王妃の資質を持つ、らしいです。それで、この逸話が残る王は、いずれも賢い王妃に恵まれた名君であったとか。

 どう思いますか? ジェド」


 話し終えたフォルカーがジェドを見ると、彼は引きつった顔をしていた。


「……どう思うか、って言われてもな。俺、若い頃の国王陛下にお気に入りの女官がいたとか、追い出された後にウィンザーコート伯爵家の領地に住んでたとか、聞いたことねぇぞ。一時期ゼレクに養子説が出てたのは知ってたけど。お前の情報網、相変わらず広範囲網羅しすぎだろ……」

「お褒めに与り光栄です、とでも言っておきましょうか。それで、現実逃避はそのくらいにして、話に戻ってもらいたいんですがね」


 ジェドは顔をしかめて「うーん」とうなってから、首を横に振った。


「いや……、いやいやいや、なぁ? フォルカー、お前それ、ゼレクが国王陛下の御落胤で、その王としての器を見抜いたマリス嬢が、そのせいでゼレクを黒い犬と見間違えている、って言いたいわけだろ?

 何となく分かるような気もするけど、そりゃあさすがに無理だろ。っつーか、ゼレクが王の器とか。能力的にはやれるかもしれんけど、性格的に絶対無理じゃねぇか。やらせてみなくても分かる。あいつに王なんて、いや、その前の王太子の時点で絶対、確実に、速攻で逃げるに決まってる。

 万が一、億が一の確率でゼレクが陛下の子だとしても、マリス嬢も、だから狼じゃなくて犬だと思い込んでるんじゃないか? あいつは王にも王太子にも、そもそも“人間”としてすら“足りてない”ぞ」


 ゼレクをよく知る幼馴染みの率直な評価に、軍学校からの昔馴染みも「そうでしょうねぇ」と同意した。


「ゼレクに王なんて、能力的にはともかく、どう考えても性格的に向いてなさすぎです。

 今の師団長の地位だって嫌がってもてあましているというのに、さらにうっかり戦功を上げてしまったせいで救国の英雄なんて呼ばれて、ついには本当に逃げ出してしまったくらいですからね。まあ、それについては彼の元に来る刺客を事前に処理しきれず、ケガを負わせ続けてしまった我々の責任もありますが……。

 とはいえ、彼に国王なんて、とてもじゃないがやれるわけがない、と、私たちは考えますがね」


 だが、もしも他の者にマリスの話が漏れたら、フォルカーと同じように噂話を結びつけ、おかしな野心からゼレクを利用しようとする輩が現れるかもしれない。

 ただでさえ今のゼレクは『救国の英雄』などと謳われ、国の内外を問わず広くその名を知られた状態だ。

 しかも現王は王妃が二人、側妃が一人の王子を産んでおり、それぞれ健康に育ってはいるものの皆ごく普通の青年で、ゼレクに勝る武勇伝などあるはずもないし、折り悪く王太子である第一王子は体調不良で離宮療養中である。


 こんな状況で先王によって現王の傍から遠ざけられた女官の話や、ゼレクを黒い犬と信じて疑わないマリスの話を都合良く寄り合わせた噂話などバラ撒かれた日には、どうなることか。


「……まず、ラークさんの安全を確保するところから始めましょうか」


 フォルカーが言うのに、やや顔色を悪くしたジェドが「ああ」と頷いた、次の瞬間。

 二人はハッとして、弾かれたように同時に立ち上がった。




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