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「あのティーセットお気に入りでしたのに」
「……新しい物を買えば良いのではなくて?」
「お気に入りでしたのに」
「……ああもう! なんですの! いくらでも払うからもっと良いものを買えば良いじゃないの!」
「お嬢様、こういう時は謝るのですよ」
床に散らばった破片を片付けながら、薄目でじっとりと自分を見るマグパイに、カナリアが口をぎゅっと引き結ぶ。
頑なに謝ろうとしないその姿勢に、マグパイの怒りが膨らむのを見て、カナリアの隣に立っていたクロウが慌てて口を開いた。
「あ、あの、私も悪かったのでカナリア様だけを責めないであげて下さい」
「クロウ様、庇わなくて良いのです。全てはカナリア様のした事だと分かっております。どうせ癇癪を起こして、テーブルを叩き、その勢いで落としたのでしょう」
「うっ」
「カナリア様、物はいつかは壊れます。壊してしまうことが悪いとは言っていません。けれど、このティーセットは職人の方が一生懸命作り、私が大切に管理していたのですよ」
「……悪かったと思ってますわ」
「あら、聞こえませんね」
「ご! め! ん! な! さ! い!」
ぶすっとした顔で謝ったカナリアにマグパイが困った顔で笑う。
そんな二人を見て、クロウが目を丸くした。
「仲がよろしいんですね」
「良くないですわよ。どこをどう見たらそうなりますの」
クロウに呆れた視線を向けて、カナリアが溜息を吐く。
その後ろで肩を竦めて優しく微笑むマグパイに、クロウが思わず口角を上げた。
姉妹のように言い合える主人とメイドなんて、どこの貴族の屋敷にもいないと思っていたが、ここにはそんな主人とメイドが存在した。
今まで関わることすら嫌だったはずのカナリアの印象が、どんどんと変わっていくのを、クロウは二人を見て、感じていた。
「口達者で猫被りなメイドで主人を馬鹿にしてばかりですのよ。まだ弟の方が煩いけれどマシですわ」
「あら、私より弟の方が良いのですか? なら、明日からカナリア様の世話は、弟にさせましょうか」
「……それは辞めてちょうだい。そこら中の物を壊されかねませんわ」
顔を青ざめるカナリアにマグパイがクスクスと笑う。
すると、クロウがマグパイへと視線を向けた。
「姉弟でここに奉公しているのですか?」
「はい、姉弟共々バークライト家に長年お世話になっております」
「双子ですのよ」
「……双子?」
目を見開いて双子の言葉に、驚きを露わにするクロウに、カナリアが首を傾げた。
「双子がそんなに珍しいかしら?」
「あ、いえ。なんでもないんです。その、そろそろお暇させて頂きますね」
慌てて帰り支度をし始めたクロウに、マグパイが寂しそうに眉を下げた。
それに、またしてもカナリアが頭に疑問符を浮かべる。
この不思議な疎外感はなんなのだろうか。
「それでは、カナリア様。……これからよろしくお願いしますね」
「ええ、お互い頑張りましょう」
ふんっと鼻を鳴らして言えば、クロウが眉を下げながらも可笑しそうに笑った。
そして、屋敷の外に用意させた馬車にクロウを乗せ、マグパイと共に見送る。
隣で馬車が見えなくなっても立ち続けるマグパイに、カナリアが静かに口を開いた。
「クロウさんとお知り合いですの?」
「……分かりません。でも、すごく会いたかった人に似ているんです」
「それは、前に話していた弟のことかしら?」
「ええ、私とジェイの血の繋がった大切な弟です。私とジェイを一緒にいさせようとして、身代わりで行ってしまった馬鹿な弟。似ているんですよねぇ」
切なそうに目を細めて呟いたマグパイに、カナリアがその視線の先を見つめる。
もう馬車は見えず、何も無いただの道だ。
「でも、クロウさんは女の子ですわよ」
「ええ、そうですね。……そうかもしれませんね」
「なんですの?その含みな言い方」
「いいえ、何でもございません。あの方はまたいらしてくれますかね」
「さあね、もう来ないんじゃないかしら」
「あら、お友達ではないのですか? お茶会でもしてはいかがです? お菓子沢山作りますよ?」
「……会いたいのならそうおっしゃい。クロウさんとお話することがこれからあるでしょうから、屋敷には出向いてもらいますわ」
「ふふ、ありがとうございます」
夕日が落ちかけた道からカナリアへと視線を向けたマグパイが、嬉しそうに目を細める。
やっと自分に戻ってきた漆黒の瞳に、カナリアが屋敷へと足を向けた。
「さっ、もう寒くなりますわ。早く中に戻りますわよ」
「ええ、ハーブティーをいれますね」
茜色と混じり合う漆黒の空の下に映える、紅の髪が風に靡き、その美しさにマグパイは見惚れる。
その美しく凛とした火の女神に似合うティーセットを、また探さねばと考えながら、忠実なメイドは自分の主の背を追った。
***
学園に着いて早々、麗しのロビンを舐め回すように見ていたカナリアを、一瞬にしてクラスメイト達が囲んだ。
カナリアに近付きもしなかったクラスメイト達さえもその輪に加わり、異様な熱気を放っている。
「なんですの、人が折角、朝の習慣を楽しんでいましたのに」
「聞きましたよ、カナリア様。あのクレイン様のレッスンをお受けになられるとか」
「……人の口に戸は立てられぬとは、このことですわね」
大きな溜息を吐いたカナリアが、目の前のクラスメイト達を静かに見据える。
さあ、どうやって散らしてやろうかと考えていれば、右斜め前で眉根を下げ、あわあわとしているロビンが視界に入り、胸がキュンと高鳴った。
――なにあの顔ものすごく可愛すぎるのではなくて? 罪深すぎますわ、私の推し!
なんて心の中で前世の自分が喜びながら、ニヤリと嫌な笑みを浮かべたカナリアが、ロビンへとわざとらしく声を掛けた。
「あらあら、ロビンさん。そんな顔してどうかなされて? ああ、そうでしたわね。貴女も私と一緒にクレイン様のレッスンを受けますものね」
「はあ?」
「ひいっ!」
カナリアを囲んでいたクラスメイト達の鋭い視線が、一斉にロビンへと向けられる。
その狂気じみた視線に涙目になるロビンを、慌ててクロウが自分の背中へと隠した。
クロウが眉を寄せてこちらを咎めるように見つめるが、カナリアはその口を閉じはせず、目を細めて言葉を続ける。
「あら? そもそもロビンさんがクレイン様と二人だけで、レッスンをなさっていたから、私も参加させて頂けることになったのですわよね?」
「二人、だけで?」
「生徒会長であり未来のトップ歌手と名高いあのクレイン様とだと?」
「音痴が……どうやって取り入ったんだ!!」
「彼女は音痴なんかじゃない。いい加減にその煩い口を閉じなきゃ本気で殴るけど」
昨日の呼び出しと同じことで、また責められるロビンを背に守りながら、クロウが殺気を隠しもせず、静かに怒りを吐き出した。
今にも殴り掛かりそうなその勢いに、クラスメイト達がたじろぐが、負けじとクロウに言い返す。
「で、でも、おかしいじゃない! あのクレイン様のレッスンを受けてたなんて!」
「このクラスで一番成績が悪いのに!」
「煩い。成績なんて関係ないでしょ。彼女は、クレイン様に選ばれたんだから」
ピリピリとした空気が充満した教室に、ロビンは居たたまれず、今にも泣きだしそうだ。
だが一方で、その一触即発の現場を作りだしたカナリアは、きっとクロウが昨日の現場にいたら、あの取り巻きやクレイン追っ掛け隊は、もう殴られていただろうな、と他人事のように眺めていた。
すると、こちらを睨み付けるクロウに気付き、カナリアがやれやれと肩を竦めて口を開く。
「あら、クロウさんとっても怖い顔ですわね。まあ、貴方もレッスンを受けるのだからロビンさんだけ責められるのも可哀想ですものね」
「えっ?!」
「は?!」
またもや、カナリアの爆弾発言に、その場の全員が驚きで目を丸くする。
慌てた様子でクロウが、カナリアの前へと飛び出した。
「な、何のことですか?!」
「昨日の晩、考えてみましたの。私とロビンさんだけでレッスンを受けるのは、やはり私のプライドが許せませんわ。
クレイン様のレッスンと私の歌を聞かせるだなんて、あまりにも贅沢が過ぎますし、学年最下位と共に歌うだなんて、腸が煮えくり返りますもの」
「それなら、そもそもレッスンなんて、止めてしまえば良いじゃないですか!」
「あら、クレイン様のレッスンは、私にとっても貴重な体験ですから、逃す手はないですわ。
ですから、考え抜いた結果、今現在、私の次に歌がお上手な貴方を選びましたのよ。安心してちょうだい。クレイン様にも今朝、了承を得ましたわ」
「い、いつの間に……」
「私の隣でクレイン様のレッスンを受けられることを、誇りに思って下さらない?」
ふふんっと胸を張ったカナリアをげんなり顔でクロウが見つめる。
すると、クロウの袖をくいっとロビンが控えめに引いた。
「ク、クロウも一緒にレッスンを受けるの?」
「え? ……あぁ、そうみたい」
「ほ、本当に!」
ぱあっと花が咲いた様に笑ったロビンに、カナリアがその輝きに目を眩ませる。
可愛過ぎるそんな笑顔を間近で、しかも正面で見てしまっては、その輝きで両目が失明する勢いだ。
その笑顔を向けられているクロウが羨ましくて、カナリアは血涙を流しそうになった。
「でも、私が二人と一緒にクレイン様のレッスンを受けるなんて……」
「あら、貴方にとっても良いお話ではなくて? それにそこで騒いでいる方達より貴方は、実力がありますわ。音痴だなんだと人を見下しておきながら、実力の伴っていないたまご達より数倍マシですもの」
カナリアのさらっと吐き出された痛烈な暴言に、ロビンを責めていたクラスメイト達が、一斉に口を噤む。
すると、カナリアは自分達を囲むクラスメイト達を、蔑むように見渡した。
「クレイン様はその音痴に目を掛けていますのよ。その目に入りさえしない貴方達は、邪魔だからご自分の席にお戻りになって貰えるかしら。三人でお話がありますの」
胸を鋭く突き刺すその言葉に、顔を青ざめたクラスメイト達が一瞬にして散った。
時計をちらりと見て、まだ始業まで時間があることを確認したカナリアは、ロビンとクロウに視線を向ける。
「さっ、少し顔をお貸しなさい」
廊下を指さして物騒な言い方をするご令嬢に、ロビンはビクビクとし、クロウは苦笑いを浮かべた。