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「つまり、カナリア様の居た世界では私達は乙女ゲームという、恋愛を主としたゲームのキャラクターで、その主人公がロビンということですか?」
「ええ、そうですわ」
「それで、ロビンの親友役が私で、ライバル役がカナリア様」
「ご理解頂けて?」
「なんとか……。ただ、何故ゲームで恋愛をするのかは理解に苦しみます」
「……胸に突き刺さる言葉をどうもありがとう、クロウさん。けれど、あの世界の女性には、そういう娯楽や理想の殿方との恋愛が必要でしたのよ」
前世の自分に鋭利な刃物を突き刺すクロウの言葉に囁かに反論をしてみるが、純粋に首を傾げるクロウにカナリアが心の中で嘆く。
――ああ、ごめんなさい前世の私。
この国には童話の王子様に憧れる少女はいても、画面の中の王子様に恋する婦人達はいないのですわ……。
心の中で前世の自分を慰めていれば、クロウが徐ろにクッキーを置いた。
「……私は定められた運命をずっと巡っていたんですね」
クロウがぽつりと呟き、紅茶に映る自分を見つめる。
その悲しげな姿にカナリアは、眉を顰めた。
「乙女ゲームでいう周回を、何故か貴方はしていたようですわね。主人公でもないのに」
「考えられる原因としては、ゴッドスピード家の祝福の呪いだと思いますが、そういう話はゲームの中ではありませんでしたか?」
「私や貴方は所謂ゲームを盛り上げる為の当て馬ですから、そういうキャラクターの深堀はされておりませんの。前世の私は私の事を嫌ってましたけど、案外なってみると相当苦労していたのだと分かりましたわ」
「……カナリア様も苦労なさっているのですか」
「クロウさん、私のことをなんだと思ってますの。我儘で言いたい事をはっきり言って生きていますけど、それは今の立場を実力で勝ち取ったからですのよ。お分かり?」
「あ、はい。すみません」
トントンと美しく手入れされた爪先でテーブルを不機嫌に叩きながら言えば、クロウが慌てて謝罪する。
それに深い溜息を吐いて、カナリアは言葉を続けた。
「それで、ゴッドスピード家の祝福の呪いとはなんですの」
カナリアが問えば、数秒の沈黙の後にクロウが静かに口を開いた。
「ゴッドスピード家には、代々伝わる呪いの話があるのです。私はずっと信じていなかったのですが、この繰り返しの運命で信じざるを得なくなりました」
「代々伝わる呪いなんて、物騒な話ですわね」
「……遠い昔、ゴッドスピード家の男がある美しく慈愛溢れる女性に恋をしました。けれど、その女性には婚約者がいて、それはもう仲睦まじくお似合いな二人でした」
夕闇に染まる窓の外に視線を向けながら、クロウが言葉を続ける。
「けれど、諦め切れなかった男は、その女性の婚約者を殺めてしまうのです」
「……野蛮ですこと」
「男の罪は明るみになり罰せられることになるのですが、その罰は婚約者を殺されてしまった女性が決めることになりました」
静かな部屋の中で、クロウの言葉が響く。
「”愛とは大切な人の幸せを願うこと。貴方はそれを胸に刻み、自分の子供にも語り継いで下さい”」
「……それは」
「優しく慈愛に満ちた女性の赦しなのか恨みなのか、はたまた願いなのか。けれど、その罰は男にとって生涯、いえ一族にまで纏わり付く呪いとなったのです」
「それが祝福の呪いですのね」
「ええ、そうです。祝福の呪いとは、ゴッドスピード家に纏わる愛という名の呪い。本当に愛する人の幸せを願い、祝福することこそ、ゴッドスピード家の生き方となったのです」
パキリとハート型のクッキーを綺麗に真っ二つにしたクロウが、眉間に皺を寄せ言い放った。
そんなクロウを見つめ、カナリアが深い溜息を吐いて口を開く。
「嫌な生き方ですわね。そんなことばかりしていては、血も途絶えますわよ」
「もうゴッドスピード家の血は途絶えてますよ、カナリア様」
「え?」
「私は孤児です。隣国の孤児院から秘密裏に連れて来られました。現在のゴッドスピード家の夫婦に愛はなく、ただのお飾り夫婦です。ゴッドスピード家は仮にも貴族の家。存続させる為に孤児を連れて来て、ゴッドスピード家の者として教育していたんです」
クロウの衝撃的な発言に、カナリアはティーカップを持ったまま固まる。
そんなカナリアに気付いたクロウは、困った様に眉根を下げて笑った。
「可笑しな話ですよね。もう男が語り継がなければならない子孫はいないのに、呪いだけが纏わり付いているんです。私がこの繰り返しの運命を続けてしまっているのも、大切な人を心から祝福することが出来なかったからなのでしょう」
「自分の好きな人が、他の人と添い遂げることを心から祝福するなんて出来るはずないでしょう」
「……クロウ・ゴッドスピードは、しなければならないんですよ」
泣きそうな顔をして笑うクロウに、カナリアの胸の奥がきゅうっと切なくなる。
ロビンの親友として、健気に応援し続けていたこの子は、その親友と恋した相手が幸せになっていくのを何度も見続けていた。
なんて悲しくて苦しい運命を巡っているのだろうか。
「……クロウさんは、ご自分の運命を変えたいと思ってますの?」
「それは……」
「私も前世の記憶を持っているからとはいえ、賢い貴方がロビンにとって害をもたらす私に、そんな深いお話をするなんて、そうとしか思えませんわ」
何も言えずに俯くクロウに、カナリアが悲しげにその姿を見つめる。
ぎゅっと拳を握るクロウを見つめながら、カナリアが言葉を続けた。
「協力致しますわよ」
「えっ……?」
「大切な人を今度こそ自分のモノにしたいのならば、全身全霊を掛けて私が二人を引き裂いてみせますわ」
「えっ、あ、あの……」
「貴方は四回も身を引いたのですから、今回くらいは良いんじゃなくて? それに、私も今回くらいは悪役を成功させてみたいですし」
「ち、違うんです、カナリア様」
「……違う? 何がですの?」
「私はロビンが幸せになるなら、それで良いのです。二人を引き裂くなんて考えもしません。私は、今度こそ二人を心から祝福したいのです」
「は?」
きっぱりと言い切ったクロウを、カナリアが眩しいものでも見たかのように目を細める。
そして、静かに口を開いた。
「失礼、クロウさん。もう一度聞きますわ。貴方はロビンさんとクレイン様が、添い遂げることを応援すると言いまして?」
「はい」
「貴方はそれで良いのかしら?」
「それが、ゴッドスピード家の務めですから」
「……私は貴方に聞いているのですわ。ゴッドスピードでは無く、クロウさん貴方に」
「私は彼女を心から祝福してあげたいんです」
泣きそうな顔で微笑むクロウに、カナリアがとうとうテーブルを両手で思い切り叩いた。
テーブルの上に置いてあった茶器が床に落ちて盛大な音を立てて割れる。
けれど、カナリアはそんな些末なことを気にせず、目の前で驚き固まるクロウを睨み付け、大きく口を開いた。
「貴方、大馬鹿者ですわね!!」
「カ、カナリア様?」
「泣きそうな顔してるくせに心から祝福なんて出来るはずないでしょう! 何故、その運命を捻じ曲げようと思いませんの?! そんな風に簡単に諦められる気持ちですの?!」
「……っ! そんな訳ない!簡単に諦められるならこんなに苦しんでないです!! でも、何度変えようとしたって変わらなかった!! だから! だから……、私はっ」
ぽろぽろと涙を流し始めたクロウが、言葉を詰まらせる。
堰を切ったかのように嗚咽を漏らすクロウを、カナリアは静かに見据え、そっと傍に寄った。
「私は運命を受け入れましたわ。でも、貴方は違う。繰り返しているのは呪いのせいなんかじゃなく、貴方の諦め切れない気持ちからじゃなくて?」
「……そんな、そんなことは」
「クロウさん、本当の気持ちをお話なさい。そうすれば、貴方の運命を私が捻じ曲げて差し上げますわ」
クロウの頬を優しく撫で、その漆黒の瞳に微笑み掛ける。
すると、クロウがぐしゃぐしゃな顔で声を上げた。
「もう嫌だ……っ! 大切な人が他の誰かと幸せになるのを祝福するなんてもうしたくないっ!」
クロウの心からの叫びにカナリアがにんまりと笑った。
「よく仰いましたわ、クロウさん」
「ひっく、……ううっ、カナリア様の馬鹿ぁ……こんなこと言いたくなかったのに……」
「馬鹿は貴方よ。自分の心に嘘付くなんて大馬鹿者ですわ」
「ううー……っ!」
未だにぽろぽろと流れる涙を優しく拭いながら、カナリアがクロウの震える手に自分の手を重ねた。
それにピクリとクロウが反応する。
「な、なんで、手に触れるんですか」
「あら、落ち着きません? 弱っている時は人の体温が落ち着くものですわ」
「……確かに、そうですけど」
自分の手の甲に置かれた美しく柔らかな手を見て、クロウが困った様に眉根を下げる。
そんな様子のクロウにカナリアが首を傾げながらも、真っ赤に腫れた目元に気付き、赤くなった黒い目を覗き込んだ。
「随分とお泣きになりましたわね。目が赤くなってますわよ」
「ちょっ! 顔近いです!」
「あら失礼。でも、慌てすぎじゃなくて? 女性同士ですのに」
「……カナリア様は、本当に私のことを知らないんですね」
「どういうことかしら?」
「いえ、別に。……知っていたら、そもそも部屋に二人きりになんてなりませんよね」
「……? なんですの、ボソボソと。変な人ですわね」
「……ロビンと同じくらい鈍感」
眉間に皺を寄せて、不服そうな顔をするクロウにカナリアも眉を寄せる。
すると、クロウがカナリアの手をスっと離して、口を開いた。
「それで、二人の仲を引き裂くってどうするんですか」
「あら、簡単なことですわ。あの二人が二人きりにならないよう邪魔をすれば良いのです。クレイン様の好感度を上げなければ、あの二人がお付き合いすることもないですもの。そして、私はロビンさんをこっぴどく虐め抜いて隣国の地におさらばですわ」
「……そんなあっさりと。貴女は、このままロビンに何もしなければ隣国の辺境地に送られることもないのに、何故運命を受け入れるのですか?」
「私がカナリア・バークライトであり、あの子のライバルだからですわ」
さも当たり前だと言わんばかりに胸を張って言い放つカナリアに、クロウが目を丸くする。
そんなクロウを見て、カナリアが仁王立ちをして眉根を上げた。
「それに私があんな音痴に負けるだなんて許せませんわ。完膚無きまでに叩きのめしてから、辺境地に飛ばされても良いと思いますの」
「……はは、本当にカナリア様はカナリア様なのですね」
「悪役には悪役なりのプライドというものがありましてよ」
腕を組み、ふふんっと鼻を鳴らしたカナリアに、クロウが少し寂しげに笑った。
今までちゃんと彼女と会話などしてこなかった。
傲慢で我侭で、ロビンにとって悪でしか無かった彼女を毛嫌いしてしまったのもあったけれど、本当はただ高飛車で口が悪いだけで、そこまで理不尽な人間では無かったのかもしれない。
前世の記憶を持ったとしてもカナリアはカナリアで、自分も自分だった。
「……今までの貴女ともこうして話してみれば良かったかもしれませんね」
ボソリと呟かれたクロウの言葉は、高笑いを始めた美しい火の女神の耳には届かなかった。