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「何を泣いてらっしゃるのかしら?!」
カナリアが、ロビンの両頬をぎゅむっと自分の手で勢い良く、けれど優しく挟む。
それに、クレインや周りの生徒達、そしてロビンまでも目を丸くした。
「ふぇ、え、あの……っ」
「先程まで、私に威勢よくお話されていた方とは思えませんわね!」
いきなり自分の頬を挟みながら捲し立てるカナリアに、ロビンは何が起きているのか分からず困惑する。
けれど、カナリアは眉間に深い皺を寄せ、言葉を続けた。
「涙を流すだけなら誰でも出来ますわ! そんなことするくらいなら、何かおっしゃい!!」
「そ、そんな、でもぉ……うぅっ!」
「ほら! 言ってごらんなさい!!」
「……嫌です。クレイン様と歌のレッスンが出来なくなるの、嫌です……うううっ!!」
ポロポロと泣きながら言ったロビンに、カナリアが満足気に笑い、優しくその目元の涙を拭う。
けれど、直ぐ様その場の状況を思い出し、カナリアがロビンを軽く押し離した。
「あ、あら嫌だわ! なんて傲慢で厚かましい方!! クレイン様のレッスンがどれだけ価値のあるものか分かってらっしゃるのかしら?」
高圧的な態度を取り戻して、しゃくり上げるロビンを見下すカナリアに、惚けていた周りもハッとしてロビンを睨んだ。
けれど、ひっくひっくと泣き続けるロビンに周りも気の毒に思ったのか、最後には眉根を下げて気まずそうにしている。
「ロビンさん……」
「すみません、クレイン様……。で、でも、ひっく、私、クレイン様とのレッスン、楽しくてんっく、無くなっちゃうの、嫌だと思ったら……」
「泣かないで下さい、ロビンさん。大丈夫ですから」
「ふぇ?」
覚悟を決めた様にカナリアを見つめる白い瞳が、ゆっくりと優しく細まる。
その慈愛に満ちた表情に、カナリアがたじろいだ。
「良い案があります、カナリア嬢」
「あら、なにかしら?」
「ロビンさんとカナリア嬢、お二人共ご一緒に僕のレッスンを受けるのはいかがでしょう」
「は?」
素っ頓狂な声を上げ、カナリアがクレインを見つめる。
クレインは、未だ泣き続けるロビンの肩を優しく撫で、微笑んだ。
「レッスン料は、きちんと受け取ります。確かにカナリア嬢の言う通り、僕は僕の立場を少々軽く見過ぎていたようです。けれど、金銭が関わると面倒ですから、条件のようなものにしようと思います」
「ちょ、ちょっと、クレイン様。話を進めすぎじゃ……」
「カナリア嬢へのレッスンの条件は、ロビンさんとご一緒に僕のレッスンを受けること。ロビンさんのレッスンの条件は……、そうですね、歌のレッスンの後に、僕の生徒会の仕事を手伝ってもらうことにしましょうか」
――この男、ちゃっかり二人きりの時間を取ろうとしていますわね...。
にこにこと一片の曇りも無い美しく優しい笑顔を見せながら、クレインの有無を言わさない言葉に、カナリアが唖然とする。
少しの悪戯心で、まさかこんな事態になるなんて。
しかも、純粋無垢な真っ白王子と思っていたクレインの、強かで強引な一面を覗き見ることになろうとは。
しかもしかも、愛しのロビンと歌のレッスンが出来る提案付き。
そんなもの、考えるまでもなく……。
「冗談じゃありませんわ! 何故、私がこんな音痴と一緒にレッスンを受けなければなりませんの?!」
カナリアが有り得ないとでも言うように、目をカッと見開いて叫ぶ。
その怒りっぷりに周りの生徒達が、ビクリと肩を揺らした。
前世の自分としては、これ以上ないくらい嬉しい提案で直ぐ様飛び付くべきものだけれど、今のカナリアとしては、怒り狂うものなのだ。
クレインのレッスンは、まだ良い。
けれど、一緒に習う相手が駄目だ。
自分と同等か近しい実力の持ち主でなくては、隣でカナリアと歌を歌う資格など無い。
カナリア自身、自分の実力を知っている分、まだきちんと歌えやしないロビンの隣で、自分の歌声を聞かせてやるなんて有り得ない事なのだ。
カナリアの歌声は、王宮にも通用する価値のあるものなのだから。
けれど、そんな事を一番良く分かっているクレインは微笑みを崩さず、一歩、カナリアに近付いた。
「カナリア嬢、貴女は少し思い違いをしています」
「何がですの?!」
「ロビンさんは音痴ではありません。それは貴女も気付いているのでは?」
「……何が言いたいのかしら」
「貴女にとってもそう悪くない提案だと思うのですがね?」
キラキラの王子スマイルに、カナリアが心の中でげんなりする。
この優しい笑顔も今は物凄く嫌な笑顔に見えてきた。
キラキラじゃない。仄暗い。仄暗すぎる。
この王子様は知っているのだ。
ここ数日のカナリアのロビンの評価を。
ロビンは、極度のあがり症で確かに人前では歌うことが苦手で出来ない。
けれど、それは緊張で音を外したり、極端に声が小さ過ぎるだけであって、クレインとのレッスンを受けてからは、徐々にそれらを克服していった。
そもそもロビンは、普通の一般人より歌は遥かに上手いのだ。
この学校に入学出来る程の歌声を持っているのだから、そのあがり症を克服してしまえば、カナリアと同等には上手くなる素質はあるだろう。
それに一番カナリアにとってその評価を押し上げたのが、彼女が努力を努力と思わない程の努力家だったということだ。
彼女の歌が好きという気持ちのなせる技なのか、彼女の努力家っぷりはゲームなんかの比にならなかった。
それが、ここ数日のカナリアのロビンへの評価である。
それをこの男はどこで見抜いたのか気付き、隣でロビンの手本となり、そしてライバルとなって彼女の成長の手助けをしろと言っているのだ。
――なんて嫌な奴なんですの、クレイン・ホワイト。貴方、ゲームではそんな部分一つも見せはしなかったくせに!
「……私を焚き付けておりますの?」
「まさか」
「私よりもあの子が上手くなるとでも?」
「どうでしょうね」
「貴方、嫌な人ですわね」
「……大切な人を守る為なら仕方ありません」
「あら、もっと大きな声ではっきりと、言ってあげれば良いのではなくて?」
「それはもっと彼女と仲良くなってからにします」
こそこそと話すカナリアとクレインの二人に、ロビンが首を傾げる。
そんなロビンを一瞥してから、カナリアが大きな溜息を吐いた。
「分かりましたわ。その条件でレッスンをお受け致します」
「それは良かった」
「え、ええ? あの、ええ?」
「うるさい小鳥ですわね! 貴女、この私の隣で、あのクレイン様のレッスンを受けられることが、どれだけ価値があって素晴らしいことなのかお分かりになった方がよろしくてよ?!」
「ひぇ、あ、ありがとうございます……??」
何が何だか分からないロビンが、カナリアとクレインに勢い良く頭を下げる。
そして、もう話は終わったと言わんばかりに、カナリアが二人に背を向けて歩き出した。
それに取り巻きと追っ掛け隊が、慌てて付いてくる。
「カナリア様……あの」
「私を担ぎ上げながらもこの失態。貴方達、覚悟は出来て?」
「ひいっ! す、すみません! でも、クレイン様のレッスン受けれるなんて羨ましいです!」
「よくもまあ、ぬけぬけと……。少し一人にさせて欲しいから付いてこないでちょうだい」
取り巻きと追っ掛け隊の頭の緩さに嫌気が差して、カナリアがシッシッと手を振る。
すると、彼等はそそくさと散って行った。
その素早さに溜息を吐いて、カナリアは学園の温室へと向かう。
「本当に……何故こんなことに」
美しく咲き誇る花々を見つめながら、カナリアは心を落ち着かせる為に目を瞑り、息を深く吸い込む。
すると、頭の中で大粒の涙を流すロビンが浮かんで、胸がツキリと痛んだ。
「ロビンちゃん、あんな泣かせ方をしてしまってごめんなさい……」
頭を抱えるカナリアが、眉間に皺を寄せ、幼い頃の自分を思い出す。
カナリアは、幼少期から寝る間も惜しんで一流のレッスンを受けてきた。
泣くことも許されない苦しく過酷なレッスンで、音楽ばかりの家を恨んだことさえあった程だ。
普通の子供のように遊びたい。
普通の家族のように笑いたい。
そんなことを言えば、鼻で笑われることは分かっていたから、カナリアは心の奥底にあるその想いに、鍵を掛けて必死に歌を練習した。
そうして、カナリアは今の揺るぎない地位と自信を築きあげたのだ。
今は、家を恨んでなんていない。寧ろ、感謝している。
歌が上手くなれば、周りが自分を認め、火の女神なんて持て囃してくれるのだから。
けれど、あの時のロビンが幼い頃の自分に重なってしまった。
言いたいことをぐっと我慢して、声も出さずに涙を流すあの姿は、カナリアの胸を酷く締め付ける。
きっとロビンは、カナリアが言わなければ、自分が泣いていることさえ、気付いてはいなかったであろう。
「ロビンちゃん……、貴女を虐めるのはやっぱり辛いものがありますわね」
カナリアは、ぎゅっと拳をきつく握って呟く。
すると、カサっと小さく葉を揺らす音が聞こえ、そちらへと視線を向ければ、そこには漆黒の髪の少女がカナリアを驚いた様に見ていた。
「……あら、クロウさん。どうかなさって?」
「いつもの貴女なら、あんなこと言わない」
「はい?」
「それに、今までの貴女はそんな顔しなかった」
「……何を仰っていますの?」
クロウの唐突で意味の分からない言葉に、カナリアが眉間に皺を寄せる。
だが、クロウはそんなカナリアを毅然とした態度で見据えたまま、口を開いた。
「貴女も思い出したの? ……前世を」