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バークライト家に戻って早々、カナリアは自室ですぐに着替え、部屋を出た。
美しく手入れされた庭園を突き進み、ポツンと草木に包まれた小さな温室の扉を開ける。
そこには、一人のメイドがにこやかに微笑んでいた。
「あらまあ、カナリア様またいらしたので? 随分とお暇なことで」
「主人に対して随分な態度ですわね」
「いつもの事ではないですか」
「それが大問題ですのよ、マグパイ」
ふんわりと優しく微笑みながらも、その口から出される無礼な言葉の数々に、カナリアが盛大な溜息を吐く。
物心ついた時から自分の世話をしているこのメイドは、自分を主ということをすっかり忘れているのか、馴れ馴れしい態度を改めることをしない。
しかも、自分の前以外では主人を敬う完璧なまでの仕事ぶりで、屋敷の者はこのメイドを高く評価している。
こんな猫被り、仕事さえ出来なければ即刻クビだと言うのに。
「それで、今日はどうなされたのですか? あれ程まで楽しみになされていたアリア学園に入学したというのに、何やら顔が不細工ですよ?」
「どこの誰が不細工ですって? この誰もが見惚れる絶世の美少女のことではないですわよね?」
「あら、絶世の美少女ってどちらに?」
「本当に貴女って、口が減らないですわね」
不愉快そうに眉間に皺を寄せたカナリアに、マグパイが温室の中央にあるテーブルにティーカップを置く。
離れていても分かる程に、優しく華やかな良い薫りを放つティーカップに、カナリアが静かに近付き、マグパイが引いた椅子に座った。
赤い色をした液体の上に、ふわふわと黄色やピンクの花が浮いているそのハーブティーを口に含んで、カナリアが眉を上げる。
「……仕事だけは出来るのだから嫌ですわ」
「お褒めに預かり光栄でございます。これもお嬢様がヒヨコのようにピーピー泣いていた頃から世話してきたお陰です」
「ピーピーなんて泣いてないですわよ!! ああ、嫌だわ! ジェイは? ジェイはいないの?!」
「あ、呼びましたー?」
きょろきょろと周りを見ながらカナリアが呼べば、温室の奥で泥だらけの青年が、にこやかに大きな声を出す。
ドタドタと盛大な足音を立ててやって来たマグパイと瓜二つの顔をしたジェイは、太陽のような笑顔をカナリアに向けた。
「お嬢、またマグパイがなんか言ったんスか? すんませんー、素直になれない姉なんスわー」
「ちょ、ちょっと! 貴方汚れすぎじゃなくて?! 近寄らないでちょうだい!」
「今ちょっと植え替えしてたんでー、しゃーないっスわー」
「もうっ! 貴方達双子は、なんで主にこんな無礼な態度ばっかりなんですの?!」
ティーカップをガチャりと音を立ててカナリアがテーブルに置けば、「あらやだ、はしたないですよ」とマグパイが制する。
その制止に、誰のせいだ、とカナリアの怒りがまたもや膨らむのだが、この双子の姉弟をまともに相手にしては、自分が疲れるだけだ。
「そんで、お嬢どうなさったんで? マグパイの言う通り、なんか顔が変っスよ」
「変ってどういう変よ……」
「今朝はあんなにキラキラした顔で出て行ったのに、今は深刻そうっス」
「……深刻な顔に見える?」
コクリと同じ顔二つが頷いたのを見て、カナリアがまた大きな溜息を吐いた。
この双子は、自分を幼い時から世話していたせいか、家族すら気付かない自分の機微に気付いてしまう。
――まあ、だからここに来たのだけど……。
「二人に相談があるのだけれど」
「なんでしょうか?」
「好きな人を虐めなければならないの。何をしたらいいと思う?」
「はい?」
怪訝そうに首を傾げる二人に、カナリアがどうしたものかと肩を落とす。
前世の記憶があるんだと、この双子に言っても笑われるのがオチだ。
「どうしたら入学したその日に、好きな人を虐めることになるんです?」
「てか、お嬢、好きな人出来たんスか?一目惚れ?」
「……そうね、一目惚れですわ。亜麻色のふわふわした髪も優しい笑顔も全てが好き」
「「……うっわぁ」」
「なんですの、二人して失礼ですわね」
ロビンを想いながら話すカナリアの顔は、だらしなくニヤニヤと薄笑いを浮かべ、凡そ令嬢がするべきではない顔だ。
そんな自分の主人の惨状に、幼少期から素晴らしい淑女になるように育ててきたマグパイとジェイにとって、これは悲惨な状況である。
げんなり顔で一言呟くくらい許して欲しいところだ。
そんな中、未だ顔を顰めるマグパイが口を開く。
「それで、お嬢様は何故その方を虐めなければならないのですか?」
「その人を幸せにする為ですわ」
「どういうことっスかー? お嬢の言ってることよく分かんないっス」
「簡単に言えば、私の好きな人を幸せにする為には、私はその人をとことん虐め抜いて、嫌われなくてはいけないの」
優雅にハーブティーを飲むカナリアの発言に、やはり意味が分からないとでも言うように、双子が顔を見合わせた。
「欲しいものは何がなんでも手に入れるあの我儘お嬢様が、人の幸せの為に……?」
「しかも、ご自分の好きな人に嫌われるって……?」
「そうですわ。それがゆくゆくはその子の幸せになりますの」
「でも、それでお嬢は良いんスか? めっちゃ辛いじゃないっスか」
「そうですわね、死ぬ程辛くてこれからあの子を虐めなくてはと思うと胸が痛みますわ。ついでに、胃も痛くて仕方ありませんの」
静かにティーカップを置いたカナリアが、悲しげに眉を顰める。
けれど、それは一瞬で、すぐに顔を上げた。
「ですが、それがあの子と私の運命だと知ってしまった以上、私は全身全霊を掛けて虐め抜くと決めましたのよ。……私の身の破滅に繋がるとしても」
「……それ、どういうことっスか」
「お嬢様、今日は本当に可笑しいですよ?」
不安げな顔で自分を見つめる二人に、「気にしないでちょうだい」とカナリアは優しく微笑んだ。
卒業後、カナリアはバークライト家から追い出されてしまう。
カナリアのしてきた数々の嫌がらせが白日の元に晒され、しかも嫌がらせした挙句に結局無名の少女に歌で惨敗するのだ。
そりゃ、バークライト家もこんな恥晒しの娘を追い出したくもなるだろう。
歌手としての夢を失ったカナリアは、隣国の片田舎で細々と一人で暮らすことになると、エンディングの端のモノローグに書かれていた。
そう、一人で。
「さあ、そういう訳だから二人とも考えてちょうだい。私、いざ虐めようと思っても、どうすれば良いか分かりませんの。いつも知らぬ間にしているようだから」
「……大丈夫ですよ、お嬢様。貴女は無意識にしていますから」
「お嬢って、ご自分の性格本当に分かってないんスねー」
「どういうことですの?」
首を傾げるカナリアに、二人が肩を竦める。
「どこで育て方を間違えたのかしら」とマグパイが溜息を吐き、「お嬢じゃなくても周りが勝手に動いちゃうしなー」とジェイが困った様に笑う。
そんな二人を見ながら、カナリアはもう傾げる首が無いわと、ハーブティーを飲んだ。