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呆けた顔をする紅の乙女に、漆黒の青年は嬉しそうに目を細める。
そして、彼は通信石を切断し、にこやかに口を開いた。
「一週間ぶり? まあ俺は、映像越しに王宮で歌ってるカナリア見てたけどさ」
「あ、貴方、何故ここに!?」
「クロウ嬢様の護衛だよ。アリア学園の警備は強固だって有名だけど、一応ね……っていうのは、建前」
バルコニーの入口で固まるカナリアに、レイヴンが静かに近付く。
そして、するりと、カナリアの右手を取り、彼女の腰に手を回して、自分の元へと引き寄せた。
「アンタに会いたくて、無理矢理付いて来ちゃったって、言ったらどうする」
「ていっ!!」
「いって!!」
バシーンっと、カナリアの左手が、レイヴンの右頬に勢い良く命中する。
驚きで目を丸くするレイヴンから抜け出したカナリアは、苛立たしげに口を開いた。
「馴れ馴れしい! 淑女の部屋に勝手にやって来て、不躾に触れるだなんて、言語道断ですわよ!」
「えぇ〜、単なる挨拶じゃん……」
「時間と場所が有り得ませんわ」
「何だよ、じゃあ昼の庭園なら良いの?」
「駄目に決まっているでしょう。私に不用意に触るんじゃなくてよ」
警戒心を露わにし、キッと睨み付けるカナリアに、レイヴンが不服そうに、打たれた右頬を擦る。
そして、ブスッとした顔で、カナリアを見つめた。
「他の男には許してたじゃん」
「は? 他の男?」
「巨人みたいなやつ! クロウ嬢様がめっちゃ怒ってたの、俺、木の上から見てたよ」
「何で護衛が木の上にいるんですの」
「クロウ嬢様の言いつけなんだよ。隠れて護衛しろって。てか、話逸らすなよな! あの巨人は良くて、何で俺は駄目なんだよ!」
ブーブー文句を言うレイヴンに、面倒臭そうにカナリアが眉間に皺を寄せる。
クロウと言い、レイヴンと言い、何でそんなにもホウゴロウに突っかかるのか。
「ホウゴロウも良くはありませんわよ。幼い頃から、口を酸っぱくして言い聞かせていましたわ。ですが、すぐにあのアホは忘れますのよ!」
「それにしたって、カナリアに隙があるのが悪いんじゃないのか〜? 簡単にキスされてたし」
「この私に隙などありませんわ。額のキスなんて、スキンシップの一環でしょう。騒ぐほどでも無いですわよ」
肩を竦めて、やれやれと呆れるカナリアに、レイヴンの目が鋭く光る。
「……ふーん? スキンシップの一環? じゃあ、クレイン様とかホーク王子がしても、カナリアは受け入れるの?」
「二人共、私にそんなことするなんて有り得ませんわ」
「有り得る有り得ないじゃなくてさ……」
伝わらない意図に、レイヴンが頭を掻きながら、大きな溜息を吐く。そして、彼は不機嫌な声で言った。
「……カナリアってさ、あの巨人になんか甘くない?」
「ホウゴロウは、ただの幼馴染。それ以上でも以下でもありませんわ」
「幼馴染なら、キスしてもいいってこと?」
「だから、アレに深い意味は無いんですのよ」
「深い意味のないキスなんて、無いよ」
ギラリと光る漆黒の瞳に、ギクリとカナリアの体が跳ねる。
ヘラヘラとした表情と雰囲気が消えたレイヴンに、カナリアは小さく後ずさりしたが、逃さないとでも言うように彼の大きな手が、カナリアの腕を掴んだ。
「カナリアは、アイツのこと好きなの?」
「はっ? そんなわけないでしょう?!」
「でも、気許してるよね。アイツだって、男なのに」
「きゃっ!」
引っ張られ、グルリと視界が回転する。腰にある手すりに両手をひとまとめに置かされ、その上にレイヴンの大きな左手が覆い被さり、手が封じられた。
目の前には、自分に影を落とす男が自分を見下ろしていて、カナリアは冷や汗をかく。
「ちょっと! 離しなさい!」
「ほら、隙だらけ。本気出せば、カナリアなんて簡単に拘束できるんだぜ」
「燃やしますわよ」
「俺にはそういうこと言うんだ」
「……もう、何なんですの、本当に」
疲れた表情で悪態をついたカナリアに、レイヴンが眉を寄せて、口をへの字に曲げる。そして、呟いた。
「だって、あの巨人にだけ、カナリアは甘いじゃん。怒ってるけど、突き放す感じじゃないし」
「そんなことありませんわ、だから早く離しなさい」
「嫌だ。カナリアは、スキンシップさせるようなタイプじゃないじゃん。アイツだけ、何で特別なの。……好きなの?」
自分の両手を覆うレイヴンの左手に、グッと力が入る。真剣に自分を見つめ、返答を待つレイヴンに、カナリアは盛大に溜息を吐いた。
そして、頭の中で様々な考えを巡らせ、悩んだ末に、結局、もうなんか面倒臭いので正直に話すことに決める。
「……ホウゴロウは、元は奴隷でしたのよ」
「えっ」
丸くなる漆黒の瞳を見返して、カナリアは言葉を続ける。
「この国は奴隷を禁止していますわ。ですが、奴隷密輸をする輩は、私の幼い頃にはまだいましたの。
私とホークがその密輸者を引っ捕らえて、奴隷馬車にいたホウゴロウを助け出したのが、出会い」
アリア国の王子であるホークは、奴隷市場を毛嫌いしており、幼い頃から勝手に調査しては、告発、逮捕と、様々な手を使い、奴隷市場を潰していた。
そのホークの奴隷市場壊滅計画に、カナリアは毎回付き合わされていたのだ。火属性魔法の力が強く、毎回誘拐犯を返り討ちにしていた実績もあり、幼馴染。正に、都合の良い存在。
大人達には止められていたものの、ホークとカナリアの二人が言うことを聞くはずもなく、独断でホークは奴隷市場を牛耳る貴族やら富豪やらを、社会的に破滅させ、牢屋に入れていた。
「仲が悪いよな、二人共。今日、ずっと喧嘩してたの見えた」
「あんな奴に手を貸したくなど、当然ありませんでしたわよ。ですが、奴隷市場を牛耳る貴族達は、王族の権威を貶めようとしていましたから、バークライト家も動かざる得ませんでしたのよ」
当時、東の島国の奴隷問題は、国際的に大きな問題となっていた。
東の島国の人間は、丈夫で反抗的ではなく、よく働くと奴隷市場に需要もあった為、様々な国で誘拐、奴隷化されており、アリア国の王族は、この奴隷化を断固反対し、奴隷市場を排除していたものの、貴族の大部分は奴隷を秘密裏に買い、裏で市場を回していた。
当時の王の側近が中心となっていたこともあり、その証拠集めも難航していたのだ。
「東の島国との国際問題にも発展し、腐敗した貴族達を一掃するために、私とホークは動いていましたわ。結果的には、全て壊滅させることに成功し、国の平和を保たれましたの」
救われた奴隷達は、故郷である東の島国に返された。けれど、ただ一人、ホウゴロウだけはこの国に留まり、ホークの従者となったのだ。
ホークが彼の聴力や足の速さ、突出した身体的な才能に目を付けたのも、大いに理由の一つであったが、ホウゴロウ自身が、ホークとカナリアの側に居たがった。
「ホウゴロウは、ホークと私に恩を感じているのですわ。そして、彼は故郷に家族がいなかったから、私達を弟妹のように思っていますのよ」
「……そうだったんだ」
「だから、彼のスキンシップは全て、弟妹にするようなもの。目くじら立てて叱っても、彼にはどうして怒られるのか、分からないんですのよ。だって、ホウゴロウはホークにも額にキスしますもの」
緩んだ手に、カナリアが両手を抜き出す。
目の前の気まずそうな青年を見上げれば、彼は眉を下げた。
「……ごめん」
「本当ですわよ。今日はずっと、クロウさんにもそのことで鬱陶しく言われましたし」
「でも、キスは駄目だと思う」
「まだ言いますの?! しつこいですわね!」
「ええ〜、だって、キスは駄目だって! カナリアは俺がしたら怒るだろ?!」
「当たり前でしょう! というか、ホウゴロウにも叱ってますわよ!」
プンプンと、怒り続けるカナリアに、レイヴンが拗ねたように唇を尖らせる。
そして、手すりにカナリアを追い込んだまま、彼女の紅の髪を一房手に取った。
「俺さあ、ずっと、カナリアのこと高飛車傲慢女って噂で聞いててさ。まあ、間違いではなかったけど」
「喧嘩売ってますの、貴方」
「でもさ、それだけじゃなかった。初めて会った時、ロビンの為に必死になってる姿見たり、路地裏の皆のことを気に掛けてくれたり、ロビンの家で一緒に遊んだりとか色々、カナリアのこと知ってさ」
恭しく持ち上げられる自身の髪に、レイヴンが静かに口付けを落とす。
その一連の動作が、あまりにも流れるように美しく、カナリアは止めることも忘れて、見入ってしまった。
「ねえ、俺、本気でアンタのこと好きになってる」
鋭い漆黒の瞳が、カナリアを射抜く。
その瞳に囚われた紅の乙女は、視線を逸らすことも出来ず、息を呑んだ。
「だから、あんまり他の男に触らせないでよ。例え、家族みたいな関係だとしても、嫉妬しちゃうから」
するりと、落ちた紅の髪と共に、レイヴンがカナリアから一歩離れる。
固まっていたカナリアが、ハッとして正気を取り戻し、何か言おうと口を開くが、一気にその顔に熱が集まり、言葉が出なかった。
真っ赤な顔で口をパクパクさせるカナリアに、レイヴンが驚いたように大きく目を見開き、そして、スッと愛しそうに細める。
「おっとぉ、その反応は脈無しではない感じ?」
「馬鹿を言わないで!! はっ、早く出ていきなさい!!」
「はは、言われなくても、もう戻るよ。……本当にちょっと顔見たかっただけだったんだ、ごめんな長居して」
大きな手が、カナリアの頭を優しく撫でる。出会った時にされた乱暴さはなく、ただ、愛しい人に触れるような触れ方。
それにカナリアは、全身が心臓になったかのように脈打ち、熱くなり、何故こんなにも恥ずかしいような、居た堪れない気持ちになるのか分からず、けれど、その手を叩き落とすことも出来ずに、彼女は一歩後ずさりすることしか出来なかった。
「おやすみ、カナリア」
「……早く、行きなさいっ!」
「うん、あっ、ごめん、最後にこれだけさせて」
ちゅっ、と、自分の額に触れた柔らかな感触と熱。
名残惜しげに離れた彼は、してやったり顔で歯を見せ笑った。
「上書き。おいおい、警戒心はちゃんと持てよ、カナリア」
シュンっと、バルコニーから木に移って、闇夜に溶けた青年に、カナリアはへなへなとその場に座り込む。
生温い風では、到底今の自分の熱を冷ますことは出来ず、カナリアは悔しそうに唇を噛んだ。
「こ、これでは、クロウさんの言った通りではありませんのっ!」
頭を抱え、叫ぶ。
まだ出会って間もない男に、今までのカナリア・バークライトならば、隙なんて見せる暇さえ与えなかった。
今までの人生、老若男女問わず、彼女は警戒心を緩めたことなど、無かったのだから。
それなのに、この失態はなんなのか。
あの青年の前では、何故か彼女の強固な壁が綻んでしまう。
前から知っているような懐かしさ、彼の図々しい馴れ馴れしさは鬱陶しくありつつも、丁度良い距離感を見極めていて、そして、あの切れ長の漆黒の瞳が、自分を映して細まると、何故か安心した。
気が緩んで、解けた警戒心の間に、するりと入り込む彼に、悪い気がしないのも事実。そうでなければ、出会ってすぐの男に、二度も頭を撫でられることなど、今までのカナリアならば有り得ない。
だからこそ、今回の告白に、初心な乙女は頭が真っ白になってしまう。
「私に恋愛など不要!! 私の野望には不要!!」
自分に言い聞かせるように叫びながらも、生まれて初めて受けた愛の告白に、カナリアの感情は処理出来ない。
どうにか眠らなければと、カナリアは自分を落ち着かせるために、亜麻色の乙女を頭に浮かべ、彼女の素晴らしさの数を数え、けれど結局眠れないまま、朝を迎えたのだった。




