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「あー、最悪。本当に? 本当にそうなの? 勘違いじゃないの、これは」
「く、クロウさん?」
「あっ、近付かないでください。今ちょっと、違う謎が解明してしまって、それについて考えなくちゃいけないので」
「は、はあ?!」
自分へ手を伸ばそうとしていたカナリアから、ササッと離れ、顔を覆ったままのクロウがソファの端で蹲る。
訳の分からないクロウに困惑するカナリアは、先程までとは別の意味で気まずくなった。
――もう全く分からないですわ。クロウさんに何が起きてますの?
クロウをそのままにして、カナリアがバルコニーに目を向ける。
話し合いの中断で暇になってしまったカナリアは、バルコニーの扉を開けた。
夏の始まりを告げる生温い風が入り込み、紅の髪がふわりと宙を舞う。
さやさやと、風と共に靡く美しい紅の髪が、キラキラと月明かりに照らされ輝いた。
その姿を遠目に見ていたクロウが、自分の胸にそっと手を添える。
ドキドキと、速い鼓動を打つ自分の心臓に、この感情を受け入れざるを得なくなった。
「……俺が、惚れたのか」
ポツリと、誰にも聞かれない声で呟かれた言葉。
そして、クロウは勢い良く立ち上がり、星空を眺めるカナリアの元へとツカツカと向かった。
「カナリア様」
「あら、漸く落ち着きまして?」
「ホークとホウゴロウに話を聞くのは、私がやります」
「えっ? ああ、貴方がしたいのならば、もう任せますわ」
「ありがとうございます」
そう言うや否や、クロウが部屋の入口へと向かった。
自室に帰ろうとする彼女に、カナリアが慌てて追いかければ、振り返ったクロウは、今まで見たこともない優しい微笑みをカナリアに向ける。
それに、カナリアはドキリと、胸が鳴った。
「おやすみなさい、カナリア様。明日は歌魔法発現の儀式ですから、調べものは明日以降またしましょう」
「ええ、そうですわね。……おやすみなさい」
パタリと閉まった扉を数秒見つめ、カナリアは大きく息を吸って吐く。
気まずい空間が終わったものの、最後のクロウの表情が変に頭に残ってしまい、カナリアは目をパチパチとさせながら、バルコニーに戻った。
すると、大きなカラスの鳴き声が部屋に響き渡り、カナリアは肩を跳ねさせる。
「はっ?! なに、なんですの?! 通信石のコール音?!」
自分の荷物から聞こえるその音に、慌てて荷物を漁れば、小さな包みが出てくる。
その包みには、マグパイの文字で『秘密の殿方との通信石を入れておきます。お嬢様も隅に置けませんね』と、ハートが沢山書かれていた。
何のことだと、開いてみれば、淡い紫色の通信石が出てきて、カナリアは頭を抱える。
「急にこんな夜更けに連絡するなんて、貴方は本当に図々しいですわね!」
「おっ、出た出た。よう、カナリア元気かぁ〜?」
気の抜けた声に、カナリアの力が抜ける。
通信石越しにケラケラと笑うレイヴンは、楽しそうな声で言葉を続けた。
「俺、カナリアから連絡来るの待ってたんだぜ? それなのに、あの日からずっと音沙汰なしでさ。そんで、クロウ嬢様が合同合宿行くってなって、じゃあカナリアも行くから一ヶ月は、この街から離れちゃうのか〜って。
俺的にはまた会いたかったのにさ〜」
つらつらと、こちらの返答を気にもせずに話し続けるレイヴンに、カナリアは通信石を切ってしまおうかと、本気で考える。
なんだか色々あった合宿初日だった為、カナリアは早々にこの疲れる相手との会話を止めたくなった。
「私は貴方と会う必要なんてありませんわ。馴れ馴れしい。そもそも、私はそう簡単に会えるような人間ではありませんのよ」
「有名人のカナリアは学業に仕事に大忙しだもんな。そっか、俺から会いに行けば良かった?」
「そういうことではなくて、貴方如きが会える人間ではありませんのよ、私! というか、貴方はご自分の仕事に注力しなさい!」
ポンポンと聞こえてくる軽薄な言葉に、カナリアが怒りを込めて言えば、通信石の向こう側の人物は、またもやケラケラと笑った。
「あはは、仕事はきちんとやってるよ。この前みたいなことがないように、路地裏の連中には注意したしさ。
それに、実はロビンがさ、出会った翌日の朝早くに、また路地裏にやってきて、廃材持ってきて家の修繕とか皆に教えてくれたり、畑や薬草の育て方とか色々教えてくれたんだよ。毎朝来てくれてさ、本当に助かった」
「……えっ、ロビンさんが?」
急に出てきた推しの名前と素晴らし過ぎる善行に、カナリアが驚きで目を丸くする。
――路地裏でのイベントは、元からゲームには存在しない。だから、そのロビンさんの行動は、ゲームから逸脱していて、有り得ない行動ですわ。ですが……。
優しいあの子が、路地裏の状況を見て、何も思わない訳が無い。
合宿に行くまでの間、自分の魔法鉱石のチャーム作りや放課後のレッスンと、とても忙しいはずだった彼女が、眠る時間を削って、早朝に路地裏の整備をしていた。
ここ一週間、彼女が眠たそうに目を擦っている姿を見て、可愛らしいと悶えていたが、そんな理由があったからなんて、思いも寄らなかった。
「……そう。ロビンさん、そんなことをしてましたのね。そんな暇があるなら、歌の朝レッスンでもすれば良いものを」
「そんなこと言うなよ、カナリア。そんなこと思ってもないくせにさ」
「ふんっ、そもそもあんな薄汚れた場所を、いくら整備しても意味はないですわ。さっさと、あの場所から私が全員追い出してやりますから、首を洗って待っていなさい」
「……ははは! 早いとこ頼むわ、カナリア」
優しい亜麻色の乙女の笑顔を思い出し、カナリアは心がじんわりと温かくなるのを感じる。
そういえば、彼女の家は魔法を極力使わない生活をしていた。修繕も人の手で行われていたし、食事の火も薪を使っていて、魔法を使っていた姿を見たのは、彼女の父親が動物を呼んでいた時のみ。
街外れにもほどがある、森を抜けた先の牧場で、魔法石自体、手に入りにくそうな場所であったし、自給自足の生活が板についていた。
だからこそ、彼女は魔法に依存しない生き方を知っていて、路地裏の民にも、それを教えることが出来たのか。
今傷ついている人を救おうとするロビンと、根本的解決優先でそれを後回しにしていた自分。
――こういう所が、私と彼女の違いですわね。
自嘲気味に笑いながらも、ロビンの行動が嬉しくて堪らない。彼女の優しさは、ずっと本物だ。
「……そんでさ、路地裏もなんかロビンのお陰で落ち着いてきて、荒ぶる奴らも減ったんだ。自警団の主な仕事も、薬草やら野菜を皆で育てたり、家の修繕したりで。勝手に色々やると、怒られちまうけど、ロビンが自分の家から持って来る廃材とか種で賄ってるからさ、全然バレなくて」
「良かったじゃないですの」
「うん、でも、俺が暇になっちゃったんだよな。見張ってなくても良くなっちゃって、他の自警団の奴らに任せられるようになっちゃって」
「あら、ならば本業に専念すれば良いのでは? 貴方は元々、ゴッドスピード家の護衛でしょう」
「うんそう、金欲しいし、護衛の仕事に集中することにしたんだよ。そしたら、カナリアにも会いに行けると思って」
「は?」
ブワッと、強い風が部屋の中に吹き込んでくる。
背中に感じる風に、バルコニーの扉を開けたままだったと気付いたカナリアが振り返れば、バルコニーに人影が見えた。
まさか、と、バルコニーに近付けば、淡い紫色の通信石を持った男が、バルコニーの手すりに寄りかかりながら、笑う。
「会いに来ちゃった」




