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大きなテーブルの上に並べられた沢山の野菜やチーズにパン。クリームシチューの湯気でいっぱいの食卓は、柔らかな温かさに包まれていた。
カルティス家の人々は、話を途切れさせることはなく、カナリアとレイヴンをずっと楽しませてくれる。
彼らの会話は弾み、夜はこんこんと更けていった。
食事が終わり、語らいに花を咲かせていれば、カナリアの通信石に馬車が到着した連絡が入る。
楽しい時間はあっという間で、ログハウスの入口で、カナリアとレイヴンはカルティス家の人々に見送られる。
優しい家族達にカナリアは、最後の挨拶を口にした。
「本日は誠にありがとうございました。牧場も食事もとても素晴らしいものでしたわ。……ロビンさんも髪飾りの件、感謝いたします」
「本来の物とは違ってしまって、本当にすみません……。でも、カナリア様が元気になって良かったです!」
にっこりと、本当に嬉しそうに言ったロビンに、カナリアはグッと堪える。
好き。愛している。零れてしまいそうな本音を飲み込んで、カナリアは顔を背けた。
「…………貴女の歌は、毎回不安定に音が揺れますわ。週末だとしても、歌の練習は怠らず。良いですわね」
「えっ、あ、はい!」
急な歌の指摘にロビンが困惑げに頷く。その照れ隠しにレイヴンは、可笑しそうに笑った。
そして二人は、カナリアの迎えの馬車に乗り込む。手を大きく振るロビンに、レイヴンが手を振り返した。
「今度は私が牧場案内しますからね! 二人とも、また遊びに来てください!」
「うん! カナリア連れてまた来るよ!」
「ちょっと、勝手な約束をしないで下さる?!」
「じゃーなー、ロビンー!」
どんどんと、小さくなっていくカルティス家を名残惜しげに見つめ、カナリアは小さく息を吐いた。
レイヴンと二人きりの馬車の中、彼はそんなカナリアを見て、目を細める。
「楽しかったな、カナリア。みんな優しくて良い人ばっかだった」
「……そうですわね。お人好しな方達ばかりで、ロビンさんがあんな性格になった理由がよく分かりましたわ」
「やっぱり、家族の雰囲気って移るよな。環境が人を作るってよく言うよ。あんな家族だったら、毎日楽しいんだろうな」
羨ましそうな声色で目を細め、窓の外を眺めるレイヴンを、カナリアは一瞥し、数秒の沈黙の後に口を開く。
「ご家族は?」
「分からない。孤児なんだ。だから、ああいう家族見ると良いなって思うよ」
「……そう」
しんみりとした、寂しさの漂う沈黙が流れる。
彼の羨ましさをカナリアは、少し共感出来てしまう。笑顔の絶えない楽しい食卓。優しく明るく、幸せそうな理想の家族。
「カナリアの家族ってどんな感じ?」
「いきなりなんですの?」
「バークライト家のご当主様や奥様ってカナリアと違って人当たり良いし、優秀だって聞くけど、家だとどうなんだろうって思って」
「貴方、一言多いですわよ」
レイヴンの足を蹴り、カナリアはふんっと顔を背ける。失礼な言葉ばかりな男に何も話すまいと意地になるが、じっーと、こちらをわくわくとしながら見続ける彼に根負けし、彼女は溜息混じりに話し始めた。
「お父様もお母様も、ご自分にとても厳しい方達ですわ。この国を代表する歌手として、王宮で日夜働き続け、外交官として他国で歌っていますの。家に帰れるのは一年に片手で数える程度。直接会うより画面越しの方が、姿を見れますわね」
「えっ……、全然会えてないわけ? 話もしないの?」
「月に一度は、通信石越しに家族での報告会をしていますわ」
「報告会って業務的だな。しかも月一って……家族なのに」
眉を寄せて悲しげに呟くレイヴンに、カナリアは目を細める。
「バークライトの名を持つならば、王宮に尽くし、仕えることが全てですわ。家族よりも王と王妃、ひいてはこの国や国民を優先するのは、当たり前でしょう」
「でもさ、やっぱり寂しいじゃん。分かんないけど、家族ってさ、もっと、支え合うみたいなさ。助け合っていくもんじゃないの」
「助け合っていますわ。両親は私達がバークライト家に相応しい歌手になる為、あらゆる教育を施して下さってますし、私や弟も彼らの期待に応えるべく努力し、彼らの不安要素や邪魔にならないようにしていますわ。そもそも、国の平和より血の繋がり如きが優先されるなんて有り得ませんことよ。バークライト家は、国の為にある家ですもの」
あっけらかんと、言い放ったカナリアに、レイヴンは言葉を失う。
バークライト家の人間は、国に尽くす為にこうも簡単に家族を捨てるのか。子を成すのも、国を守る人間を存続させる為なのか。そんな世界を知らないレイヴンにとって、カナリアの、”バークライト家の娘”の言葉がとても信じられなかった。
家族ではない。それは、家族ではない。捨てられてしまった自分と同じようなものではないか。気付いているはずだ、彼女は。愛のない家族に気付いている。それなのに何故、そんな悲しいことを当たり前のように言い放てる。あんな温かい家族を見た後に。
「……ロビンが、羨ましいって思わない?」
絞り出されたたった一言の疑問。
それにカナリアは、一瞬目を伏せ、フッと鼻で笑った。
「一度だけ、家を恨んだことはありましたけれど、今はこの家に生まれたことを誇りに思いますわ。最上級のレッスンを受けることができ、ステージに立つ経験を幼い頃から得られるのは、バークライト家に生まれたからですもの」
素敵な家族だった。優しい家族だった。
こんな家に生まれたら、幸せだろうと思えた。
けれど、何度生まれ変わっても、カナリアはバークライト家を選ぶだろう。
地位も名声も富も何もかも全て、カナリアは欲しい。親の愛が貰えなくとも、愛を知らなくとも、それがあれば、永遠に歌い踊れる。砂漠の心は、孤独なスポットライトを欲している。
欲望の赴くまま歌を歌い、自分を中心に世界を回すのが、カナリアにとっての幸せなのだから。
「牧場生まれでは、スタートラインが遅過ぎますわ。羨ましい? 有り得ませんわね。寧ろ、羨ましがるのはあちらでしょう。私は絶対にあんな貧乏な家に生まれたくはないですわよ、絶対に」
嘲笑うように言い放ったカナリアに、レイヴンが苦笑いを浮かべる。
彼はカナリアの複雑怪奇な心に、気付いているのか、いないのか、しんみりとした雰囲気を吹き飛ばすように明るい声を出した。
「あーあ! カナリアは本当に捻くれ者だな! ロビンはめっちゃ良い奴だったのにさ! 可愛いし優しいし明るいし、学園でも人気なんじゃないか。ライバル多そうだ」
優しく微笑みを浮かべたレイヴンに、カナリアが眉間に皺を寄せる。
話題を変えようとしたのは分かるが、その話題は彼女にとって地雷といっても過言ではない。
カナリアは、低い声で彼に釘を刺した。
「あの子を好きになってはいけませんわよ。貴方、ご自分の主に殺されたくはないでしょう」
「え、なんでクロウ嬢様が出てくんの」
「お黙りなさい。彼女は絶対に駄目ですわよ」
腑に落ちない顔で肩を竦めたレイヴンに、カナリアは視線を外す。
数分の沈黙の中、不貞腐れたように外を眺めるレイヴンは、徐ろにカナリアが紙袋から箱を取り出して開けるのを横目で見た。
嬉しそうに目を細めた彼女にレイヴンは、こういう可愛いところを沢山見たいんだよな、と微笑ましく思いながら、声を掛ける。
「……良かったな」
「……どうかしら。修復屋に持っていった方が良かったかもしれませんわ。最初の面影はひとつもありませんもの」
髪飾りに優しく触れながら、冷たい言葉を吐くカナリアを見つめ、レイヴンは呆れたように笑う。
「カナリアさ、もっと素直になれないのか? お前、言葉と行動がちぐはぐだぜ」
「はい? そんなことありませんわ。あんな子の言うことを信じた私が馬鹿だっただけですもの」
「あー、はいはい。じゃあ、俺が修復屋に持ってくよ。その葉っぱも光花には必要ないし、ちゃんと修復屋には無くすように言うから」
「結構ですわ。私、まだ貴方を信用してませんの。大切な髪飾りを渡したくなんてありませんわ」
「……はいはい、そーですかー」
大きな溜息を吐きながら、レイヴンは笑う。それにカナリアは、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。
この全てを見透かし、理解されているような気持ち悪さが、カナリアは不快だった。
「貴方って、いつもそんなに図々しいのかしら。この私に、その不遜な態度をずっと変えませんわね」
「図々しくないよ、俺。人々皆平等皆友達精神なだけ。カナリアがどんだけ偉くても、俺と君は同じ歳。だから、同じ歳の友達として扱う。それだけ」
「私、友人なんていりませんわ。勝手に言うのはやめて下さる。そして、身分はこの国には必要だからありますのよ。偉い私に敬語を使いなさい」
「壁高くて厚いな〜、牧場一緒に楽しんだ仲なのに」
けらけら笑うレイヴンに、カナリアは眉間に皺を寄せる。苛立ちしか湧かない。こんなにもズケズケと、自分に話し掛ける同年代は今までいなかった。
何を言っても言うことを聞かない彼は、あの双子を彷彿とさせ、大きく溜息を吐く。
「私、貴方みたいな人、嫌いですわ」
「えー、俺は好きだよ。仲良くなろうよ」
「気色悪い」
「ひっど! 俺、本当にカナリア好きだぜ。今日初めて会ったのに、ムカつくところ沢山あったけど、物怖じしない堂々とした性格の悪さ、段々クセになったし」
「貴方の言っていること、全て悪口ですのよ! 無礼者が! 大嫌いですわ!!」
声を張り上げたカナリアが、顔を背け、はっとして喉を擦る。それにレイヴンが首を傾げた。
「どうした?」
「これからステージですのよ。もう、貴方口を開かないで。話す度に腹が立って無意識に声を出してしまいますわ」
「え、これから? 超忙しいじゃん」
「……ふんっ」
口を引き結んで、もう話しませんと態度に見せるカナリアに、レイヴンがポリポリと頬を掻く。そして、窓の外に視線を向けた。
鬱蒼とした森の暗闇を駆け抜ける馬車は、段々と開けた明るい道へと辿り着き、橋を渡れば、見慣れた街の門が見える。
街の中へ入れば、レイヴンがコンコンと、御者へ合図を送った。
「ここまでありがとな、カナリア」
「ついでですわ」
馬車を降りたレイヴンに、つっけんどんにカナリアは返す。それにレイヴンは、けらけらと笑った。
そして、カナリアが早々に窓を閉じようとすれば、レイヴンがカナリア目掛けて何かを投げる。それは、カナリアの膝にコロコロと落ちた。
「それ、俺に繋がる通信石。困ったことあったり、聞きたいことあったら呼べよ」
「いりませんわよ、こんなもの」
「そんじゃまたな〜、カナリア!」
投げ返そうとすれば、既に彼は夜の闇に溶けていた。淡い紫色の通信石を見つめ、カナリアは溜息を吐き、それを紙袋に入れる。
「クロウさんに渡しましょう……」
疲れ切った彼女は呟き、ゆっくり瞼を閉じた。
暗闇の中、青年が馬車を見送る。
窓の中に見える紅の乙女を遠目に見つめ、彼は小さく呟いた。
「”彼女は私の味方になります”か……。ふーん……」
ぶつぶつと、呟きながら歩き始める。その横顔は、少し赤みがかっていた。
「結構、信頼してくれてたんだ。……本当に素直じゃない人」
暗闇に消えていくのは、彼か彼女か。
今はまだ、本人しか知らない。




