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クレインに連れられ、人気の無い王宮の中庭にカナリアは足を踏み入れる。
青白い月の光が中庭の花々を照らし、夜露に濡れた木々はさざめく。月明かりに照らされた幻想的な空間に、カナリアは澄ました顔で内心焦っていた。
――お待ちになって。ここは、ロビンちゃんとクレイン様の好感度イベント発生場所。本当に待って、おかしなことが起きてますわよ。
解釈違いを叫び続ける面倒臭い自分の中の推しカプガチ勢と、冷静にこの場の状況を分析する悪役令嬢が、結局何を考えても混乱することしか出来ず、目の前の美しい白髪を眺めることしか出来ない。
彼は中庭のガゼボに入り、ゆったりとした動作でベンチに座った。
柔らかな笑みを浮かべ、カナリアにも小さなテーブルを挟んだ向かいの席に座るように促す。それを彼女は素直に受け入れ、彼の言葉を待った。
「申し訳ございません。わざわざ、ここまで来てもらってしまって。ここならば、王宮の関係者以外誰も入れないので、二人きりで話すには持ってこいなんですよ」
「そうなんですの」
知っている。この中庭は、王族の為に作られた庭で、この国では珍しい草花が沢山植えられていることも、カナリアは知っている。
本当はここに居るはずのロビンに、懇切丁寧にクレインが説明していたのだから。ロビンに成り代わっている自分に、カナリアは気が気では無い。
「それで、何か私に言いたいことでも?
誰にも聞かれたくないお話をしたいんですものね?」
「ああ、いえ、相談がしたかったんです」
「相談?」
臨戦態勢で構えていたカナリアに、クレインが優しく微笑んで、敵意が無いことを示す。
その笑顔に毒気を抜かれたカナリアは、いつものようにふんぞり返って、彼を見据えた。
「何の相談ですの? くだらない相談は受けませんことよ」
「実は、ロビンさんのレッスンについて、指導の仕方をご教示いただきたくて」
「はい、解散ですわ。それでは、ごきげんよう」
「待ってください! 待ってください!!」
直ぐ様、立ち上がって帰ろうとするカナリアを、クレインが焦ったように引き止める。
心底面倒臭そうな顔をするカナリアに、クレインは眉を下げて笑った。
「相談もしたいですけれど、それだけではなくて。貴女ともっと親睦を深めたいんです。
折角二人でゆっくり話せる時間が、こうして出来た訳ですし」
「親睦。それは、光栄ですわ。
そのくだらない相談以外ならお話してもよろしくてよ」
渋々、座り直したカナリアに、困ったようにクレインは頬をかく。
にこにことした温和な笑みと雰囲気を崩さず、けれど、どうしようかと悩んでいるその姿に、カナリアはわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「結局、くだらない相談が目的じゃないですの」
「すみません。相談が目的だったわけではないんですよ、本当に。ただ、四人で初めて今日レッスンをして、目的が変わってしまいまして」
「ふんっ、あの下手くそが全て悪いのですから、クレイン様が反省する必要はないんじゃなくて」
腕を組んで悪態をつくカナリアに、クレインが苦笑し、手を組む。
絹糸のような睫毛を揺らし、憂うように視線を下げた彼は儚く美しい。
数秒、その姿に見惚れてしまえば、クレインが静かに話し始めた。
「いいえ、僕の指導方法が、あまり、上手くいってないことは分かっていたんです。ロビンさんには、合わないな、と」
「合わない?」
「僕が教わった方法は、基礎を固めて、完璧に間違えず、観客を楽しませるように歌うこと」
「当たり前のことですわ」
「ですが、それだと彼女の良さを失くしてしまうんです」
小さく呟かれた言葉が、夜風に吹かれて消えていく。
羨ましそうな、眩しそうな、彼女を思い出しながら、切なげに目を細めた彼を見つめ、カナリアは同族のその心に気付いた。
「彼女は、本当に楽しそうに歌うんです。
歌が本当に好きなんだと、分かります。音を外しても、それすら気にならないほど、彼女の歌は楽しく自由で、心に響く」
喜びと、苦しいほどの羨望が綯い交ぜになった表情を見せるクレインに、カナリアは今すぐここで、鏡を見せてやりたい気持ちになった。
その顔は、何度もカナリアもしてきた表情だ。
痛いほどにその気持ちが理解出来るカナリアは、静かに彼の言葉の続きを待つ。
「当たり前のことです。大事なことです。完璧に歌うことを、観客は求めている。
観客達を楽しませることこそ、歌手の役目。そういう風に歌わせなければならない。
……けれど、そんなことをすれば、彼女の歌は変わってしまいそうで、僕は基礎をしっかりとさせることしか出来ませんでした」
しんっと静まり返った二人の世界。
木の葉先に溜まっていた夜露が、涙のように地面に落ちた。
黙ったままのカナリアを真っ直ぐに見つめ、クレインは美しい純白の瞳を揺らめかせる。
「カナリア嬢、今日貴女は彼女を導いた。
彼女の個性や良さを損なわず、完璧とは程遠いけれど、素晴らしい歌声を彼女から引き出した。
教えて欲しいのです。僕と同じはずの貴女が、どうしてあんな指導が出来るのか。僕も、あんな風に……」
――歌いたい。
ハッとしした彼が、口を噤んで掻き消した最後の言葉は、言われなくとも、カナリアの耳に届いた。
彼の全てを知っているカナリアは、ゆっくりと瞬きをして、口を開く。
「……今回の私の指導方法は、弟を想像して行ったものですわ。
不自由な籠の中でも、自由に歌い、飛び回れるように。いつか、共に歌うことがあるならば、彼の個性をそのまま引き出せるように、沢山の指南書や世界へ飛び立った先輩方から、話を聞いて構築しましたの」
「弟……」
「私と貴方は、同じようで同じではありませんわ。
同じ籠の鳥だとしても、私はそこそこ自由に動ける鳥だけれど、貴方は違いますでしょう?
ねえ、王位継承権第二位のクレイン・ホワイト様」
カナリアの言葉が、静かな中庭に、やけに大きく響く。
真剣な顔で、真っ直ぐとカナリアを見つめるクレインは、低い声を出した。
「どこでそれを?」
「王宮には、噂が沢山飛び交っていますもの。
イーグル王の妾の子は、類まれなる歌の才能があると言われていましたし、この国でそれに当てはまるのは、片手で数える程度。
ですが、その様子ですと、本当に貴方が妾の子でしたのね」
「……カマをかけましたね」
「貴方に嵌められた日から、ずっとこの時を待っていましたわ」
にんまりと笑ったカナリアに、クレインは目を丸くした後、可笑しそうにくつくつと笑う。
そして、深く息を吐き、彼はまた、優しく柔和な顔を見せた。
「貴女の想像通り、僕は妾の子で、王位も継げる立場です。ですが、僕は王位を継ぐ気は全くありません。
母が病死した後、アナ王女は妾の子である僕を迎え入れ、本当の母親のように愛情を与えてくれました。ホークも、僕のことを本当の兄のように慕ってくれています。そんな彼らを支える事が、僕の役割だと、そう思っていますから」
「あのドS王子よりは、貴方の方が王に相応しいと思いますわ。私、あの方とは長い付き合いですけれど、大嫌いですのよね」
「そんな悲しいことを言わないで下さい。
ホークは、あれでいて繊細で賢い子です。僕なんかより、よっぽど国の事を考えていますよ」
きっぱりと言い切ってからクレインは、カナリアの心底嫌そうな顔を見て、くすくすと笑う。
繊細だの、賢いだの言われている頭に浮かんだ悪ガキ大将に、カナリアは思いっ切り眉間に皺を寄せた。
彼の腹違いの弟であり、入学して直ぐにコネを使って生徒会副会長になった、次期国王候補ホーク・アリア・トレ・パーチ。
同年代の彼とは幼い頃から王宮で歌うカナリアにとって長い付き合いの、所謂、幼馴染である。
けれど、横柄で悪戯ばかりの手の付けられない悪ガキだったホークと、同じく横柄で傲慢な手の付けられない怖ガキだったカナリアは水と油。
出会えば罵り合い、話せば貶し合い、これでもかという程、二人の相性は最悪だった。
――攻略対象者のひとりでもある、あのドS馬鹿王子。ロビンちゃんが選んでくれなくて、本当に助かりましたわ。
あんなのと二人で和気あいあいとされましたら、嫉妬であの馬鹿を暗殺するところでしたもの。
そんなことを考えながら、カナリアは目の前で楽しそうに話すクレインを見つめる。
優しい雰囲気が戻り、学園の時とは違う、砕けた笑い方をして年相応な彼の姿は、彼女を少し安堵させた。
「まあ、王位は継がなくとも、貴方が鳥籠の中だと言うことに違いありませんわね。
私がバークライト家の娘だからこそ、貴方の噂を耳に入れることが出来ましたけれど、秘匿情報として貴方の正体は隠されていますもの。
カマを掛けなければ分かりませんでしたし、そこまでするという事は、そこまでしなければならない理由があるということ」
「ええ、王位継承権を持つ妾の子なんて、政治の道具にするには便利過ぎますから。
僕はホワイト家の養子になり、一貴族の息子として身分を偽りながら、誘拐や拉致をされないよう、厳しい監視下の元で、離宮で普段は過ごしています」
にこやかに話す彼に、カナリアは眉根を寄せる。
離宮で過ごしているということは、家族との接触は無いに等しい。
しかも、ホワイト家との関わりも希薄な様子で、厳重に保護はされているものの、彼は孤独だ。
「私が聞いたように、どこから情報が漏れるか分かりませんし、歌い手としての才能があるならば、妾の子関係なく誘拐と拉致の可能性は高まりますものね。
王宮に務めだしてから、数える事を辞めたくらい、私も襲われた経験がありますわ」
「……そうなんですね、それは怖かったでしょう」
気遣わしげに自分を見遣るクレインに、カナリアはフッと笑う。
そして、胸を張ってドヤ顔を見せた。
「何も怖くないですわ。
毎回、数倍返ししてますもの。実行犯も依頼者も全て特定し、牢屋にぶち込んでますわ!
私を利用しようなど、出来るものですか!」
おほほほ、と高笑いを始めたカナリアに、クレインが拍子抜けして苦笑する。
彼女にとって気遣いの言葉は、要らぬお世話。気遣われることすら、時間の無駄。
「僕も貴女みたいな強さが欲しいものです」
「あら、そちらならいくらでも教えて差しあげても問題なくてよ。
下手くそへの指導方法よりも、そちらの方が数倍マシですわ」
鼻で笑って肩を竦めたカナリアに、クレインは微笑みを絶やさず、組んだ手をゆっくり解いた。
「僕は、ずっとひとりでした。王族との接触も誰かに見られてしまえば、疑いの目や噂の的になってしまう。
才能を磨き、完璧に歌えるように努力しました。そうすればやっと、家族に会える。僕はその為だけに、歌い続けていた」
自嘲気味に笑みを浮かべ、クレインが瞼を閉じる。
彼とカナリアは、似ている。
ひとりぼっちで、厳しいレッスンを受け続けたのは、家族の愛に飢えていたから。
歌を評価され、他者から沢山の賛辞の言葉を贈られても、砂漠の土に一滴の水を垂らすようなもので、彼らの心はいつも飢えていた。
家族の役に立つことこそ、存在理由。その為の手段が、歌。
彼らにとって歌は、自分の存在価値を証明し、ここに居ても良いのだと、安心する為の道具。
だからこそ、彼らにとってロビンは。
「僕はロビンさんに僕以上の、いいえ、世界一の歌手になってほしい。
僕なんかより彼女の方が、よっぽど歌を愛している。歌うことを楽しんでいる。彼女の歌で救われる人間は、沢山いるはずです。
僕が、そうであったように」
君も分かるでしょう?、とでも言うような微笑みに、カナリアは静かに拳を握る。
カナリア・バークライトは、ロビン・カルティスが大嫌いだ。
下手くそで無名で、あがり症の音痴で、周りの生徒や教師から見下され、努力したって無駄なくせに、放課後ひとりで夜遅くまで練習をしている彼女が大嫌い。
楽しそうに、心底楽しそうに歌う彼女に。
歌を誰よりも愛し、愛されている純粋な彼女に。
カナリアは、鮮烈な羨望と苛烈な嫉妬を覚えた。
そして、前世の記憶による、彼女のひたむきなまでの歌への姿勢。
夢に真っ直ぐに向かう、眩しい姿。
自分には決して出来ない、夢を追うその姿。
大空を自由に飛ぶ、幸せを呼ぶコマドリ。
憧れと呼ぶには、歪で。
憎しみを抱くには、彼女を知りすぎた。
「カナリア嬢、彼女に指導をしてあげて下さいとは、言いません。ただ、僕に指導をして欲しいのです。
貴女をレッスンする立場で、こんなことを言うのはおかしな話ですが、行動を制限されている僕には、先人の教えも学園外の指南書も手には入らない」
風が吹く。二人の柔らかな髪を撫でるように、それは通り抜けた。
「カナリア嬢、僕に指導方法を指導しては頂けませんか」




