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「なんて酷いのかしら。その雑音、私の隣で出さないでいただける?」
「……っ、す、すみません」
「カナリア嬢、ロビンさんも努力をしているのです」
「そうですよ。そんなにロビンを責めないで下さい」
「ちょっと、お二人共黙って下さる?
私、この方がここまで酷いだなんて思ってもみませんでしたの。そんな風に甘やかしているから、この状態なのではなくて?」
ピシャリと怒りを込めて言われた言葉に反論出来ず、クレインとクロウは口を閉ざした。
放課後、第六音楽室に集まった四人は、早々にレッスンを開始したのだが、発声練習さえまともに出来ないロビンに、カナリアの堪忍袋の緒が切れた。
隣で聞くだけで耳が可笑しくなりそうな音の外しようで、初めて彼女の歌声を隠れて聞いた時から、進歩の見られないこの現状に頭が痛くなる。
「ロビンさん、クレイン様のレッスンを受けておきながら、その程度とは驚きですわ」
「……すみません」
「私ではなくクレイン様に謝った方が良いのではなくて? こんな不出来な教え子を持って、可哀想ですわ」
カナリアの呆れ返った口調に、ロビンがどんどん萎縮していく。
あがり症の彼女が、自分達がいることで本来の力を発揮出来ていないことは、知っている。
だが、もう入学して数週間、クレインのレッスンを受けていたにも関わらず、この少人数の前ですら歌えないのは絶望的だ。
彼女には、卒業式典のトリを自分から奪い取って貰わなければならないのに、このままでは人前で歌すらまともに歌えずに、卒業してしまうかもしれない。
「そんなに音を外し、発声練習さえまともに出来ないなんて。歌を馬鹿にしているとしか思えませんわね」
「そ、そんなことないです!」
「貴女の今の現状はそうとしか言えませんのよ!!」
――努力していても、結果が伴っていなければ意味が無いのですわ!!
切羽詰まった様子で、カナリアが声を荒げる。
ここまでカナリアが怒るのには、理由があった。
前世の記憶を思い出す限り、ミニゲームでの経験値が足りずに卒業を迎えてしまえば、彼女はカナリアに敗北し、それまでこつこつ貯めていた攻略対象の親愛度も全て無くしてしまうのだ。つまり、バッドエンド。
たかがミニゲーム。されどミニゲーム。
前世の自分が初めてプレイした時は、このそれなりに難しかったミニゲームのせいで、努力値と経験値が足りずに、バッドエンドを迎えてしまった。
バッドエンドの彼女は、学園を卒業こそするものの自信をすっかりと失い、歌を歌うことを辞めてしまう。
あんな終わり方は、あまりにも酷すぎる。
「貴女は、歌が好きなのでしょう!!」
「……っ!」
顔を上げたロビンの大きなブラウンの瞳を見つめ返して、カナリアは目を細める。
ロビンは、何よりも歌が好きな子だ。
歌が好きで好きで仕方無くて、両親の反対を押し切ってまで、このアリア学園に入学したのだ。
あがり症で人前で歌えもしないのに、と、両親にまで言われても、歌を諦めなかった。
だからこそ、入学してからずっと、彼女は努力し続けた。
音痴だと周りから馬鹿にされ、教師からも匙を投げられ、夜毎悔しさで涙を流していても、それでも歌うことを辞めなかった。
努力した。そう、彼女は今も努力している。
けれど、その努力が身になっていなければ、誰からも評価はされないし、無駄なものになってしまうのだ。
「私を見ているだけでは、返答になっていませんわ。それとも、歌は好きではないのかしら?」
「す、好きです! だから、私はここに来たんです!!」
「それならば、顔を上げなさい! 堂々と胸を張り、口を大きく開け、前を向きなさい!」
ロビンの背をグッと力強く押し、顔を上げさせる。
そして、カナリアはピアノの前に座っているクレインへと視線を向けた。
早く弾けとでも言いたげに眉を寄せるカナリアに、クレインは苦笑し、彼は鍵盤に指を滑らせる。
流れてくるメロディを聞きながら、カナリアは次にクロウへと視線を向けた。
「クロウさん、歌いなさい!」
「えっ、あ、はい」
カナリアの鋭い眼光に、慌ててクロウが口を開く。
耳心地の良いアルトの声がメロディに乗って、教室を包み込んだ。
クロウの歌声に、流石ですわね、と口には絶対に出しはしない感想を心の中で呟いて、ロビンへと口を開く。
「クロウさんの歌声をよく聞きますのよ」
「は、はい」
「さあ、歌いなさい。この音に自分の音を調和させるように乗せますの」
すぅっと大きく息を吸ったロビンが、たどたどしく歌い始める。
先程まで発声練習の音さえ外していた子が、クロウの歌声を聴きながら音を感じ取っていく。
そっとロビンの背から手を離せば、彼女の背筋はピンっと伸びたまま、自信なさげだった瞳がキラキラと輝き出した。
「……そうですわ。ピアノの音、クロウさんの音、自分の音、これらを全て溶け合わせ奏でますのよ」
嬉しそうにコクリと自分に頷いたロビンに、カナリアが一瞬破顔しかけるが、キュッと口許を結ぶ。
――危ない危ない……。さながら、草も生えない広大な荒地で見付けた花のように、可愛らしく健気で可憐な笑顔に、思わず私も笑顔になるところでしたわ…。
ライバルの成長にカナリア・バークライトが喜ぶなんて、あってはならないことですのよ。
心の中で自分を叱咤したカナリアが、歌い終えたロビンを見つめる。
頬を染めて嬉しそうなロビンが、カナリアへ満面の笑顔を向けた。
「カナリア様、ありがとうございます! 私、一度も音を外しませんでした!」
「まだまだですわよ。この程度で喜ぶなんてどれだけ頭の中がお花畑なのかしら。
クロウさんの歌声が無ければ、酷い有様でしたわよ」
「そ、そうですよね……。すみません……。クロウ、ありがとう。貴方のお陰よ」
「少し手伝っただけだよ。お礼を言われることじゃない」
優しく微笑んでロビンを励ますクロウが、視線をカナリアへと向ける。
その滲み出る優しい眼差しに、カナリアは苛立たしげに鼻を鳴らした。
「カナリア様は、歌ってはくれないのですか?」
「はあ?」
「次は、カナリア様とロビンが歌ってはどうかと思いまして」
「馬鹿なことを言わないで下さる?」
クロウの言葉に呆れ返った返答をするカナリアが、腕を組む。
そして、心底馬鹿にしたような目でロビンを見た。
「この私がこんな音痴と歌うなんて有り得ませんわ。そもそも私の歌声を聞かす気もありませんもの」
「……貴女、何の為にここに来てるんですか」
堂々とクレインのレッスンを放棄する発言をするカナリアに、クロウが苦笑いを浮かべる。
ピアノの前に座るクレインも、複雑そうな顔でカナリアを見つめた。
「もちろん、クレイン様のレッスンを受ける為ですわ。ですが、ロビンさんのレベルに合わせていたら、私が彼にレッスンを受ける日はいつになるか分かりませんわね」
「それでは、ロビンさんが貴女と同等レベルになるまで、彼女の隣で歌う気は無いと?」
「愚問ですわ、クレイン様。私は王宮お抱えの音楽一家バークライト家の一人、カナリア・バークライトですのよ」
困った様子のクレインを見据えて、カナリアの美しい唇が弧を描く。
そして、傲慢な火の女神は傍にあった椅子に腰掛け、足を組んでふんぞり返り、自分は歌う気などサラサラありませんわ、と三人に見せ付けた。
そんな我儘なご令嬢にクレインは眉を下げ、クロウは気まずそうに眉間に皺を寄せる。
重苦しい沈黙が漂う音楽室の中、涙目になったロビンが、慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい。私が、悪いんですよね……。クレイン様とのレッスンを続けたいなんて我儘を押し通したから」
「ロビンさん、貴女のせいではありませんよ。僕の考えが至らなかった。それが原因です」
「いえ、そもそもカナリア様が、レッスンを受ける気なんて無かったからでしょう。自分で言い出したクセに」
ロビンとクレインが困った様に眉根を下げて始めた謝り合戦に、クロウが呆れたようにカナリアを見ながら手で制止する。
腕を組んだ漆黒のご令嬢は、呆れと苛立ちを隠さず、口を開いた。
「カナリア様、ロビンがカナリア様と同等レベルの歌を歌えるようになるまで、貴女はそのまま何もせずにいるのですか?」
「ええ、そうですわね。音痴な歌声を聞くのも耐え難いですけど、ロビンさんがクレイン様に色仕掛けしないように、見張ってないといけませんもの」
「そっ、そんなことしませんっ!!」
「カナリア嬢、その言葉は聞き捨てなりませんよ。ロビンさんに失礼です」
「あら、ならば、私に構わずどうぞ真面目にレッスンをなさったらいかが?
二人きりでレッスンを続けていて、その有様の貴女に何も言う資格なんてありませんわよ」
辛辣なカナリアの言葉に、ロビンが耐え切れず、溜めていた涙をぽろぽろと零す。
その様子にクレインはそっとロビンの背を摩り、クロウはより一層カナリアを睨み付けた。
この完全なる邪魔者悪役ポジションを確立しているカナリアは、二人の騎士に守られている少女を睨みつけつつ、心の中で可哀想な小鳥に胸を痛める。
はらはらと泣き腫らして目が腫れてしまわないかしら、と心配しているが、泣かせたのは紛れもなくカナリア自身である。
しかも、泣き顔も可哀想で可愛いなんて考えている程の歪みっぷり。
「ロビンさん、貴女泣いていれば全て解決するとでも思っていますの?」
「……すみません、すぐ、止めますから」
「今日は止めましょう、カナリア様。こんな雰囲気でとてもレッスンなんて……」
「クロウさん、甘いですわ。泣かせた私が言うのもなんですけれど、プロになれば、泣いていようがすぐに涙を止めて、観客の前で歌わなくてはなりませんのよ。
前を向いて堂々と背筋を伸ばし、赤くなった目も震えそうになる声も隠して歌い切りますの。
気持ちが晴れないから歌えませんなんて、言い訳にもなりませんわ」
既に王宮で歌い手として活躍しているカナリアの言葉は、想像以上に重く鋭く音楽室の中に響く。
重苦しく黙り込んでしまった三人に、カナリアが目をぱちぱちと瞬かせた。
自分の言葉に何故か落ち込む三人に、居た堪れない気持ちになり、カナリアは居心地悪そうに眉根を寄せる。
「な、何なんですの、この雰囲気は」
「いえ、その通りだと思っただけです」
「すみません! もう、泣きません。クレイン様、レッスンをお願いします」
涙を拭ったロビンがクレインを力強く見つめる。
それに、クレインは頷き、ピアノの前に戻った。
流れる美しいピアノの音と耳を塞ぎたくなるような音の外れた歌声。
それを聞きながら、カナリアは顔を上げ、背筋を伸ばした亜麻色の髪の乙女を見つめた。




