はじめてのいせかいやきう
併殺、という野球用語がある。
それはボールがピッチャーの手を離れ、場外となる一瞬の間で二人の敵選手を殺傷した際、その素早く見事なプレイを称賛する意味で使われる言葉だ。
今回は選手が死亡したわけではないが、体子のバッティングは併殺と呼ぶに相応しいものと言えよう。
「おいおい、野球戦士だァ? また珍しいやつが来たもんだ」
驚いたような口調ででそう言いつつも、ダブリューの表情はすぐに退屈に染まる。
「だがよォ……俺の球を真っ二つにする程度のバッティングじゃあ楽しめねェな」
その言葉に、屋旧宇は思わず苦い表情を浮かべる。
バッターの実力がピッチャーを上回っている場合、ボールは切れるのではなく打ち返され、そのままピッチャーに直撃する。そして、ダブリューの技術は素人よりは上程度。にもかかわらず、野球戦士の体子が球を打ち返せなかったことがダブリューの身体能力の凄まじさを物語っていた。
「確かにそうです。しかし、野球は個人競技ではありません」
ストッパー。
体子がそう呟くと、周囲の木々や土、石が集まり人の形をとる。
ストッパーは野球における守護神の意。窮地に陥った選手を救う天然の野球戦士が、二人を救うべく立ち上がった。
「なんだこりゃあ……ゴーレムの類か?」
ダブリューの疑問をよそに体子は草野球を切断、屋旧宇の足を解放する。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。それよりこれを」
そう言うと、体子は屋旧宇にバットを手渡す。久方ぶりに握るソレは、記憶の中よりもずっと重く、大きかった。
そして同時に、屋旧宇の嫌な記憶も浮かび上がり────首を振って、自らの不安を押さえつける。
「俺は、なにをしたらいいんだ?」
「私が隙を作りますので、あなたはそのバットでとどめをさしてください」
屋旧宇がうなずき、ダブリューを倒すための作戦を開始しようとしたその時──ストッパーが粉砕され、元の土くれへと戻された。
「よォ。作戦会議は終わったか?」
自然を蹂躙する暴風が、矮小な人類を踏み潰すため降り立った。
ダブリュー・クサハエルは退屈していた。
ここのところ、自身に任された仕事は地球人の選定と、人間の小さな村を焼き払うことのみで、ダブリューはまったく楽しめていなかった。
だが今目の前には、野球戦士という数少ない対等な試合ができそうな人間。
もはや、ダブリューの中に体子を生かすという選択肢は欠片も存在しない。
「せいッ!」
一呼吸の間を置いて放たれた体子の一球がダブリューに襲い掛かった。が、取り出されたバットにより難なく防がれる。その隙をつこうと突撃した屋旧宇が、返す刀のバッティングによる風圧で吹き飛ぶ。
プロ選手にも迫るダブリューの身体能力に、二人は完全に圧倒されていた。
「野球戦士、とやらには多少期待してんだがよォ……」
バットを肩に担ぎ、若干の失望をあらわにしながらダブリューは言う。
「こんなもんじゃねえよなあ? もっと楽しませてくれや」
「言われなくても……!」
そう言うと同時に、ダブリューに向かって走り出す屋旧宇。
が、体子ならばともかく、屋旧宇のスピードではダブリューにとって的にしかならない。
「オラァ!」
即死させるつもりで放ったバッティング。しかしダブリューの手に肉を潰した感覚は伝わらず、代わりに土を叩いたような軽い感覚が腕に残る。
怪訝に思うダブリューだが、砂煙が晴れると同時に何が起こったのかを理解する。
「こいつァさっきと同じゴーレム……いや、二体目かよ。足場にしやがったのか?」
「そうだ!」
後ろを振り向けば屋旧宇、そして前には体子。挟み撃ちの形をとると同時に、屋旧宇は再びダブリューに向けて走る。
「ふッ!」
そして、体子が渾身の一球を投げ放つことも同時だった。
プロ選手の球速は時速114514kmにも匹敵し、アマチュア選手の投げる球でも時速810kmはくだらない。いかにダブリューと言えども、屋旧宇の対処をしつつ体子の投球をさけることは不可能。
「チィッ!」
一瞬にも満たない逡巡の末、ダブリューは屋旧宇を盾にし投球の威力を減衰させることを選択した。
だが、ダブリューの優れた視力が屋旧宇のおかしな行動をしっかりと捉える。
バットから片手を離し、地面に押し付けようとする、その行動を。
そしてダブリューが疑問を持つより速く、事態は急展開を迎える。
「選手、こうたぁぁぁあいっ!」
屋旧宇がそう叫ぶと、屋旧宇の姿が掻き消え、代わりにバットを持った体子が出現した。
「な────」
だが、ダブリューにそれを疑問に思う余裕はなかった。
屋旧宇ならばともかく、体子のバッティングはダブリューに重傷を与えうるものだ。しかも、後方からは体子の投球が迫ってくる。これらをまともに受ければ、死亡してしまう危険すらあった。
すぐさま跳躍して回避しようとするダブリューの足を、何本もの草が縛る。
そしてダブリューは目にした。
片手を地面につけ座り込んだ姿──草野球の体勢をとっている屋旧宇を。
「て、テメエェェェエエ!」
草野球によって封じられた時間は一瞬。だが、野球においてその一瞬は致命的すぎた。
体子の鮮やかなバッティングが、鍛えぬかれた肉体を袈裟切りにし、たまらず吐血するダブリューの背中を野球ボールが打ち据える。
倒れ伏すダブリューに、体子は複雑そうな面持ちで語りかける。
「あなたの敗因は、野球の詳しいルールを理解していなかったことです。もし次があるならば、もっと勉強をしてくるといいでしょう」
その言葉に、ダブリューの指が動く。だが、それも一瞬。すぐにダブリューの肉体は動きを止めた。
それを確認すると、屋旧宇はすぐさま体子に声をかける。
「えっと……俺は屋旧宇 野郎。助けてくれてありがとな」
「いえ、私の野球が役にたって良かったです」
試合後特有のほんわかとした空気が流れるが、今二人がいる場所は学校の校庭などではない。命を脅かす野球戦士が跋扈している可能性もある危険地帯なのだ。すぐさま安全な場所を見つけなければならない。
「それで、珍々入はこれからどうするんだ?」
屋旧宇の疑問に体子が答える。
「そうですね……近くで町かなにかを探そうと思います」
「じ、じゃあ、俺もついていっていいか? また野球戦士が現れたら困るしさ」
一瞬迷うが、体子は承認する。体子にとっても、人手が多いと助かるためだ。
「広そうな森ですから、一日中歩くことになるかもしれませんね」
「ただでさえ野球の後だからなぁ……筋肉痛を覚悟しないとな」
ハハハ、と笑いながら二人はその場を去っていく。
そして、未知に心を踊らせる、未熟な二人は気づかない。ダブリューの身体が、去り際に僅かに動いたことに。
ダブリューが、後に屋旧宇の精神に大きな影響を与えることなど、気がつくはずがなかった。