ジャンプライセンス
「これで最後の一つじゃ」
そう言って博士はサヨリとタケオにひとつずつのボールを渡してくれた。
「君たちには今渡したのも含めて合計3個のボールを渡したぞ」
「はい。博士」
サヨリとタケオは同時に返事をした。幾分二人の表情から硬さが無くなったようだった。
「君たちはこれから最終試験に臨んでもらう。それはそのときに必要なのじゃ」
「はい。博士」
また二人同時に返事をした。
「何か質問はあるかね」
今度はサヨリとタケオはお互いの顔を見て、また博士のほうに向きなおり、
「ありません」
とだけ答えた。それを聞いて博士は満足そうな微笑みを見せた。
「よろしい。それではさっそく始めるのじゃ」
「お願いします」
とサヨリ。
「お願いします」
とタケオ。
二人とも博士の後ろについて「109」と書かれたドアの部屋に入った。そこでタケオはさっきのボールを人が入れる大きさにしたようなポッドのドアを開けてそれに乗り込む。サヨリはポッドを見下ろす場所にある色とりどりなランプやスイッチが並ぶ操作パネルの前の椅子に座った。操作パネルのモニターにはタケオの顔が映っている。
「準備はいいかい」
インターコムから博士の声がした。同時にタケオの目の前のフロントウインドーのガラスに、大きく数字が並ぶ。『2080』これはこれからタイムジャンプする先の年号だ。サヨリがセットするとここに表示される仕組みだ。今は2091年だからだいたい10年前にジャンプする。だいたいと言ったのはこのジャンプ、あまり正確にセットした年号にジャンプしない。だから、バックアップサポートが必要で、それがサヨリの役目だ。
「サポートスタンバイ」
サヨリの声だ。
「ジャンプスタンバイ」
タケオも続けて答える。
「それじゃサヨリ、カウントダウン開始してくれたまえ」
「わかりました。カウントダウン開始します」
博士の合図でサヨリが操作パネル上でサポートシステムを忙しく操作し始めた。
「ジャンプ1分前、59、58、57・・・」
カウントダウンは直接彼女が数える。
「45、46、45・・・」
タケオはこの間は特にすることはない。ただ黙ってポッドの椅子に座っているだけだ。
「30、29、28、27・・・」
サヨリとタケオのペアでのジャンプライセンスの取得試験はこれが初めてだった。今日はそのライセンス取得試験の最終日だ。ジャンプする方向は過去への方向だけで未来へは技術的には可能だがライセンス許可はされていない。特別な場合で特別な者を除いて。尚、当然だが過去からの帰投時の未来へのジャンプは対象外だ。
「10、9、8、7・・・」
サヨリが数えるカウントダウンの数字を聞きながらタケオは10年前はどんなだったろうと思いを巡らした。当然そこには別のもう一人の自分がいる。ジャンプした先での世界には干渉してはいけないということはなく、好きなだけ干渉しても許されている。それには理由がある。自分が存在する過去へジャンプすると体がその時代には再構成されずにその時代の自分の中に意識だけが再構成されるからだ。つまり、過去の自分の中に、未来からの意識が入ってその意識のほうが表になるってこと。過去の自分自身の意識はずっと奥に沈んでしまい一種の冬眠状態になる。もちろん過去の自分にはその時の記憶は残らない。残っていたとしてもそれは夢だったと思う。その間この体は一種の抜け殻みたいなるけれど、このポッドが過去でもない未来でもないましてや今でもない亜空間で体ごと大切に待機しておいてくれるから安心だ。だけど今日はライセンス試験だ。さっとジャンプしてさささっと戻ってくることが出来れば、試験に合格するはずだ。と気楽に考えていた。
「3、2、1、ゼロ!」
急にタケオの周りが暗くなっていった。
『いってらっしゃい』
同時にサヨリの声が聞こえたような気がした。そのときサヨリは必死に操作パネルの卓上のたくさんのメータやスイッチを操作していた。一見ぼーっとしているタケオの表情をモニター越しに見ながら
『いってらしゃいいタケオ。気を付けてね』
と心の中でつぶやいていた。
タケオが目を開けるとそこは真っ暗、いや目の前には大きな明るいスクリーン、それを前に座っていた。ここは映画館だ。タケオは咄嗟に思い出した。丁度10年前ぐらいに父親に連れていかれた映画がまだ小学生だった自分には耐えがたい退屈なものでしかなく、ほとんどの時間を寝て過ごしたことを。ここはその時のことだ。ゆっくりと左右を見上げると、右の座席に父親が夢中でスクリーンを見つめているところだった。若い。10年とはこんなに人間を変えるものなのか。そう考えると自分だってもう大学に通っているではないか。これはサヨリのサポートが正確だった結果でもあるなとタケオは思った。さすが彼女だ。今回はここまでだ。ジャンプライセンスの試験はいかに正確に目的の過去に行って戻ってこれるかなのだ。実は過去に来ることよりも未来へ戻るほうがはるかに難しい。ライセンスの試験はこれからが本番なのかもしれない。彼はポッドの中に置いてきたボールのことを考えていた。それからまたサヨリの出番だなとも思った。
ポッドの中においてあるボールの一つがぶるっと震えて一瞬だけ光った。サヨリが見たのもまったく同じだった。コンソールの上に置かれた一つのボールがぶるっと震えて一瞬だけ光ったのだ。でもそれから期待していたことは起こりそうもなかった。サヨリはカウントアップするのを一旦やめてインターコムに向かって話した。
「教授。一つ目が失敗しました。次のボールを使います」
「よろしい。二つ目のボールを使うことを許可する」
「ありがとうございます。教授」
このことは最初から予想していたことだとサヨリは自分に言い聞かせた。サヨリの持っているボールと、タケオが持っているボールはそれぞれもつれ合っている。二人が試験に入る前に教授から渡されたボールはそのもつれの状態が保たれているか教授に確かめてもらったものだった。もし、一つでももつれ合っていない場合は試験そのものは行われないことになっていた。
『ごめん、タケオ。一つ目はもつれ状態をうまく『今』に同調させることができなかったわ』
彼女はコンソールの上に新たにボールを置いてその前のレバーの一つをゆっくりとスライドさせていった。
タケオは少しだけ明るい場所をふわふわと浮かんでいるように感じていた。ここはどこだろう。映画館に父親と一緒だったことは覚えていた。というよりも、強くそう考えるようにしていた。自分のアイデンテティを保つためにはそうすることが必要だった。そうすることにより自分のいた未来への繋がりが保たれて、サヨリがボールどうしの同調をよりしやすくすることができるはずなのだ。ボールは3個。仮に3個とも失敗したとしても教授が管理している強制システムによってタケオはもとの時代に戻ることはできる。しかし、それを使った場合は、ライセンス試験が不合格であることを決定することになる。タケオはそれだけは避けたかった。ライセンス試験は3年に一度しか受けることができない。時間管理局で働くためにはジャンプライセンスは必要なのだ。それはサヨリも同じで、タケオとサヨリが出会ってからの3年でもあった。タケオはまた自分が何者でどこからどこへ戻るのか強く念じ始めた。
サヨリは2個目のボールもその同調が失敗したときに考えていた。
『いったい何が原因なの?タケオと私がやったもつれ合いの手順には間違いがなかったはず。3個ともあんなにチェックしたのに』
最後のボールをコンソールの上にセットして、最後のレバーをまたゆっくりと動かし始めた。ボールは失敗した2個のボールの時と同じようにしか輝く素振りをみせなかった。それでも彼女は同じよう手順でコンソールの上の数々の操作を続けていった。彼女は心の中で泣きそうな気持ちで思った。
『タケオ。私わからないの。何かが足りないのにそれが何かがわからないの』
最後の操作のボタンを押した。さっきと変わらなかった。ボールはその輝きを徐々に失いつつありそれを見つめるサヨリの目からは涙が出そうだった。
『タケオ。あなたがいないと・・・・わたしはこれ以上進めない。タケオ無事に戻ってきて。お願い。会いたい』
その時、ボン!っと言ってタケオの乗っていった大きなポッドがサヨリのコンソールの前に出現した。煙だか湯気だかわからないものが回り漂っている中、そのポッドの中からタケオが姿を見せた。
「ふー。戻ってきたよ。サヨリ」
「タ、タ、タケオ」
サヨリはそこで言葉を切ってタケオのほうへ走り出した。
「サヨリ。やったな。きみの操作は完璧だよ。もうだめかと思ってたんだけど、一番強く自分の心で思えたのは・・・それは・・・・きみに会いたいってことだけだったんだ」
彼女はそれを聞いて目を大きくすると、思いっきりタケオに抱き着いた。しばらくそうしていた二人の間に一人の声が割り込んだ。
「あー。あー。ごほん。二人とも」
はっとしたタケオとサヨリは抱き合っていたその体を離すと、その声の主の方へ向き直った。
「すみません。教授」
とサヨリ。
「すみません。教授」
とタケオ。
「君たちね。一応、自分たちの力だけで行って戻って来たからそれはそれでよいのじゃが」
ごくりとのどを鳴らしそうな二人が教授を見つめる。
「まあ、今回が初めてじゃよ。タケオ君がこの元の世界に具現化するにはなんていうんじゃろ。最後には二人の強く惹かれあっている気持ちっていうのじゃろな。つまり、愛が必要だったのじゃな。ほほほほ」
それを聞いてサヨリとタケオはお互いの顔を見て真っ赤になっているのに気が付いた。それからまた博士のほうに向きなおり聞いた。
「あのー、試験は。。。。」
とタケオ。
「うん。合格じゃ」
教授はさらりと言っておめでとうと付け足した。
そのあとの二人の動作は想像に任せるとして、コンソールの上のボールの輝きは大きく、それはその時も輝き続けていた。