68
(えっ!!!!????)
汗とバザーと違うスパイスがセシルの身体を包む。
「セシル、なんで逃げるんだ!?」
耳にテンポの速いルークの心臓の音があったかい触り心地の良いシャツ越に聞こえる。
「追いかけてくるから……。鬼ごっこは逃げるものなの!」
「はあ? なにを言っているんだ? 鬼ごっこってなんだ?」
自分の熱を持った顔をルークに見られたくない。自分の心臓がルークよりもっと速く鳴っていると彼に知られたくなってパニくっている。
もう思考炸裂。
「な、なんで追いかけてくるのよ!? わたくしのこと、邪魔なんでしょ? だったらわたくしのことなどほっといてよ」
自分の言葉一つ一つが胸に突き刺さる。
「なにを言っているんだ!? ずっと探していた。セシルがいなくなってから毎日探したんだ。無事で……よかった」
セシルを抱きしめるルークの体がふるえている。セシルはどうしてルークが自分を探していたのか分からずに戸惑っていた。
「許してくれ。手違いだったんだ」
「えっ? な、なにが?」
セシルを抱きしめる腕が緩くなったからルークから離れようとしたけれどできない。仕方なく頭を傾けてルークを見上げる。
「セシルたちにあてた部屋だ。それは母上や父上の指示ではない。父上たちはセシルたちを他国の王族として迎え入れるつもりだったが、手違いがあった。だからもう一度城に来て、父上に会ってくれないか?
それと、マリアンナがセシルに剣を向けたことを謝る。アレは彼女一人の暴走だった。俺は一度もセシルのことを邪魔など思ったことなどない」
ルークの目が、彼が真実を言っていると言っている。少しの間しかルークのことを知らないけれど、彼の真意が伝わる。
でもセシルには何が何に対して嘘か本当か、これからどうしたらいいのだろうかなど、気持ちがあっちこっちに拡散して、なによりどうしてルークに抱きしめられているのか分からず放心状態だった。
ルークがセシルのことを邪魔だと思っていなくても、ルークは大国の王族で、セシルは亡国の姫。身分差があり、いまこうして話していることさえ許されない……のでは?
王さまに挨拶に行かないといけないみたいだけれど、もう二度と城に入らないと誓ったし、リンダのこともある。
「お、お願いします。離してください。そして、もうわたくしのことは忘れてください……」
忘れてください……自分の本音じゃない言葉の剣が胸を更にえぐる。
「ど、どうしたんだ? 城での手違いのことやマリアンナの暴走のことは正式にセイズ国王族として謝罪をする。だから一緒に城に来てくれ。
女性一人で市井でいるのは危ない。俺がセシルの居場所が分からずにどれだけ心配したと思っているか分かるか!
お願いだ。一緒に城に来てくれ。近くにいてくれ。俺が今度は俺がきちんとセシルを傷つけないように守るから」
ルークの顔を見ていることができない。
ルークは任務でセシルに対して親切にしてくれるだけなのに、勘違いしてしまいそうだ。亡国の王女に同情で王族として対応しようとしてくれる。本当に彼は王子さまだ。
もう自分とは一生違う場所にいる人だ。庶民のセシルと交わってはいけない人。
ルークはこんな風に情熱的に好きな人に愛を語るのかな……。胸が苦しい……。
「離してください!!」
力一杯ルークを両手で押す。もうこれ以上、胸が苦しくなったら自分がどうなるか分からない。今更城へ行けない。セシルにはリンダを守る義務がある。
ルークは建前でセシルにこんなことを言っているんだ。
どう考えても忙しい国王が亡国の王女に会うなんてありえない。
「キャーー。セーちゃん!! 陛下に何をしたの!! お、お許しください!! セシル姫さまの無礼をお許しください! 私の首を差し上げます!!」
悲壮な顔をしたリリーがセシルたちの近くに来た途端土下座をした。
(カースト制度!!!)
リリーの土下座姿を見て呆気にとられたルーク。セシルを抱きしめていた彼の腕が緩んだ。セシルもルークから離れてリリーの横に移り土下座をして頭をさげる。
「ぶ、無礼を、お、お許し、く、ください……」
頭の中にマリアンナの剣とカースト制度と言う単語が回る。
「はああああーーーー。なんでセシルが地面に座って謝るんだ!!?? な、なんなんだ!! な、なにがどうなっているんだ?」
「ぷっぷぷっぷ。ひゃっはっはっは。ルークさまの評判、いえ信頼が地にまっしぐらに落ちる瞬間を目にするなんて。ぷっぷぷ。流石セシル姫さまです。ひゃっはっは、おもしろすぎる」
レイさんの笑い声がすごくて頭をあげる。
「すごく綺麗な人」
「あれって、傾国姫じゃねーか?」
「傾国姫ってラングの側室だったよな?」
「まじか? うわー、子持ちに見えねー」
「いや、ラングの傾国姫って死んだはずだ。アレって娘じゃねーか?」
「うわー。ラング国ってセイズ国になったはずだ」
「ねえ、あんた、セイズ国は亡国の姫を打ち首にするの? あんな若い綺麗な姫さまを殺すなんて可哀想だよ」
「王さまたちはいい人だと思っていたのに……」
「お姫さまだったのに、あんなみすぼらしい茶色のサリーつけているなんて」
「かわいそうだね……。王さまも王子さまもひどいね……」
あっちこっちでいろんな噂声がしている。走った時に頭にあったサリーが外れて首にある。
「リリーもセーちゃんも。立ってください。ここは人が多いので危ないです。リンダさんが心配するころですので早く帰りましょう」
「もうディー。今はそれどころじゃないのよ。でもセーちゃんがルーク殿下を押して無礼を働いたのよ。打ち首にされるの。ディー、どうしたらいいの?」
ディランがセシルが立ち上がるのを手伝った後にリリーを立たせる。
セシルとリリーはオドオドしながら立ち上がった。
「はあああーーーー。リリー、それはどういうことだ?」
「ひゃっはっはっっはーーーー。セシル姫さまの周りも相変わらずおもしろい人ばっかりいる」
ルークがリリーに問いかけた。セシルとリリーは高貴な人と顔を合わせたらいけないと思い地面を見たままだ。
「ルーク殿下。ここは人が多いですので、落ち着いたところに移動してもいいでしょうか」
「ああ。セシルたちが逃げないのならそれでいい」
ルークがディランに同意した。
ルークたちはセシルたちの後ろを付いてくる。王子たちの前を歩くのは不敬罪にならないかと断ってルークたちの後ろに付いて行くと言ったけれど、ルークに却下された。
セシルが後ろを歩くと逃亡すると言われた。「本当は手を握って歩いた方がいいが人の目があるからできない」とぼそっと言われた。
「手を握る」イコール「捕獲」……ルークにとって、セシルは逃走歴のある罪人なのかもしれない。