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宰相との会話が終わった後台所に戻り、明日持っていく料理を紙に包んだり片付けをした。リンダは今夜の夕食の出来具合を確認している。
「そうだわ。おじーさま。暗くなる前に庭など散歩してみませんか?」
セシルが提案するとリンダが「私がお父さまを案内してもいいですか?」というと「私がするー」とリリーがいった。宰相は頬を緩めながら「じゃあ、二人に案内してもらおうかな。両手に華で幸せ者です」と唇をほころばせる。
「私も一緒にいく」
廊下からいきなり野太い声がして心臓が飛び跳ねた。廊下の扉にタイラさまが立っている。タイラさまの後ろに顔色の悪いルークがいた。
「あのーーー」
どうしてタイラさまたちがここにいるのか分からず声をかける。
「とてもよい匂いだな。失礼。珍しい料理ばかりだ。どんな味がするのか食べてみたい」
タイラさまは勝手に台所に入ってきて、テーブルに並んでいる出来上がりの料理をじっくり見ている。もちろんセシルに今夜の夕食の招待をするようにとチラチラこっちを見て目でで訴えている。先日も同じ手で夕食を共にしたことがあるから、あからさまにため息を吐いた後にタイラさまも夕食に招待した。
タイラさまが夕食のお礼にと、セイズ国に着いた後にセシルたちを夕食やお茶会へ招待する、と勝手に話をしだした。さらに彼の領地に招待するといつの間にか話が大きくなっている。
どれもセシルを招待したいのではなく、リンダを招待したいだけだ。もちろん「もし時間の都合ができましたら」と決して招待を受けないように曖昧な受け答えをした。
中年男の押せ押せ求婚能力はかなり高い。もし前世の記憶を持っていなかったら、中年スキルに負けていた。セシルも何度もセールスマンを跳ね除けたおばさんスキルで対応する。
絶対に無用な約束をしないと決めてたセシルと、リンダとの関係を深めたいタイラさまが周りを圧倒する雰囲気で数分睨み合った。
セシルとタイラさまにすまなそうな顔をしてリンダが宰相に声をかける。
「お父さま、暗くなる前に庭を見ましょう」とリンダが宰相を連れて外へ出た。
「私もいくー」
と、リリーも二人の後を急いで追い掛ける。その後に数人の護衛たちもつづく。ディランはセシルの側にいることを選んだみたいだ。
「リンダ!」
はっ、と我に返ったタイラさまが慌ててリンダたちを追いかける。デカいタイラさまがいなくなり台所がきゅうに空っぽに感じる。
台所にはディランと神殿騎士のノブさんとミックが残った。それとルーク。
ルークは今日一言も言葉を言っていない。挨拶もしないからどうしたのかと心配になる。なによりルークはセシルをじーっと見つめてなにか言いたそうにしている。
ルークの視線が熱くて、セシルの心臓は激しく高鳴る。多分セシルの顔はトマトのように赤く染まっているに違いない。
「ルーク、どうしたの?」
ドキドキする心臓を整えながらルークに話しかける。ルークがなにも言わないからセシルはなにかルークの気に触ることをしたか不安になる。今日はいつもルークと一緒にいるレイがいない。
「顔色が悪いよ。仕事が忙しいの? ここに座って、いまお茶を入れるわ」
「お茶はいい」
やっと返事をしてくれてほっとする。
「なにかわたくしに話があるの?」
「……。なにもない」
数秒の沈黙の後にぼそっとつぶやいた。
(もーー!! なんなの!!)
その後もなにも言わずに廊下の扉口に立っているルークにいろいろと話かけるのに、「ああ」「そうか」と言う相槌しか返ってこなくてイライラが募る。
だんだんルークに気を使うのが面倒になり台所を片付ける。セシルが忙しく動いている間もルークはセシルを見つめている。彼の視線が熱く、痛い。
「そうだ! ルークは疲れているのよ! わたくしのお気に入りの場所に連れて行ってあげる!!」
ルークの視線に我慢できなくなり、彼を引っ張って音楽部屋へ連れて行く。音楽部屋と言っても普通の部屋でそれほど広くない。
音楽部屋でリンダがハープを弾いて、セシルとリリーがダンスの練習をした。セシルたちが幼い頃は、ここで鬼ごっこなどもして遊んだ。
「見て。かーさまが一番好きな景色なの」
夕暮れ時に差し込む光が窓辺に飾られているガラスコップに反射して部屋を温かい光で照らす。天井から吊るしているクリスタルカットのガラスのかけらに触れると、拳くらいの大きさのガラスが左右に揺れながら七色の色が部屋を駆け巡る。
「ルーク。わたくしと踊りましょう?」
とーさまと何度もダンスを踊った。疲れた顔をしたとーさまが、セシルやリリーとダンスを踊ると笑ってくれたことを思い出してルークを誘う。
セシルがルークの手を握ると、「はっ」と狼狽の色が彼の顔に動いた。でもルークはセシルのするように身を預けた。
音楽はなかったけれど、セシルの踏むステップにルークも合わせる。ルークはやっぱり王子さまだ。きっと何人もの令嬢たちやお姫さとダンスを踊ったのだろう。胸がチクリとした。いつの間にかルークがセシルをリードしていた。とーさまと違い踊りやすかった。
夕日が沈みかけ、部屋が段々と暗くなる。
「セシル」
ルークが足を止めて、セシルの顔を覗き込む。彼の端正な顔が近くにあり、ダンスを踊って速くなった鼓動がさらにスピードをあげた。
「えっ?」
自分の狂った鼓動の他に他の心臓の鼓動が耳に伝わる。息が止まるかと思うほどギュッと抱きしめられた。頬に当たる彼の胸元の筋肉が固くて温かい。スパイスの匂いが鼻をかすめる。ルークの匂い。二人で馬に乗った時のことを思い出して顔が熱くなる。
「俺は。俺は……」
ルークの顔を見たいのに、彼はセシルが少しでも離れることを許してくれない。
「ごめん。しばらく、こうしていてくれ」
室内から光が閉ざされた闇がたちこめている。
『カタン』
なにか落ちる音がした途端に、ルークの温もりが消えた。部屋にはディランたちもいたことを忘れて顔が真っ赤になる。
「ごめん」
ルークはセシルの顔を見ることもいなく部屋から出て行った。彼の姿が消えるまで見ていた。
「ディー。ルークどうしたんだろう……」
「……私にも分かりません」
部屋の隅に立っているディランに近寄る。いままで何があったのか、全然整理のできない気持ちを持て余している。
「ディー。わたくしを、ルークがしてくれたみたいに抱きしめて」
セシルは抑えられない自分の気持ちを誰かに包んでもらいたかった。兄のようなディランに抱きしめてもらいたかった。
セシルが不安な気持ちでいる時、とーさまが抱きしめてくれた。ディランはルークのように強く抱きしめなかったけれど、とーさまを思い出して、さっきまで激しく動いていた心臓が落ち着く。
「ディーは、わたくしとずっと一緒にいて……」
ルークはセイズ国の王子だ。彼に抱き締められた時に、セシルの中に咲いていた淡い小さな恋心に気づいた。そしてルークの体が離れた時に、現実をあらためて気づかされた。
「……はい。私はセーちゃんの騎士です。この身にかけてずっと、一生お側にいます」
ひっそりとした部屋にディランの小声が響く。目元が涙で熱くなる。
音楽部屋の廊下にルークがずっといたことにセシルは気づかなかった。
ラング最後の夕食にルークはいなかった。