文章の読み方
某予備校で現代文の受験対策講座を受けて感じたことがあります。それは、受験における現代文の読解が、数学に近いものであるということ。
繰り返し言われたことに、具体と対比の処理というものがあります。具体例を通して作者が言いたいことを把握する、そして、何と何が対比されているのかを理解する。解答を作る上での鉄則だそうです。
つまり、受験における現代文の読み方には決まりがあるということ。
数学と同じように、公式や典型的な解法が存在するということです。
私たちは、そうやって『文章の読み方』を教わります。受験で要求される読み方、それが学校で教わる読み方ですから。
ですが当然ながら、読書が好きだというひとはそんな読み方をしていません。
そういった読み方と、小説等を楽しむための読み方には大きな差があります。
テストで点を取るために必要な読み方では、
・作者が絶対
・読者の主観は不要
つまり、課題文の中で言われていることを、忠実に、機械的に読んでいくことが必要になります。読んで感じること、つまり感想は不要。点を取る上では邪魔なものです。
疑問点があったとします。
Q 作者はこう言っていますが、実際は違うんじゃないですか?
A 知りません。どうでもいいです。作者が言っていることが絶対正しい、君の意見は必要ない。
これがテストに必要な読み方です。
対して、純粋に楽しむための読み方では、全く反対です。
読んで感じること、それが読者の中では絶対です。娯楽ですから、作者の主張を理解することなど必要ありません。読者が楽しければそれでいいんです。
読者の感想を排除する読み方が『正しい』とされる、それが日本の教育です。
そんな読み方で読書が楽しめる人はいるのでしょうか? 少なくとも私は無理ですね。
活字離れだなんだと若者やサブカルチャーを批判するよりも先に、『正しい読み方』について考えたらどうですか?
念のため。
これは、講義を行ってくれた講師の方に対する批判ではありません。文章を楽しめない読み方を正しいとする教育の形に対する批判です。