臭い関係
この店には、もうかれこれ10年は通っている
たのむメニューはいつもチャーシュー麺。これも10年変わらない。週に多い時で4日は来ている。カウンターの箸や、胡椒、おろしニンニクなどの置いてある目の前が私の指定席。そう言えばここ何年かはこの店でチャーシュー麺を頬張ることが私の唯一の楽しみになっているような…仕事への情熱もましてや恋愛の高揚感など味合わなくなって久しい。
そんな私の前に突然あり得ない状況が発生してしまった。
その日いつも通り、指定席につきいつも通りチャーシュー麺をたのんだ。
時刻は客足が少しばらつく午後9時ごろだった。大抵カウンターには私一人なのだが、その日は珍しく、私の座席の隣一つあけた席に客が座った。何気に横目で隣に目をやると、なんと若い女性だった。Tシャツにスリムなデニムといったラフな格好で、深々とキャップをかぶっている。
「チャーシュー麺一つ下さい。」
まさかの同じ注文。凛とした魅力的な声が耳に入り、否が応でもその女性を意識せずにはいられなくなった。待っている間、チラチラと隣を見やる。彼女はピッタリしたデニムのお尻のポケットからスマホを取り出した。…がしかし、スマホをテーブルに置くとそれをいじることなく、カウンターテーブルに肘を着き少しもの思いにふけっている感じになった。私は、何とか話かける術はないかと模索する。あっ!同じチャーシュー麺の注文ですね!…いや注文のタイミングがかぶってるわけではないので、向こうはそんなこと気づいてもいないだろう。珍しいですね。女の人一人でこんな店に…余計なお世話か。駄目だ、駄目だ。一体私は何を1人で盛り上がっているんだろ?
そうこうしているうちに、私にも彼女にもチャーシュー麺が出てきた。
何となく、食べる前に隣を見てしまった。えっ⁉︎そんな…彼女もこっちを見ていた。いや、それだけじゃない!彼女の白い左手がこちらへ少し伸びてゆっくりと手招きしているような…しかし、互いに見合った瞬間に彼女は、正面を向き直った。一瞬だったが、彼女の顔をしっかりと見て、ますますドキドキした。ハッキリした顔立ちと、パッチリした目に魅了された。
「いただきますっ」彼女は小さく呟いた。そして、深々とかぶっていたキャップをとった。すると溢れるような黒髪がするりとほどけて肩の少し下あたりまで覆い被さる。その時何とも言えない芳しい香りが、私の席まで香って来た。その醸し出される彼女の魔力に、吸い込まれるようにまた隣を見た。…うんっ⁉︎まただ、いやっ偶然じゃない。彼女も私を見てる!でも、なんで?
「あのぉ…」
「はいっっ」
話し掛けられて、ついに自分にも楽しい春が来たのか…声が完全に裏返った。
「それぇ…」彼女は恥じらいながら、左手を私の体の方へ伸ばしてきた。私は身構え、完全に硬直した。
彼女の左手はするすると硬直する私の身体の目の前を通り過ぎて、目的地に止まった。
「ニンニクを…」
「えっ⁉︎」…あっ⁉︎そぉかぁ、この指定席の目の前は調味料が置いてあったんだ。
一瞬でかぁっ〜と恥ずかしさの熱が身体中を駆け巡った。バカな妄想だった。
トンっ!恥ずかしさで下を向いてる私の目の前に彼女がニンニクのビンを置いたので反射的に前を見た。
「えっ⁉︎」思わず声が出て…その声は自分が思う以上に大きかったようだ。彼女の視線を自然に感じた。…がしかし、満タンだったおろしニンニクがビンの半分ほどしか残ってなかったのには驚かされた。さっきまでの妄想に満ちた感覚とは全く違う好奇心から、隣の様子に見入った。
「あはっ!ビックリしました?私ニンニク大好きなんです。あっ⁉︎でも周りに臭っちゃうかしら」彼女はかなり照れ笑いをしながら、説明した。そんな彼女が微笑ましく、見つめる私からも笑みがこぼれた。
「じゃあ俺もいっぱいニンニク入れて食べますよぉ。それならお互い臭いものどおし、臭わなくるし…」
「そっそぉよねぇ」
互いに見つめて大笑いした。
「でも、カウンター中に臭いは充満しますよね」
すこし冷静に彼女が言った。
その言葉になぜかすごく自然に言葉が返せた。テニスのラリーのように。
「じゃあ、あっちのテーブル席に移りません?臭いもの同士、隅っこで。」
「そぉねぇ」
そう言うと、2人はカウンターを離れ、角のテーブル席に着いた。臭いは強烈だが、甘い時間が始まりそうな予感がする。
少なくとも、何かは動いたはずである。十年目にして、初めて孤独の指定席から離れ、二人で…それも美人と一緒にテーブル席に着けたのだから。