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けっせん.7

 何基もの照明が、その一帯を眩いばかりに照らしている。


 太陽は雲と山の狭間に消えた。陽はすっかり暮れている。

 ビールケースの上に粗末な板きれを通しただけの、

 即席の観客席に僕が着いた頃には、少女らは各々の楽器を手に、

 登壇を済ませてパイプ椅子に座っていた。


 ――颯爽と、そこへ木多先生が現れる。


 彼は舞台の中央に進み出ると軽く一礼し、慣れた様子でこちらに背を向ける。

 そして間もなく、右手に持つ指揮棒を華麗に振り上げた。


「ね、【公民館】でなにしてた?」


 ボリュームを抑えたナツキの声は、かろうじて僕の耳に届いた。


 ひとりの女生徒が奏でる軽やかなフルートの音。

 技量は申し分なく、ソロパートから始まる至高の音楽は加速度を増すにつれ、

 聴衆の心に深く染み入り、

 これから展開されるであろう“壮大な物語”を僕らに予感させる。


 去り際に木多先生は告白した。

 【ヨット高】に赴任してからの彼は、ラヴィーニャを一度も見てないらしい。

 それを彼は、感受性の喪失、と表現した。ならば彼は大人になる前、

 やはりラヴィーニャと会っていたことになる。


 やはり“幽霊”は居るのか――


 目には見えない存在。だが特定の者には感じ取れる。

 残念ながら僕は特別な者ではなかった。

 もしも先生の言うことが正しいのならば、感受性は既に失われているようだ。

 僕が思い描く“彼女”――ラヴィーニャの姿は、すべて想像の産物である。

 だからナツキや榮倉先輩が見たという“彼女”と、僕の想像上の彼女とでは、

 同一人物ではおそらくない。


 同じものを見るのは難しい。

 その差異が、時にとんでもない怪物を生むと分かった。

 今回は奇跡的な偶然が重なった結果、

 僕のラヴィーニャ像はオリジナルに近かった――と言える。

 それは願望に過ぎないかもしれないが、しかし僕は同じものを見ようとし、

 同じものを感じようとした。

 言わばその執念が、今回の『奇跡』を呼び込んだように思う。



 この世の春を思わせるフルートの音色が、先ほどから続いている。



 滴り落ちる一雫は時を経て、今や悠久の大河になろうとしていた。

 木多先生は全身全霊を懸けて、壮大な音楽との同化を図る。

 僕は吹奏楽部の演奏よりも、

 それらを導く先生の流麗な立ち振る舞いに気を取られていた。



 貴方は“彼女”を弔うため、そこで舞っているのですね――

 既に崩壊した信仰を護らんがために、貴方はそこで舞っているのですね――


 会場の雰囲気は最高潮に達している。


 これは彼女に捧げる鎮魂歌だ。



「気は済んだ?」



 隣に座る景山部長が突然に問いかける。演奏は続いている。

 その人形のような横顔が、正面に設置された照明で露わとなる。

 見る角度によって、どのようにも取れる不思議な表情だ。


「解決しました。もうこれ以上は出ないです」

「そうかしら。“彼女”のこと、いいの? このまま彼に続けさせて」

「いいんじゃないですか。そっちはそっちで」


 ずっと壇上に向いていた視線を、景山部長はこちらへ移す。

 ミステリアスな黒い瞳。

 その強烈な魔力を振り切るには、かなりの力を要した。


「これは学芸員の白瀬さんが言っていたことなんですが、事実は時に重要ではなくなる――僕はこれまで、犯した間違いを正してやろうって意気込みでいました。でも木多先生の話を聞いて、それもひとつの真実であると気付きました。正解なんて、この世には人の数だけあるんじゃないでしょうか。そうなると、そりゃ間違いも当然ないワケです」


 すると僕の隣の隣の、その小さなマユの隣から、

 ぐあぐあと今にも鳴き出しそうな、アヒル唇をさせた榮倉先輩が噛みついた!


「なあんて年寄り臭いことを言ッてるのッ! じゃあなんのために私たちが、必死に部室の中を洗いざらいひっくり返して、あのタバコ臭い【職員室】にまで駆けこんで、新聞のバックナンバーを大至急届けたと思っているのッ!」


 まあまあと、ナツキが僕の隣で必死になだめる。

 その榮倉先輩の大声で、周囲の視線が僕たちに向かう。


「まあね。七海じゃないけど、ジャーナリストたる者、真実を追求し、そして公開する義務を有する。柴崎君が辿り着いた真実は【四戸町】を揺るがす“大スキャンダル”になり得ると思うの。貴方にその気がある?」


 大スキャンダル――なんて恐ろしい響きだろう。

 この田舎では、願ったところで決して耳に出来ない単語ではなかろうか。

 それを口にする景山先輩も心なしか熱を帯びているようだった。


 しばらく頭の中で計算した後、僕は諦めて首を振った。


「やめましょう。十年積み上げた信仰を、僕たちが崩すのは忍びない」


 と、榮倉先輩が遠くで息を荒くさせる。


「忍びない? なあにが忍びないのよッ! そこに真実があるのなら迷わず突き進みなさいよ! あんた男でしょッ!」

「こ、声が大きいってセンパイ! マユちゃんも居るんです!」

「ちゃんと××××ついてンのかッて聞いてンのよッ!」


 突然キレた榮倉先輩と僕に挟まれてしまった、

 マユとナツキがかなり(――というか、すっごく)迷惑そう。


「なんか、急に変なスイッチ入っちゃったよコレ」

「こンの〇〇〇ヤロウ!」

「は、恥ずかしい……やめてください先輩たち……」


「なんでも公開すればいいってモンでもないでしょう? 勇敢な榮倉先輩はともかく、“フツウの高校生”の僕にそんな壮大な責任は取れませんよ」


 コシヌケ、フヌケと、男気の溢れる榮倉先輩に僕は散々にけなされた。

 ひどい、それにしてもひどすぎる。僕の心が悪意でズタズタに……。

 


「ラヴィーニャはそれで納得出来るかしら」



 景山部長が神妙に問いかける。


「はい。“彼女は僕たちで”お日様の下に出してあげようと思います。これまで通り、町には出られませんが、せめて【ヨット高】の中だけでも自由にさせたいんです。元々そこは彼女の家ですから。と言っても、僕の文章力で学校の皆にどれだけ認知されるは疑問です。ともかく、言葉の力を借りましょう。彼女を退けたのが言葉なら、救えるのもまた誰かの言葉だ」


 一方ではラヴィーニャ。

 そしてもう一方では〈さくら姫〉と親しみを込めて呼ばれている。


 彼女が持つ二面性――


「……部長。もしかしたら木多先生が考える〈さくら姫〉は、“成長したラヴィーニャの姿”なんじゃないでしょうか。少なくとも彼に罪悪感はなかった。ですからそれについて指摘しても、まったく動じる気配がなかった。もしかしたら先生は、僕とは別の方法で、彼女の存在を“後世に残したかった”のでは?」

「でも、待っていたのはどちらにしても哀しい運命よ」

「しかし彼女は恋を知ることが出来た」


 〈さくら姫〉の身を焦がすような慕情。

 そこに浮かぶのは、許されぬ恋に身を投じてしまった後悔の念――

 いや、それにも増して、そこに全力で向かっていける幸せが、

 より多くを占めていたはず。それを作った木多孝造らの、

 ほとばしるような若者の情熱がひしと伝わってくるようだ。




「恋を知る――か。とっても素敵な言葉。

 でも私には、柴崎君の方が恋をしていたように見えた」




 歓声が湧き上がる。

 舞台を見ると、こちらに深く一礼する木多先生の姿があった。

 いつの間にか、曲はフィナーレを迎えていた。


 いそいそと楽器をしまう少女らを最後まで見送ることなく、

 前に座った人々が示し合わせたように一斉に立ち上がる。

 それを契機に、にわかに場が騒がしくなる。

 これから行われるカラオケ大会について話す者や、

 先ほどの吹奏楽部の素晴らしい演奏について感想を述べ合う者も居た。


「マユちゃん、なに食べよっか」


 ナツキの呑気な声が隣でした。

 煌びやかな祭り会場を囲むように、

 オム焼きそば、焼き鳥、唐揚げ、たこ焼き、チョコバナナなど、

 地元の婦人会が中心となって、様々な屋台が軒を連ねている。

 僕は『ミナカルビ』の看板を探したが、山ちゃんの店は見当たらない。

 どうやら出店はしていないようだ。


「呉君が居ないのは残念だけど、ここに居るメンバーで打ち上げしましょうか」

「ああ、いいですねソレ部長ッ! 秋山君は勝手に帰っちゃったから、別に気にしなくてもいいかなーなんて。えーっと、誰のおごりですか?」

「皆はお金持ってきてないの?」


 楽しげな会話。

 仲間と語らう時間は、きっと代えがたい貴重な財産であろう。

 僕は最後に見せた木多の後ろ姿を見て、それを強く意識する。


 十年後に開けられるはずだったタイムカプセル。

 誓ったはずのその約束は、今を以って果たされていない。


「なに考えてる?」


 すっと近付いて、榮倉先輩が悪戯っぽく投げ掛ける。

 クールダウンしたようで、ようやく“フツウの先輩”に戻ったらしい。


「はあ。夜の月が綺麗だなあって」


 そこには言葉で表現するには圧倒的に足らない、

 真ん丸なお月さまが浮かんでいた。


「なんだかホントに老けたみたい。ちょっと大丈夫?」


 そう言って、榮倉先輩は朗らかに笑った。


 先輩はふと空を見上げた。ポニーテールがふわりと揺れる。


「……綺麗ね、確かに。満月は文句の付けようがない」

「先輩、僕は言葉を恐れました。それでも美しいものを見ていると、そんなものは杞憂だったと感じます。僕はこの美しさを言い表せない。もしも言葉が万能であるなら、きっとこれを過不足なく表現出来るはずです」


「トトサマエンタ」


 透明感のある少女の声が、次第に騒がしさを増す屋台街に響いた。


「トトサマエンタ」


 赤みがかった瞳を夜空へ向け、

 マユは「トトサマエンタ」ともう一度だけ呟いて、この物語の幕を引いた。





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