けっせん.6
「私が願ったもの――それは【四戸商店街】の復興です」
木多先生は僕らにそう言った。
「誰かにそれを頼まれたのですね?」
「そうです景山さん。最初は仲間が描いた一枚のイラストでした。言うなれば、それが〈さくら姫〉の“原型”です。私たちは当時の〈ヨット高新聞〉に、度々“そのイラスト”を登場させた。吹き出しが付いて、そのイラストに記事の要点を説明させるといった具合にね。今思えば、なんと他愛のない始まりだったのでしょう……それは、そうなるように作られたワケではなかったのに」
そう言って先生は目を細め、じっと天井を見つめていた。
きっと過去を見ているのだ。
「ほんの小さなきっかけでした。〈ヨット高新聞〉を見た生徒の親が、彼女の描いたイラストを広告に載せたのです。無断使用と言っては大げさかもしれません。【四戸商店街】の中の、一商店が地方紙に出す小さな広告ですから。しかし、それを私たちが知ったのは事態が大分動き出した後のことでした。私の仲間が〈ヨット高新聞〉の隅に描いた、あの名前のないイラストは【四戸商店街】の“象徴的存在”として、一人歩きを始めていたのです」
それは製作者の手を離れ、自分らの意図しない方向へと進もうとしていた。
怪物になったんだ。
「あくまで〈さくら姫〉は私たちが付けた名前です。ある日、【四戸商店街】の会長が武笠先生と一緒に、新聞部の部室を尋ねて来られました。覚えていてくれたんでしょうね。お礼とお詫びを兼ねて『紅時雨』を頂きましたよ」
これは完全なる余談である。ナツキから聞いて後になって分かったことだ。
『紅時雨』とは【四戸商店街】にある生菓子店、
〈久多仁屋〉が販売する焼き菓子の名称らしい。
【四戸町】産のニンジンを丁寧に裏ごしして、
甘さ控えめの白餡と混ぜてパイ生地で包み、オーブンでこんがり焼き上げる。
熱を持つ表面にぱらぱらと注ぎ、じんわりとグラニュー糖が溶けた様は、
束ねた稲藁に滴り落ちる晩秋の冷たい雨を連想させるとか。
木多はその時食べた『紅時雨』の味を思い出したのか、
ふっと柔らかな微笑を浮かべた。
「会長からは、イラストの無期限の使用許可と、なんとその絵に“経歴”を付けてほしいと頼まれました。実に奇妙な話でしょう? 女生徒が描いた“ただの絵”にエピソードを加えて“人間”にしてくれ、というお願いです。魂を吹き込むなんて、まさに神様がやる奇跡じゃありませんか。では、どのようにして人間である我々――いや、ただの高校生だった我々がそれを行うか――どうです柴崎君、君なら分かりますか?」
僕は言った。
「言葉ですね」
「――そう。言葉こそ、人間が神から与えられた絶大なる力。それ故に、神と同等の力を持つのです。私たちは“名前のないあのイラスト”に〈さくら姫〉と名付けることによって魂を吹き込み、言葉を付加して行動に幅を持たせた。そこまでは上手くいった」
「そこまで、とは?」
「重大なことを忘れていたのです。私たちが創造した〈さくら姫〉は、やはり手から離れると次第に暴走を始めるようになった。厄介なのは人の噂です。人がそれを話す時、どうしても誇張されて表現されてしまう。神が人間を創造する時、安易に無限の力を与えたりしませんでした。私たち一人ひとりの能力に限界があるように、制限を設けることが必要だったのです。やはり言葉とは、おいそれと人間が使ってはいけない『神の力』であったと、私たちはその時になって知りました」
拡大を防ぐために一定の制限を設ける――
「ようやく分かりましたよ先生。そのために貴方がしたのは、〈歩き回る少女〉と〈さくら姫〉を重ねることだった」
木多は黙している。
僕は狂ったように声を張り上げた!
「じゃあラヴィーニャを取り巻く、あの“不自由な状況”はッ! 貴方にとっては、まさに願ってもない“足かせ”で、〈さくら姫〉を自分たちの手元に繋ぎ留めるために彼女を利用した! 貴方は会わなかったのですか、一度も“ラヴィーニャ”に!」
「君は会ったのですか、彼女に」
「……ええ、何度も会いましたよ。僕はラヴィーニャのことを考え、彼女に幾度も想いを巡らせた。だから許せない。夕暮れ時の学校に現れる少女の霊――そこに僕は、あどけない彼女の姿を見ました。興味津々に僕らの学校を見回る、彼女の姿が見えました。貴方は一体なにを見たのです? なにを感じたのです? 木多先生が〈ヨット高七不思議〉を追って得た“真実”はなんですか!」
怒りが無性に込み上げた。
〈さくら姫〉の悲恋物語――そんなもの、
彼女を一度でも見たのならすぐに気付く。あまりに性質がそぐわない。
「これは武笠先生も御承知のことなんですね?」
景山部長が冷ややかに言って、熱くなった僕に冷静さを促す。
「この作り話を」
「作り話……ですか。やはり君は手厳しい。それでも私は、作り話と単純に受け取ってほしくない。なぜならこれは、私と仲間が紡ぎ上げた物語だから。武笠先生はその思いを汲んで、一冊の本にまとめてくださった」
全てがひとつに繋がる。
ずっと不可解だった武笠先生の存在。先生が記した『伝説の同人誌』には、
当時の教え子たちの想いが綴られていたのだ。
「――あのォ木多先生、もうウチらの出番なんですけどォー」
場違いなほど底抜けに明るい声が【第三資料室】に割って入る。
ナツキかと思い、僕と景山部長が慌てて振り返ると、
クラリネットを手にした女生徒が入口のところに立っていた。
「さて、もうそんな時間でしたか。ああすぐに行きます。荒巻先生は、既に会場の方に?」
木多先生は流れるような動作で腕時計を確認すると、
呼びに来た女生徒を向こうへやった。部屋の暗さで気付かなかったが、
先生は真っ黒のタキシードを着ている。
「指揮者が遅れては、どうにも格好がつきません。そうでなくても私は吹奏楽部の厄介者ですからね。柴崎君、景山さん。君たちとの議論はとても有意義でした。私はそろそろ、教師へと戻らなくてはならない」
そう言って襟元を正し、木多先生は僕と景山部長の顔を交互に眺めた後、
コツコツと床に硬い靴音を響かせて僕たちの間をすり抜けた。
「ま、待ってください!」
先生の歩みが止まる。
身体は向こうに置いている。
「先生はそれでも続けるのですか! このウソを! それでも高校生の貴方が願ったもの――【四戸商店街】の復興は、今でも果たされていない!」
【四戸商店街】は廃れている。これは事実だ。
そして、そこに横たわる未来は、今よりもっと過酷なのかもしれない。
それでも先生は。
「つき続ける必要がありますか、と問いたいのでしょう君は。私はね柴崎君、本気で救おうと思ったのです。私たちの作り話で【四戸商店街】をね。しかし、結局は変わらなかった。なにを得たのかと問われると返答に窮します」
「――かけがえのない仲間との時間」
すると暫しの間、時は止まり、
木多先生はそこに立って彼女の言葉を噛みしめていた。
「ですが、それも確かではない。私だけがそう感じていたのかも。柴崎君、お願いがあります。【弓道場】の傍に、しめ縄の這った大イチョウがあります。その根元を掘ってごらんなさい。そこに当時の私たちはタイムカプセルを埋めました。中にはきっと、君が探しているモノがありますよ。そうですね、ゴールデンウィークが狙い目ですかね……警備の手が弱まるのは」
僕が戸惑っていると「十年後に開封する約束なんです」と木多は言った。




