けっせん.2
「取材、ですか」
僕たちが居るのは――それが誰かの悪戯か、それとも導きなのか――
“この話”の終焉を迎えるには、最も相応しい場所に思えた。
「立ちながらで構いませんか? “この偉人”を前にして、凡人である我々が、のんびりと座って話すワケにはいきませんからね」
ここは【四戸町役場】の隣。
人々の記憶から薄れた、小さな町の資料館の一室。
――【第三資料室】――
「今日は、驚いているでしょうねえ。たくさんの西洋楽器に眠りを妨げられて、さぞかし迷惑していることでしょう。毎年の“この日”は、さすがに気が引けます。その悩みの種を蒔く側としては」
一戸清次郎が、こちらを見返している。
「そうは思いませんか。柴崎君」
木多孝造が、振り返って僕を見る。
彼の言葉通り、この世の終わりを思わせるほどに
昨日は閑散としていた館内は様々な音で溢れかえっていた。
今や遅しと出番を待つ吹奏楽部の彼女たちは、担当の楽器を手に、
今や我が物顔で【公民館】の玄関ロビーを占拠している。
「聞いていいですか?」
僕がそう問いかけると、木多先生は大げさに頷いてみせた。
「一緒に練習しなくていいんですか?」
「ええ。連れて来た子たちは選りすぐりの精鋭で、そっちの方は荒巻先生に任せきりです。すると気楽な私は、出番まで館内を見学しながら、こうして君の取材に応じているワケです」
そう言って木多は自嘲気味に苦笑する。
「次の質問は?」
「先生が学生の頃――」
ほんの一瞬だけ、世界の音が途切れた。
「先生が学生の頃、〈さくら姫〉は居ましたか?」
「どうしたんですか。突然そんなことを聞いたりして」
「“発信者”は貴方ですね」
雰囲気が、明らかに変わる。
玄関ロビーから女生徒の話し声が聞こえるまで、
この圧倒的な存在感を放つ木多先生と、僕は二人きりで対していた。
打って変わって【第三資料室】が、息苦しいほどの閉塞感で満ちた。
「さて、なんのことか分かりません。なんです? 君が言う“発信者”とは」
「今、ここで行われようとしている『四戸商店街さくら祭り』――今年で十周年を迎えるそうですね。十年前というと、先生は大学生ですか? 先生が【四戸高等学校】に通っていた頃、〈さくら姫〉は存在しますか?」
「どうでしたかねえ。はっきりとは覚えてません。君は……どうしてそこまで〈さくら姫〉にこだわるのです? 確か、以前も聞いていましたね」
「そのことについて調べています。木多先生にも是非、郷土史の観点からご意見を伺いたく思いまして。そもそも『四戸商店街さくら祭り』は〈さくら姫〉の“悲恋物語”を謳っているんですよね? それならば、〈さくら姫〉をここで我々が論じることは、まさにうってつけであると言えます」
「なるほど」
すると木多先生は、声のトーンを少しだけ上げて話し始める。
「そう言われると、こちらも正直に答えざるを得ませんね。私がそれを答えることで、君からも新たな見解を得られることでしょう。〈さくら姫〉でしたか。私がその名を聞いたのは高校生の時でした。それにまつわる一連の“悲恋物語”も、その時は大変ロマンティックに聞いていましたよ。私も年頃でしたからね。彼女のことを、君は……どこまで知っていますか?」
「町の有力者の娘だった〈さくら姫〉は、貧民層の若者との間で“許されない恋”に落ちた。二人は世間の目を逃れて密会を繰り返し、そして最後は川に“身を投げた”」
「……柴崎君。さすがに要点だけでは身もフタもない話になってしまいますよ。そこに彼女の心情を挟むとすると――結婚を頑として許さない父親と、冷ややかな視線を向ける領民とに呪詛の言葉を投げつけながら――そして愛する男の腕に抱かれながら――彼女は僅かな幸福を噛みしめる。【四戸町】を育む大河の流れは、まるで二人の運命を映すように、時に荒々しく、そして時に穏やかに、そこに住む私たちに“災難”と“恩恵”の両方をもたらす――これは『奥入瀬川』という自然に対する、鎮守の物語でもあるのです」
そう。まるで【四戸町】に寄り添うように、
町の郊外を大きな川――奥入瀬川が流れている。
決して枯れることのない、
常に豊富な水量を誇る水源の周辺には、大水田地帯が広がっている。
その一帯は、秋を迎えると見渡す限りに黄金色に染まり、
そして母なる大河には大量の秋鮭が遡上する。
どれほどの時が過ぎようと、今も変わらぬ郷土の風景である。
しかし、〈さくら姫〉の物語を知る者は、僕の周囲に居なかった。
「それにしては根付いてないようにも見受けられます。先生の見解ですと、〈さくら姫〉を奉るということは、奥入瀬川を奉っているワケですよね? ですが『四戸商店街さくら祭り』の歴史は浅く、ほんの十年前に始まったばかりだ。お世辞にも伝統があるとは言いがたい。自然を畏敬の対象とするなら、もっと歴史があって当然のはず」
大なり小なり祭りには、そう言った背景が存在する。
これはマユから教わったことだ。祭りが日本に多いのは、
奉じる神が多いからだ。
それらは八百万とも数えられるように、各地に息づく伝承の数だけ存在する。
それを踏まえると『四戸商店街さくら祭り』に不審な点は見当たらない。
しかし何故だ。このすっきりしない、もやもやと心を覆うモノは。
鎮守の物語。こんなものは後付けの題目だ。
これはまるで――
「マヤカシだ」




