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かいめい.4



 マユは、その小さな手のひらをいっぱいに広げた。

 彼女はそして指折り数えると、

 「トトサマエンタ」と聞いた覚えのある呪文を三度唱える。


「ああ、それそれッ! そう言えば、そんなこともあった! トトサマエンタ、トトサマエンタ。幽霊に襲われそうになったら、そのワケわかんない呪文を三回唱えると大丈夫ってヤツだ」

「そうなんです。それで、その呪文の意味なんですけど、あれはお月さまのようなって意味なんです」

「え? ごめんマユちゃん、お願いもう一回! どんな意味だって?」


 マユは、こほんと軽く咳払いをした。


「――トトサマエンタ。“トトサマ”は『お月さま』です。私のおばあちゃんから聞きました。それはこの地方の方言だそうです。それから“エンタ”ですが、『のような』です。これも方言です。エンタではなくて、おんた、という発音が本来は正しいそうですが。ですから、幽霊撃退の呪文である“トトサマエンタ”は、『お月さまのような』という意味です」


 お月さまのような。

 これを……唱えるのか。



「なるほど。興味深いわね」



 景山部長もその不可思議な呪文を何度か口中で唱えると、難しい顔をする。


「それで撃退するのね? 夜に出没する恐ろしい幽霊を。じゃあ夕方の彼女は必要ないワケよね? ただ歩き回るだけなんだから。そうよね柴崎君?」


 それもそうだ。歩き回るだけなら撃退の呪文など必要ない。

 しかし、『お月さまのような』という文句で、効果があるのだろうか。


「あ、あのッ、でも先輩ッ!」


 待てよ。


 確か〈歩き回る少女〉に出会った時にも――どこかで聞いた覚えがある。

 僕は愛用の手帳を開き、夢中でページをめくった。


「いいえ……使います……それを“言わないとダメ”です! どうして!」

「そう。マユちゃんもさっき、それを言いかけたんでしょう? どうやらその噂は一年生の間で話されているようね。夕方でも夜中でも、とにかく“学校で幽霊に出会ってしまった”ら、その呪文を唱えないとダメなの。そうでないと」



 そして景山部長は言った。

 それはバスケット部の期待の星――佐々(ささき)加奈子(かなこ)が恐れた、

 あの眉唾ものの噂話だった。




「一週間後に来てしまう」




 悪寒が走る。

 手帳には書き込んでいたが、あえて見ないようにしていたガセ話。


「でもそれは、根も葉もない噂なんじゃ……?」

「噂よナツキさん。ここに出て来る話の“全て”がそうなの。正しくない噂なんてある? じゃあ聞くけど、正しい噂はどれなの? どう柴崎君、答えられる?」



 また混ざっている。


 そうに決まっている。だって彼女は――



 “あの逢魔時”の――


「彼女に悪意はないわ」


 その凛とした一声が、深い闇の中を彷徨する僕を救い上げる。


「私と加賀さんは、直に彼女に会ったの。その私から言わせると、彼女に悪意はないわ。一週間後に来るなんて話は、誰かが流した根も葉もないウソね」


 榮倉先輩が、あの景山部長と対峙する。


 ナツキとマユが心配そうに、その様子をじっと見守っていた。


「そう思う根拠を教えて、七海。論理的にね」

「私の勘よ」

「勘? へえ。論理的な貴方らしくないわね。人間の主観ほど当てにならないものはない。いつも客観的な事実のみに価値を置いていた七海らしくない」



 榮倉先輩は、うなだれる僕を力強い瞳で見返した。



「しっかりなさい柴崎司ッ、自分を信じられなくてどうするの! そんなに恐いのなら、この私が保証してあげる。彼女は貴方が感じたまま、“思ったままの彼女”だった! ……名前を呼んであげなさい。彼女の性質を、貴方が今、ここで決めなさい! お月さまのような――いい褒め言葉だと思わない? 撃退する呪文なんかじゃない。もしも彼女に出会ったら誰だってそう言いたくなる、そんな可愛い子だったんじゃないの? 柴崎君が“信じる彼女”はッ!」




 どこで間違えたのだろう。



 お月さまのような。これは魔法の言葉だ。



 きっと、笑顔になる。



 トトサマエンタ。

 トトサマエンタ。

 トトサマエンタ。



「景山部長。彼女は“ラヴィーニャ”です。一戸清次郎さんと、その妻イレーナさんとの間に生まれた一人娘、十歳になる前に死んでしまった女の子――“ラヴィーニャ”です」




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