しょうごう.5
「木多孝造先生は何者ですか」
そこに居る景山部長を始め、榮倉先輩、ナツキ、マユ、
そしてゴツゴツした彼の無骨過ぎる指先には“絶ッ対”に似合わない
パステルを持った呉介が、
僕の発言の意図が分からない、といった表情を同時に向ける。
木多はあの時、景山部長に相談しろと言った。
もしも自分の手に負えそうにないのなら――
あの時指摘されたように、
既に僕ひとりの両肩には背負えそうにないほど、
この話は膨らんでしまっている。
「ペンシルロケットがどうしたんだよ。ああ、あの昼か。あの時はサンキューな柴公。お前にしちゃあ、かなりいい仕事したぜ」
そう言って呉介は、方眼紙に向けていた大きな身体を傾けると、
グッと親指を突き立ててみせる。
「君は口を動かすより、手の方をやる!」
美しい大量の桜の花びらが、床いっぱいの方眼紙に躍っている。
描いている途中らしいが、
白黒で統一された紙面に鮮やかな桃色が映えていた。
より更に呉介は、その手で桜を散らせるつもりらしい。
時間が迫っている中で、この男の土壇場の凝り性は
榮倉先輩を更なるピリピリムードにさせていた。
「ペンシルロケットが何者かなんて、そんなの話好きのオッサンじゃん」
呉介の手並みに見入っていたマユが、不思議そうに隣のナツキを見る。
「皆さんが話しているペンシルロケットって、一体なんのことですか?」
「それがねえマユちゃん。ムダ知識の宝庫って言うか、いくら話しても話し足りない、とにかく話好きのヘンな先生がウチの学校に居るの。歴史の先生なんだけどね」
「歴史ですか……なんだか楽しそうな授業風景です」
「それが楽しいと言うか、何やってるか途中からゼンゼン分からなくなるんだよね。あっちこっちって、授業が次々に飛んじゃって。受験生には敵だね、テキ!」
常に粛々と教科書をこなす、無味乾燥な武笠先生の地理・歴史。
必ずと言っていいほど内容が飛んでしまう、木多先生の地理・歴史。
この両者は実に極端だ。
「木多先生って……この学校の卒業生よね、確か」
そう言って、すらりと姿勢よく立ったまま腕を組む榮倉先輩が、
呉介の作業風景を黙って見つめている景山部長に視線をやる。
「大先輩でしょうね。カレ、学生の頃は“新聞部”だったそうだし」
新聞部?
「本当ですか部長!」
「それマジすかッ!」
すると僕もナツキも呉介も、ほぼ同時に驚きの声を上げていた。
今も心臓が鳴動している。
その事実は僕にとっても衝撃的だった。
「武笠先生が仰っていたもの。教え子と同じ学校で職を共に出来るのは、とても幸せなことだって、いつか私に話してくれたわ。それに新聞部の顧問をしている先生だから、感慨深さも一入なんでしょう」
「だってあの人、マキ先生と一緒に吹奏楽部の顧問してなかった?」
そう言えば――前年の十月に行われた『四戸高祭』の前夜祭の日。
【メープルホール】に集められた僕ら――
全校生徒の前で吹奏楽部のコンサートがお披露目された。
その時、指揮棒を執ってオーケストラを指揮していたのは木多だ。
繰り出される重厚な音楽に、あの大きな体を上下させていた姿は、
おぼろげながら記憶に残っている。
「それからあの先生ね、夜な夜な学校中を“歩き回ってる”そうよ。部室の前を、すーって通るもの。音もなく、まるで幽霊みたいに」
自分で雰囲気たっぷりにそう言って、
榮倉先輩は気味悪そうに細い両肩を抱いた。
「……ただの見回りじゃないですか? 一番下っ端っぽいし、男だから」
と、ナツキ。
「だったら声を掛けるでしょ、フツウッ! 何も言わず素通りする? 誰も居ない真ッ暗な放課後に、あれをやられる私の身になってよ! とにかく気味が悪いったらないわッ!」
十秒前の恐怖を忘れ、榮倉先輩は激しい怒りに燃えている。
とても感情が豊かな人とは、彼女のことを指すのだろう。
「そりゃ確かに。ヤツは何者だって話だよな」
うんうんとワケ知り顔で頷く呉介は、今やすっかり描く手を止めて、
ピンク色のパステルを方眼紙の上に放り出している。
景山部長が不意に笑った。
「ふふ。柴崎君、もしかして木多先生に何か言われたんじゃない?」
心の平静が、彼女の発言で再び掻き乱される。
「ペンシルロケットのぶっ飛び発言か?」
「もう、静かにしてよ秋山君ッ!」
景山部長は笑みを堪え、言った。
「彼、ネコ被ってるから」
「ネコ?」
「楽しんでいるのよ、そうやって。人が困っているところを見るのが好き。まさに教師にあるまじきヘンジンね」
そう言いきった景山部長と木多との間に、過去に何かあったのだろうか。
「まあ、柴崎君が何を言われたかは知らないけれど、気にしない方がいいわ。誰かを煙に巻くのが大好きな人なの」
「ですが部長」
景山部長の顔が正面にある。
彼女は僕に視線を注いでいる。
他に誰と誰が部室に居たのか。
僕は彼女と眼が合った瞬間に、
それら全てを忘れてしまった。
「助けてください」
だから僕は、自分でも情けないと思えるほどに。
強い彼女に縋ってしまった。
「僕だけでは無理です。この謎は、解けない。部長の力がどうしても必要なんです!」
「それは、あなたにしか解けない」
その一言で我に返る。
あの日――バレンタインデーの時も、
彼女のたった一言で打ちのめされたことを覚えている。
これを読んだ貴方は、本当に私を好きになれる?
「私も七海も、あなたが求める真相には辿りつけない。――だから探しなさい柴崎君。迷いはやがて消えるわ。そして最後に残るのは“真実”だけ」
最後に残るのは真実。
「多くの人の手によって膨張しきったマヤカシを、一歩一歩近付いて」
最も間近で眺めるのだ。
景山部長が掲げる、これは〈ヨット高新聞部〉の信念だ!
「たとえそれが、どんな結果であろうとも」
そこに〈ヨット高七不思議〉の真相がある。




