しょうごう.2
どうしてこの時の僕は、彼の甘い囁きを信じてしまったのだろう。
今、心拍数が急に跳ね上がる中――冷静になって思い返すと、
その時の呉介が仕掛けた“言葉のギャップ”という
高等な心理テクニックに、まんまとはまっていたのだった。
もしも時間の神様が居るのなら――あの時、あの場所に僕を戻してほしい。
そして、もしもその願いが叶うなら僕は絶ッ対に、
この男の誘いを断るつもりだ。
「……なあ、まだか!」
その返事の代わりに呉介は、
プカーと真っ白い煙をアルミ戸の隙間から吹いて見せる。
「まったく冗談じゃないよ。どうして僕が、君の“犯罪”の肩棒を担がされなきゃならないんだ。いい加減にもういいだろ。帰るよこっちは」
「そこに居てくれるとマジ助かるんだけど。誰かの足音が近付いてきたら出て行って、ソッコーで確認な」
「そんなの自分でやれッ!」
ここは学校の、バカが付くほど広大な敷地の外れ――
【弓道場】脇の弓道部の部室である。
まったく身に覚えのないタバコの煙を
部室にたっぷり残される弓道部員も悲惨だが、
四人分の空き弁当箱をきっちり手に持って、
こうしてクソ真面目に見張りに立っている自分は
悲惨を通り越して滑稽である。
「こんなジャングルの奥地みたいな場所に、のこのこ見回りに来る先生が居るワケないだろ! そんなのは昼休みのムダ遣いだ! もう帰るよ!」
「いやあ、それが勘のいいイヌが居るんだよなあ。すんげえ老犬なんだけど、イヌだけに鼻が抜群にいいの。ムキムキマッチョじじい」
くくく、と下卑た笑い声が閉め切られたアルミ戸の向こう側でする。
イヌ、とは生徒指導の犬飼規一先生のことだ。
齢五十に差し掛かる高齢の先生であるが、
老いても生徒から恐れられる体育会系の鬼教師だ。
【ヨット高】の生き字引である武笠先生には負けるが、
それに次いで勤続年数が長い。
この一帯は犬飼先生の庭なのだ。
生徒がどこで何をするかなど、
それこそ長年の経験で手に取るように把握しているに違いない。
――しんとしている。鬼教師の足音が今にも聞こえてきそうだ。
すっかり恐ろしくなった僕は、
胸に抱えていた彼らの弁当箱をそこに放り出して、
ほうほうの体で退散することにした。
これほどの危険を冒して一本のタバコを吸うヤツの気がしれない。
一般の生徒の僕に言わせれば、それは狂人の所業である。




