ちょうさ.10
黄ばんだプラスチックの覆いがしたカウンターの向こう側から、
「らっしゃい」とドスの効いた声が腹ペコの僕らを出迎える。
威勢の良い呉介さえも、この無愛想な店主に面を喰らったようだった。
「――いやあ、ホント助かったなあ呉介。と、柴公な。俺と近藤さんと二人じゃあ、さすがに途中で投げたわ。来てくれてホント助かった」
「で、バイト代がこのラーメン?」
「なんだよ、バカにしてもらっちゃあ困るなあ。いいか、この店のラーメンは俺がこれまで食った中でも最高に美味いラーメンだ。その最高のラーメンを御馳走するんだから、最上級のお礼と受け取ってほしいね」
わざと誰かに聞かせているみたいだ。
あのヤクザみたいなコワモテの店主に、
彼は弱みでも握られているのだろうか?
「ちょっと、褒め過ぎじゃありませんカ」
すっと冷水が差し出される。
「食べる前からそんなこと言われちゃ、作る方がプレッシャーですヨ」
ねえ、と柔らかく言って、
その女性はカウンターの向こうで鉄鍋を振る店主を見やる。
無愛想な店主は視線さえもこちらへ寄越さない。
「やや。こいつは失礼しましたァ!」
「からかっちゃイヤですよう山さん」
『麺五郎』の看板娘――庭雪子さんは声を立てずに笑った。
「一杯食べると、もう病みつき。この店から離れられなくなるんですなー」
「それで昨日も今日も、ラーメン?」
ふふふと雪子さんは笑う。
全てを優しく包み込んでくれそうな、
ふっくらした雰囲気が訪れる客に極上の癒しを与える。
山ちゃんがこの店を贔屓にするのは、
どうやらラーメンの味ばかりではないようだ。
彼女の実年齢はここ数年、
毎日のように通い詰めている山ちゃんさえも分からないらしい。
「ところで今日は皆さん、一体なんの集まりですカ?」
決して先生には見えない、無精ひげを生やした中年の独身男が一名に、
まるで飢えた猛獣のような、
アマチュアのロックンローラーっぽい男子学生が一名。
そして虫も食いそうにない、完全草食系男子の自分が一名……。
パッと見て、共通項らしいものは見当たらない。
「春の恒例の、商店街のお祭りですよお。とにかく今年は人手がなくってェ。毎年そうなんですけどね。この二人に手伝ってもらって、今ようやくメドが付いたところなんですう」
はっ! キモチワルイと思ってしまった。
そう言ってニヤニヤする山ちゃんがとても怖い。
「ああッ、『四戸商店街さくら祭り』ですネ。ウチは商店街とは離れてますけど、陰ながら毎年応援させてもらっているんですヨ」
雪子さんは振り向いて、店の柱に飾ってある古びたワッペンを指差した。
「油で汚れちゃってますけど、顔は元のカワイイままです。【四戸商店街】のマスコットキャラクタ、『さくら姫』。学生のお二人は、ご存じありませんカ?」
「そう言えば。この店も一枚噛んでますか」
「そりゃもちろんですとも。今年も懲りずに参加させてもらっています。油まみれの〈さくら姫〉も、ちゃんと今年のものに代えてあげないと可哀想ですよネ」
「なあ山ちゃん。さっきから言ってる『さくら姫』ってなんなの?」
呉介は横を向き、柱に画鋲で留めているだけの、
すっかり黄色く変色してしまったキャラクターを観察する。
そこに描かれている『さくら姫』は【四戸町】の名産品である
大きなニンジンを抱きしめ、愛らしい笑みを振りまいている。
「周辺の商店から、一口千円で寄付金を募るのよ。それで出してくれた商店には、あのカワイイカワイイ『さくら姫』をプレゼント。ま、この辺に店を出してる以上、半分は強制徴収みたいなもんだけどさ」
「そんなことないですヨ。私たち、お祭りを楽しみにしているんです。と言っても店は営業中で私は行けませんけどネエ……でも私が小さかった頃は、そらあ楽しみでした。役場前の広場には色々と屋台も出ますし、カラオケ大会なんかも、もうそれは賑やかで。お祭りの夜なんか、遠く離れたここにまで皆さんの歌声が響いてきますのヨ」
雪子さんも【四戸町】の出身なのだろうか。
祭りは今年で十周年を迎えていたはず。
彼女が小さかった頃にも祭りが行われている――
以前にも増して彼女の本当の年齢が知りたくなる。
おそらく山ちゃんよりも一回り若い、のではないだろうか。
二十代に見える。しかし三十代と言われたら、
その彼女の雰囲気で納得してしまう。女性の容姿は分からない。
謎はいよいよ深まるばかりだ。
「ああッ、いけない。麺が伸びてしまいますネ。お待たせしましたお客さん。ご注文は、なんですカ?」
ラーメンが出来るまで三人【山ちゃんは雪子さんをずっと見ていて上の空だった】で雑談していると雪子さんがいそいそとやって来る。
にっこり笑って何をするかと思えば、
彼女は油まみれの『さくら姫』を店の柱から容赦なくベリベリ剥がすと、
ビニールから出したばかりの『さくら姫』と手際よく交換した。
すっかり若返った『さくら姫』の丸い頬は、
まるで風呂上がりの少女のように、ほのかに色付いている。
抱きしめる巨大ニンジンも鮮やかな色彩を取り戻した。
これが飛び散った油にまみれる前の、彼女の本当の姿なのだ。
「サ、どうでしょう。彼女、とっても綺麗になりましたでしょ」
「いやいや雪子さんの方が」
いつもの山ちゃんの軽口に「イヤですよう」と言って、
雪子さんも頬を赤らめる。こちらの看板娘も初々しい。
「もし『さくら姫』のコンテストがあったら雪子さんに絶対に一票。だってピッタリだもの。なあ呉介」
話を突然振られた呉介は、実に曖昧な返事を寄こして
照れたようにそっぽを向いた。
意外にもこの男は、艶のある話に縁がない。
すると今度は僕にまで山ちゃんは同じ話を振る。
「そんなイヤですよう。皆さんも、揃って私をからかわないでくださいヨ。私なんかじゃ『さくら姫』に申し訳ありませんよう」
「肖像権があるワケでもなし。選ばれたら遠慮なく成ればいいんです。『さくら姫』でも『ニンジン姫』でも」
「そりゃ“本物”に失礼ってもんですヨ!」
僕たちが生じた疑問は、
「一丁あがり」の店主のドスの効いた声に中断された。
無頓着にカウンターに置かれた、
とんこつベースの白濁した味噌ラーメンを甲斐甲斐しく持って、
雪子さんは呉介にひとつ、僕にひとつ丼を置いた。
「――え? 雪子さん。『さくら姫』にモデルとか本物が居るんですか? なんだ僕ァ、てっきり商店街の会長さんが作った、ご当地キャラクターとばかり思っていたんですがね」
もうひとつ、山ちゃんの前にも湯気の立った丼を置くと
雪子さんは片頬を上げ、実に悪戯っぽく、そっと僕たちに囁いた。
「あれまあ。知らないんですか山さん? あの“男女の悲恋物語”。彼女は本当に【四戸町】に居たんですヨ」




