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ちょうさ.3



 嗅覚がイヌ並みに鋭敏な榮倉先輩なら逃げ出してしまうだろう。



 もくもくと立ち込める大量の白煙で、向こう側の先生の顔が見えない!

 

 一見して、この場所が人体に悪影響を及ぼす環境なのは明白である。

 春の穏やかな日差しは拡散し、周囲はまるで薄霧に包まれている。

 学校一の古株――〈ヨット高新聞部〉の“顧問”でもある武笠(たけがさ)先生は、

 一年生の地理・歴史を担当する定年間近の老教師だ。

 その残り少ない教師生命も、この学校で静かに終えることだろう。


「そこに差し込む予定の記事です」


 すると老教師はとても緩慢な動作で

 机の引き出しから老眼鏡を取り出すと、

 景山部長が差し出したシワくちゃの紙片にゆっくりと目を通し始める。

 小さな活字とにらめっこする武笠先生に、

 景山部長はいちいち指差して丁寧に説明を続けている。



「それで、間に合いますか?」

「間に合わない場合は現状のままで発刊します」

「はあ、そうですか。今回は、なかなか詰まっていますね。榮倉さんも、何やら大変だ」



 かくかくプルプルと、

 そのたびに武笠先生はシワだらけの顔を小刻みに揺らし、

 景山部長の隣で突っ立っている僕に乾燥しきった笑みを向ける。


「精力的に動き回っているようで結構。元気いっぱいだ」

「はい。この件について張り切っているようです」


 その他大勢の一人として、授業をする先生と対したことはあるが、

 こうして面と向かって話を聞くのは初めてだった。

 武笠先生は〈ヨット高新聞部〉の顧問であるが、

 その姿を部室で見かけたことは一度もない。

 もしかすると僕の名前を知らない可能性さえある。



 この好々爺は人を食ったように、

 いつもこうして【職員室】で静かに茶をすすっている――



「先生は郷土史もお詳しいんですよね?」

「はあ、そりゃ多少は。どうしてそんなことを聞くんです」



 【職員室】の濁った空気と同化していた僕は、

 ここでようやく存在を許された。


 呆けている僕のマヌケ顔に、景山部長は鋭い視線で喝を入れる。


「今、私たちは【四戸町】の歴史を調べています」


 〈ヨット高七不思議〉を調べている――とは、景山部長は言わなかった。

 確かにそれが前提にあると、さすがの好々爺も眉をひそめるだろう。


「なんとまあ、それは」

「“こっち”の柴崎君が、そのことについて先生のご意見を拝聴したいそうです」


 急に発言権が回ってきた。

 すると僕は救助された人のように言葉をつかえながら、

 ナツキと一緒に調べた限りの知識を先生に向かって吐き出した。

 さほどの情報量ではないのだが、【職員室】特有のこの雰囲気と、

 辺りにはびこる大量の白い煙とで、余計に時間をロスしてしまった。



「――その頃は自分も、鼻を垂らしておりました」



 終戦直後、押し寄せた米軍の軍艦を見に、

 友達と漁港へ走ったのは良い思い出だ――と好々爺はそれから、

 ぽつぽつと僕たちに語った。


「そう言えば、この近隣の町にどうして『戸』が付くのか、お二人は知っていますか?」


 一戸(いちのへ)から始まって、

 二戸(にのへ)三戸(さんのへ)――

 五戸(ごのへ)六戸(ろくのへ)七戸(しちのへ)八戸(はちのへ)九戸(くのへ)と――


 この地域特有の、一から九まである『戸』のつく地名は、

 “馬”と浅からぬ縁があるらしい。

 一帯の市町村にはかつて、軍馬を育てる広大な牧場があり、

 その木造の扉に番号を振った名残という説だ。



「どうやらこの辺りは(みやこ)とは一味違った、“独特の郷土性”があったようです」



 武笠先生は最後にそう結ぶ。

 メモを取らないことには、とても覚えられそうにない。

 先生の方もこちらに理解を求めるといった風ではなく、

 昔の思い出話を淡々と語っているようだった。



「先生、もう一つよろしいでしょうか。この町が他と違い、『四戸(よと)』と音読みされているのはどうしてですか? よんのへ……しのへ、はどうでしょう? どうしてこの町だけ、読み方が統一されていないのでしょうか?」



「はあ、そうですね。はっきりしたことは、この僕には分かりませんが、おそらく縁起が悪かったからでしょう。()、は『死』を連想させる」



 はあ。それは至って単純な理由だ。

 メモを取る必要もない。


「ですが、それでもこの町は『四戸(よと)町』として現在まで残った……やはり残ったからには“何か特別な理由”があったワケですよね?」


 景山部長が難しい顔で武笠先生に問う。

 部長の難しい顔はいつものことだが、ここ一番の彼女は、

 とても近寄りがたい雰囲気を滲ませるのだ。

 性質は似ているのにどこか危なっかしく、

 怒った顔にも親しみを感じてしまう榮倉先輩との大きな違いだ。



 手にした湯呑をゆっくりと置き、武笠先生は、

 ふっと遠くを見るような目つきをした。



「イカの“スルメ”が“アタリメ”になり、(たい)が“めでたい”という語呂合わせで宴席に用意されたり、忌み言葉を極端に嫌う私たち日本人は、その名前のために、この町を一度“隔離”しました。そうすることによって、不浄な存在をこの地に集め、そして封じてきたのです」


「不浄な存在……それは一体なんですか」



 好々爺は続ける。



「この町は、存在を許されなかった町なのです」




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