ゆうれい.5
僕がナツキから聞かされた〈真っ赤に染まる音楽室〉はこうだ。
赴任してきた女教師が、筆舌共に尽くしがたい扱いを受けた後、
同僚に無慈悲に殺される話。以来、この〈音楽室〉には女教師の怨念が
憑き、次々と人々を呪い殺すそうだ。
今回僕たちは、それを前述の、この地方を取り巻く“歴史的背景”に
当てはめてみた。
赴任してきた“女教師”が当時の“市民”たちで、
殺害した“同僚”が“警察機構”である。
無数の擦り傷が付いたグランドピアノ。
他の教室と違い、椅子や机といった備品は一切なく、
床は昔ながらの木板だ。がらんとした教室の後ろには
大勢の外国人作曲家の肖像画が並んでいる。
「その七不思議って、女の人の不気味な笑い声が突然響いてきて、部屋中の窓が真っ赤な血の色に染まるんだっけ。その人がいきなり襲い掛かってくる、とかはないの?」
「うん。その声を聞いた人は、やっぱり死んじゃうんだって。〈ヨット高七不思議〉のほとんどは、どこかへ消えちゃうとか、死んじゃうって話なの。吹奏楽部の人に聞けば、もっと詳しいことが分かると思うけど――ッて柴崎君、何やッてるのッ!」
このモジャモジャ頭の西洋紳士は誰だったか。
他のものと比べ、一段と褪せてしまった窓辺の肖像画の一枚に
僕は手を掛けた。
「ちょっと、どうしたの!」
「こういう時、壁の後ろに何か隠してあるとか。もしかすると、そのための肖像画だったり、してッ!」
壁に直接打ち付けられているのか、
固定された額縁は押しても引いてもビクともしない。
「ね、やめようよお。ホントに壊しちゃったら大変だし……」
「この裏に何かありそうなんだけどな。例えば、バババッ!と飛び散った血痕、とか?」
「じゃあ、それを隠すための絵?」
僕はそこで言葉に詰まる。
彼女はマジだ。張りつめた空気を無理やり柔らかくさせる、
それは僕なりの気遣いだ。……分かりにくいかもしれないが。
そもそも建物全体が新しく建て替えられているのだから、
当時の痕跡があるはずがない。
景山部長や榮倉先輩とのやり取りが最近は特に多いためか、
やはりナツキとでは勝手が違う。
『【ヨット高】の歩く天然記念物』は、
ツッコミ待ちのボケにボケで真剣に返してしまうのだ。
「幽霊って、自分で歩いて別のところに行けるのかな?」
振り返ってナツキを見ると、まだ真面目な表情を続けていた。
返答はしばらく待たされる。
「……自縛霊とかは無理なんじゃない?」
「じ、ジバクレイ?」
「そう、自縛霊」
自縛霊なんて単語の意味を紐解いたのは、いつのことだったろう。
確か小さい頃に震えながら見た、
『真夏の心霊怪奇スペシャル』の一幕にまで遡るはずだ。
「この世に恨みを残して死んじゃうと、その場所から離れられなくなるんだって。だから【音楽室】に出るその女の幽霊も!」
それが事実とすると困ったことになる。
学校を“徘徊する”幽霊には該当しなくなるからだ。
「その人は、殺された側の人?」
「当たり前じゃん! そうじゃなかったら化けてなんか出ないよ!」
殺した側に回ったとしたらどうだ。
証言にあった気持ちの悪い女の顔。
腕を掴まれて一緒に飛び降りる等々――
一週間後に来るなんて、そんな恐ろしい話もよく似合っている。
発狂した女が、そこに集められた人々を次々に惨殺――
そう、誰かに仕向けられた。自縛霊ではなくて、
今も女は学校中を徘徊して、ここにはない誰かをずっと探し回っている――
僕は、どうしても区別しようとしている。
近付くとすぐに消えてしまう少女が、
恐ろしい性質を秘めているとは思いたくなかった。
「ね、柴崎君は本当に幽霊って居ると思う?」
「それは根源に当たる話だね。でも、その結論はまだ出すべきじゃないと思うんだ。今はとにかく、全てあるものとして受け入れよう。最初から雲を掴むような話なんだから、少しでも証拠となるものは最後の時まで取っておくんだ」
「最後の時って?」
「真相が見えた時さ。それは、辿り着くためのラストカードだ」
全てあるものとして受け入れる。
だとしたら、やはり居るのか?
その女は、今最も近くで僕とナツキを見ていて――
ナツキも察したようだ。青褪めて、そっと身を抱く。
「……出よう。なんか寒い。あとは吹奏楽部の人たちに聞こう? ね?」
僕たちは、背筋の凍る【音楽室】を後にした。
しかし、ここで練習する吹奏楽部の人たちは、
なんとも思わないのだろうか。
〈ヨット高七不思議〉の舞台となっている部屋に身を置くのに。
やはり、効かないのだろう。
彼らにとって、その存在がそこに居ることが日常化しているのだから。




