第五話
「アーッハッハッハッハ」
「笑うな!指差すな!馬鹿にするな!」
バックヤードに戻ると親切な店員―――いや、意地悪な店員が腹を抱えて笑っていた。戻ってきたこちらを見つけると指を指してもう一度馬鹿笑い。イラッとする。
「ヒーッヒッヒ、くっ、っふ、あーウケる」
「くっそ、親切だと思った僕が馬鹿だった」
悔しさに唇を噛みながらグチグチと文句を言う。彼はやっと笑いが落ち着いてきたようだった。
「肉ゥゥって叫びは予想以上のリアクションだわ」
「次笑ったら油性マジックでおんなじこと書いてやるよ」
グルルルルと睨みつけるがどこ吹く風。全く反省のひとかけらもしている風は無い。と思ったら急に目を細めて真剣な表情になる。
「まー、これに懲りたら無防備に男の前で寝たりするもんじゃねーぞ」
そう言われて言葉に詰まる。それが何を指すか分からない程平和ボケしたつもりはない。確かに反省すべきは僕の方だったかもしれない。心はどうあれ今の僕は女だ。しかも自分で言うのもなんだがかなり可愛い部類の。もし、万が一この優しい青年が『悪い』男なら、僕は今頃きれいな体では居られなかったかもしれない。そう考えると背中に冷たいものが走る。今の僕には女性が今までの生活で培ってくるであろう『女としての』自衛の精神が無い。このままでは遅かれ早かれ最悪の状態に陥ってしまうだろう。
「そう、ですね。不用意でした。すみません」
「あー、あとその敬語いらねーよ。さっきが素だろ?タメ語で話してくれ」
「一応恩人だし……でもまぁそう言うなら止めるよ」
「あとその僕っての何?変わってんね。不思議ちゃん?不思議キャラ?」
「うるさい。口癖なんだ。一人称が僕だからって別にいいだろ」
さっきまでの真剣な表情がうそみたいに今度はニヤニヤ笑いを張り付けたような表情で茶化してくる。
因みに男の頃から自分の事は『俺』とは言わなかった。女顔だったせいで『俺』と言うと違和感が凄いらしく、当時のクラスメイトほぼ全員(女子含む)から「せめて自分の呼び方は『僕』にして!お願いします!」と懇願された。その時の皆の鬼気迫る表情は壮絶で、軽いトラウマだ。「『ウチ』とか自分の名前とかでも可!」って叫んだ奴は蹴りを入れておいた。そんなこんなで生まれてこの方、自分の事を『僕』と言っていたが、まさか女の子になって『俺』と言う訳にも行かないので、初めてこの口癖に感謝してしまった。いや『僕』でもギリギリアウトか?
「あー、俺そろそろ学校いかねーと。そういえば名前聞いてなかったね」
「竜胆、竜胆悠。色々あって家出……みたいな事してる」
「悠ちゃんねー。また昨日位の時間に来なよ。廃棄弁当ぐらいなら用意してあげんよ」
「……ありがとう。なぁ、なんで得体のしれない僕の為にそこまでしてくれるんだ?」
「あー?そりゃー決まってんだろ」
ズイッと顔を近づけられる
「可愛い女の子に親切にするのは当たり前だろ?」
そう言ってにっこり笑いやがった。うわ、何というイケメン。顔が良くて性格もいいなんて、僕が女だったらイチコロだったかも知れない。あ、今女か。幸いその気は無いので軽くあしらう。
「ハイハイ、女たらしは怖いね。そろそろ学校だろ?どこの大学か知らんけど、そろそろ時間やばいんじゃないか?」
「ガード緩いんだか硬いんだかーーーって、うっわマジだやっべえ!あのハゲ教授ちょっとでも遅れたら出席日数くれねーんだよ!悠ちゃんまたな!今夜もオレバイトだから、ちゃんと来いよー!!」
慌てて鞄を持った青年は駆け足でバックヤードから飛出し、外へ走って行った。全くあわただしい青年だ。
遅れて僕も店を出る。夜はあれほど煌びやかに光っていた街並みも今では人がほとんど居らず、静かなくらいだ。もう豆粒のように小さくなってしまった青年を見ながらふと思う。
「そういえば僕にだけ名乗らせておいて、あいつ自分の名前言ってないじゃないか」
イタズラされたとはいえ恩人だ。名前は聞いておくべきだった。
「まぁ、また夜に聞けばいいか」
今更言ってもどうしようもない事は考えないに限る。それより今はどうやって日々の糧を得るか、だ。元手も身分も無しでできる仕事なんてそう簡単に見つからない。とりあえずバイト募集に片っ端から行ってみよう。住み込みで行けるとこなら文句なしだ!
気合いを入れて僕は街へ向かって行った。
「そうですか、はい、はい、いえ、ありがとうございました」
ペコペコと頭を下げる。入社数ヶ月の間で叩き込まれた社会人スキルの一つ。上手な謝り方だ。
「受け答えもしっかりしてるし、今時の子にしちゃ礼儀も出来てるんだけどね
流石に年齢も保護者も分からない未成年を働かせる訳にはいかないから」
「いえ、こちらもご無理を承知でのお願いでしたので。お時間を頂いて申し訳ありません」
「18歳になったらおいでよ。君みたいな子なら歓迎だよ」
「ありがとうございます。それでは失礼致します」
店からいくらか離れた後、盛大にため息をつく。これで10連敗。全戦全敗のオール黒星だ。
いくら個人経営っぽい店を狙ったとは言え、下手したら中学生に見える年齢証明も身元確認も出来ない少女を働かせてくれる店は無い。いたら労基に通報されてる。
「どうしようか、ホント」
植垣に腰をおろしながら、もう一度ため息をつく。辺りは少しずつ暗くなり始め、仕事を終えたサラリーマンがチラホラと帰宅の電車に向かうのが見える。
かつて自分もその一部であっただけに、その光景が懐かしく、尚更恨めしい。今ならどんなブラック企業に勤めてもやっていけそうだ。労働は喜びだ。今身を持ってそのありがたみを体験している。
「キミキミ、バイトを探してんの?」
労働の素晴らしさについて考えていると、まともな労働などくそくらえと言わんがばかりに、髪を真っ金色に染めた軽薄そうな男性が話しかけてくる。スーツに派手な色のシャツ。爆発したような金髪でまさにホストと言った出で立ちだ。ニヤニヤとした表情から下心が透けて見えてるぞ。
「いえ、別に困ってません」
「またまた~。さっきバイト断られてたでしょ?
お金要るんでしょ?協力するよ?」
「結構です。失礼します」
「ちょいちょい、何その態度。優しくしてる内に言う事聞いといた方が身のためだよ」
腕をつかまれる。しかも結構な力で。振り払おうとするが、この細い腕では上手く振り払えない。
「…っ、離せよ!大声出すぞ」
「あ?人が下手に出てりゃあ調子に乗りやがって」
「いっ……っう!?」
一向に怯まない僕にイラついたのか凄みながら腕の握力を上げられ、捻りあげられる。あまりの痛みにカッとなり、大声を出そうと息を吸い込んだ瞬間、僕の腕を掴んでいる手が、別の腕に掴まれる。その腕の持ち主を見ると10代後半であろう青年が居た。チェックのシャツにGパン、髪は真っ黒でボサボサに伸ばしていて正直恰好自体はダサいが、パーツがいいのかそれなりにモテそうな雰囲気の青年だ。
「やめなよ。その子嫌がってるじゃないか」
そう言ってその腕を握り込むと、みるみるうちに軽薄そうな男の手首の色が鬱血していく。
「あっ、でっ、てめぇ!はなっ、しやがれ!」
軽薄そうな男が腕を降ると青年はあっさりと手を離す。そんなに腕に力を入れていたように見えないが、どんな握力をしているのだろうか、赤と言うより黒や紫に近くなるほどの跡が付いた手首が実に痛そうだ。
「くそっ、てめぇら馬鹿にしやがって!」
ホスト風の男はさらに逆上して手が付けられそうにもない。正直こちらの青年の方が強そうな気配がするが、ホスト風の男は気が付いていないようだ。これじゃあ埒があかない。と言うかけが人が出る。僕はあっさり最終手段を使う事にした。
「助けてくれえぇええぇぇぇぇぇぇ!!」




