第四十九話
“誰我接触不叶”が破られた。その事は僕に少なくない動揺を与えた。今までどんなに格上の相手でも破られた事無かったのに。……いや、前に一度だけ――
そんな考え事なんてしている暇はなかったようだ。動揺は隙を生む。体勢を立て直した魔女が、先ほどと同様の鎌鼬のような斬撃の魔術を、まるで目が不揃いな投げ網の如く大量に繰り出す。
「なっ……ッ……ひっ」
高速で迫る魔術は、横にも後ろにも逃げ場はない。先ほどの弾かれなかった魔術が頭を過ぎる。掠った頬を切り裂いた魔術の切れ味は、恐らく僕の肉体など何の苦にせず切り裂く鋭利さをもっているだろう。恐怖に思わず目を固く瞑り、腕で顔を覆う。
最悪の瞬間を想像して身を竦ませるけれども、その瞬間は訪れず、バチンという弾けるような音と共に、魔術は僕に触れることなく弾かれ、落とされて霧散していった。
ッ、こわ、かった。死ぬかと思った。跳ね返す事が出来無ければ、今頃僕は“みじん切り”だ。昔見たホラー映画でそんな殺され方をした人がいた事を思い出し、自分がそんな風になる様を想像してしまい背筋が冷えた。うぇ、サイコロステーキみたいになるのは御免だ。
「うそ、弾かれた?」
対する魔女自身も、僕が魔術を弾いたことに驚きを見せている。つまりは、何らかの方法で防御を無視する手段を講じているという事だ。その何らかの方法を暴かなければ、また先ほどの様に防ぐことが出来なくなるかわからない。
“理”として上位にある魔法は、魔術では絶対に破れない。もし破れたならば、それは何らかの魔法なり、異能の作用によるものだ。アーニャとエランティスに教えてもらった事を思い出せ。魔女の詠唱は、その魔女の魔法そのものだ。あの魔女の詠唱に込められた幸運の、奇跡を願う魔法で考えられるのは……
「確率、操作……」
「あら、私もそれなりに有名な方だと思っていたけれど、知らなかったのかしら?」
思いついた可能性を呟くと、相手の魔女は隠す気など更々無いようであっさりと僕の推測が正解だと言い放つ。確率操作、想像はしてみたけど随分と無茶苦茶な魔法だ。この魔女の前ではどんな奇跡の様な低確率も必定の事象だ。例えばそれがどんなに安全整備を満たした電車でも脱線させてしまう程の。
「それよりも貴女、本当に“拒絶の魔女”?噂に名高い“拒絶の”にしては、戦い方が荒削り過ぎる。まるで借り物を振り回しているみたい。
私の魔法を防いだのは流石だけれど。記憶ごと歴史を失った?いえ、寧ろ、中身が入れ替わったよう。
……あぁ、そういうこと」
戦いの最中に独り言とは随分と余裕のある魔女だ。けど、僕自身迂闊に攻め込めない。
意識をすれば確率操作の魔法の込められた魔術も弾くことが出来る。逆に言えば、意識の外からの攻撃を弾くことが出来ない。それは今まで魔法と言う絶対防御の加護に頼り切って戦いを切り抜けてきた僕にとって初めての事態だ。一つのミスが命取りとなる。本来の戦いとはそういうものなんだろうけど、その事に対して今更ながらに恐ろしくなる。
「拒絶の魔女の死体に取り憑いたのね。リビングデッドがそこまで魔法を扱うなんて驚きだけど。
死体風情が、私の前に立ちはだからないで欲しいものね」
「――ッ!」
独り言を続ける魔女の言葉に、僕はカッと熱くなる。さすがに動く死体扱いは頭に来た。先ほどと同様に斥力で加速して魔女に突っ込む。
「何をそんなに激昂しているのかしら。取り憑いた相手の力が強力なだけで、貴女自身には、何も無いでしょう」
だから!人を、ゾンビ扱いするなってのに!
意表を突けたさっきとは違い、今回はある程度の余裕を持って回避されている。それこそ無駄口を叩いていられるほどには。ああ、もう!イラつくなぁ!
「それに、攻めてくるには少し遅すぎたわね」
「な……ッ!?」
魔女が錫杖を地面に突き立て、多量の鈴がジャランと音を立てた、その瞬間。僕が足を着いた電車の窓が割れ、そこに足を取られる。
――ジャラン
再び錫杖の音。その音と共に僕に向かって7、8……9個の抱える位の大きさの火の玉が発射される。狙い違わず僕に向かって飛びかかってくる火球を難なく魔法で弾き飛ばす。弾き飛ばした先に漏れ出した何かの燃料に引火したのか、爆発が起き僕を巻き込む。
(あっつ、熱い!?くっそ、少し焼けた)
何とか意識を向ける事に成功して爆風を弾くことは出来たけど、完全にとはいかなかった。服の袖と裾を少し焼き焦がし、肌がやけどしたようで少しヒリヒリする。
――ジャラン
次は爆風によって耐力を失った電車の壁面が、僕が今足場にしているまさにそこが地割れのように裂け、僕を数メートル直下に叩き落とした。
「あー、だめだ。何やってんだ僕、冷静になれ……」
スクラップと化した電車の中で、最早ゴミとしか呼べない座椅子の上にへたり込みながら呟く。戦いは冷静でなければ勝てない。アーニャとエランティスが口を酸っぱくして何度も言っていたことだ。特に僕の様な初心者が猪突猛進に突っ込んでも、相手にとってはいいカモだ。冷静に、相手の意識の裏をかくようにして戦うんだ。そう自分に言い聞かせながら立ち上がろうとして、僕は足首に違和感を覚える。
(あれ?足に何か絡まって……)
僕はその何かに目を落として――
「――――――ッ!!?」
瞬間、その足に捕まる様にして絡まった腕の主の目と合い、込み上がる悪寒と恐怖と嘔吐感に声にならない悲鳴を上げた。
そこに居た、いや、あったのは、あの、迷子の少女の手で、その生気を失った目が……
――ジャラン
錫杖の音と、電車だったものの屋根が倒壊し崩れ落ちてきた音とどちらが先だったか……。
◆◇◆◇◆◇
「……さて、どうなったかしら」
――幸運の魔女は呟く。悠がどうなったか、実のところそれは彼女にも把握は出来ていない。幸運の方法の選択権は彼女には無いからだ。何故ならば、“幸運”はあくまで偶然の産物であって、起きる事象に対して彼女の意思が介入するならば、それは幸運ではなくただの“操作”に成り果てるから。
幸運の魔女は厄災など望んではいない。心の奥底にあるのは「幸運でありたい」という切なる願いのみであって、他者の不幸などは彼女の意図するところにはない。
最初は心を痛めた。
何度も懺悔した。
いつしか諦観となった。
それでも彼女はその祈りを捨てることは無い。それこそが幸運の魔女が魔女足りえる望みである為に。
「…………」
――噂に名高い“拒絶の魔女”。“御使いの魔女”と共に“百年級”の中では上位に位置する魔女だ。その二人が常に共に在る。その事実は魔導に携わる者達にとっては脅威でしかない。
だが、此処に居るのはその片割れのみ。しかもその魂は喪われ、魔法を扱うには拙い魂が入っている。
(これは、労せず魔女の“死骸”を手に入れるチャンスね)
もう一度錫杖を鳴らそうとして、偶然顔の前に掲げた錫杖に、何かが直撃し、ガギィンというけたたましい金属音をあげた。
「っ、何!?」
魔法に助けられたとは言え、その一瞬の怯みで形勢は逆転した。再び悠が接近し、魔法の篭った凶悪な拳を繰り出す。
(魔術を使った様子は無かった…… 何か隠し持っている?)
――その予想は、正しかった。再び拳に混じえて放たれたそれを、今度はしっかりと認識する。
パチンコ玉。重さにして5gとちょっとの小さな鋼の玉だ。そしてその玉と同名の武器、パチンコ。或いはスリングショットと呼ばれる其れは、威力の高いものなら狩猟用に使えるものまであって、馬鹿には出来ない武器だ。そのパチンコと同じように、小さな鋼の玉を『斥力』で弾き飛ばす。僕でも容易にコンクリートにめり込む位の威力を出せる。牽制には十分な威力だろう。拳の中に隠し持てば、殴り掛かりながら不意をつくことも出来る。
と言っても、あまり連発出来る程の数はない。一つ一つは軽いし安いけど、数が増えればその分重たくなるし、いつもポケットやカバンに入れてジャラジャラさせておくわけにもいかないし。
「鋼の玉……?この程度……」
その言葉と共に魔女が障壁を張る。続いて放った三発目のパチンコ玉は障壁に阻まれてあえなく防がれ、地面に落ちてカツンと音をたてる。
「絶弾ッ・垂氷!!」
僕の“始動キー”と共に霞のマントが円錐状の矢じりを数発形成し、その内の幾つかを魔女へと飛ばす。パチンコ玉と同じように障壁で防ごうとする魔女だけど……
悪いね、それが狙いだ。
「弾けろッ!」
障壁に突き刺さった矢じりが炸裂弾の様に弾けた。障壁を内側から破り裂くように、食い千切る様に広がり、一瞬だけ障壁を解除させる。絶弾・垂氷に込められた術式は、『法衣の形態変化』『遠隔操作』『軌道修正』『同一物の複製』、そして『障壁突破』だ。
「クッ……」
相手の魔女もこれには面食らったのか、慌てて次の障壁を発動させようとしているが、僕もそれを待っているほど呑気ではない。発射させずに残しておいた残りの矢を、障壁が破れた所に向かって全弾発射する。
(当たった――ってええェェ)
命中を確信したタイミングだったけど、何故か突然降ってきた2m程の長さの鉄板が魔女の前に振ってきて、僕の絶弾・垂氷を受け止めた。
って何だそれ!?反則だろ、どっから出て来たんだよその鉄板!
「……危なかったわね」
鉄板が倒れると、そこには傷一つ負っていない魔女の姿。その姿を見て僕は歯ぎしりをする。
(くそっ、これでも、駄目か)
絶弾・垂氷は僕の中ではかなり奥の手だ。これ以上の威力や制圧力を持つ攻撃手段は僕にはない。
僕の魔法も、恐らくは相手の魔女の魔法も、防性の魔法だ。死にたくない、触れられたくない、そういった類の祈りによって生まれた魔法は、防御に適した魔法となる。自分も相手も防御に偏重しているなら、この勝負は千日手だ。詠唱破棄をしている僕が先に時間切れになるのを待つ、詰将棋にしかならない。この盤面をひっくり返す為には――
「……お前、何が目的なんだ」
「目的?」
「何人も死なせて、それでも果たしたい目的ってなんだ?」
「…………」
訝しげな表情を見せる魔女。それもそうだろう。このままだと先に時間切れになるのは確実に僕の方だ。僕には残された時間が無い、それならば時間稼ぎの様なこの会話は無意味だ。
「目的、目的ね…… そう、なんだったかしら……」
呟くその言葉は何処か自虐のようで――
――“幸運の魔女”は過去を振り返る。本当は欠片も忘れたことは無い。
擦れず、欠けず、色あせず、未だに心に在り続けるその過去を思い出す。
それは即ち、“幸運の魔女”が生まれた記憶。




