第四十八話
「――我は触れられざるもの。
嗚呼寄るな触るな近付くな。
あの日の慟哭を彼方へ。
此処は汝等の触れてよい夢に非らず。
故に――誰我接触不叶。」
僕は“宣言”をする。己が存在の証を、願いと誓いを。
ただ、触れられたくないと願った。穢されたくない、壊されたくないと願った。
故に“誰も我に触れる事叶わず”。接触を拒む願いは、絶対防御の法となり、この世界に展開される。
「――我は幸運の女神に抱かれるもの。
此の一手は最善の術、此の一足は最良の道。
その筋書きに徹頭徹尾狂い無く。
神は賽を振らず、ただ弄ぶのみ。
故に――吾身神光戻給。」
対する魔女も同時に“宣言”をする。己が存在の証を、願いと誓いを。
ただ、奇跡が欲しいと願った。この道こそが最善であれと願った。
故に“吾が身の内に神光取戻し給え”。幸運を求める願いは、奇跡を操る法となり、この世界に展開される。
「その魔法…… 貴女、“拒絶の”?」
僕の詠唱を聞いた魔女が、驚いた様に口元を押さえて呟く。その手には先ほどまで無かった多量の鈴と装飾が付いた錫杖が握られている。その錫杖こそが彼女の“法衣”だろう。僕のマントやアーニャの純白のワンピースと羽の様な身に纏うもの以外にも、彼女の様な武器の形をした“法衣”もあるみたいだ。
「死んだって聞いたけど、どんな絡繰りかしら」
「……答える必要は無いね」
相手の魔女の疑問を切って捨てる言葉と共に、僕は自身の身体を弾き飛ばし、高速で突っ込んでいった。
そして僕の初めての“魔女戦”が始まった――
◆◇◆◇◆◇
――時間は竜胆悠が“幸運の魔女”と会敵する数十分前に遡る。
アーニャ・ガランサスとエランティスはある公園で落ち合っていた。傍から見れば異国の少女が犬と戯れるという、何とも微笑ましい光景だが、二人の背中に何時もの覇気は無く、連日の深夜残業に疲れ切ったサラリーマンの様な疲弊し切った悲しい背中だった。
「……疲れたわ」
「……奇遇だな、アーニャ・ガランサス。我もだ」
「あら、珍しい。何時もなら私の愚痴なんて即効切って捨てる癖に」
呟く様に零した愚痴に、まさかエランティスが同意すると思っていなかったアーニャは、心底驚く。普段なら「精進が足りん」だの「愚痴るな」だの厳しい言葉が返ってくる事請け合いだったからだ。
「昨日から少々、な。野生動物を屠殺する施設に連れて行かれかけたり、“前知の”に捕まったり、碌なことが無い」
「それは…… ご愁傷様」
“前知の”の名を聞き若干頬を引き攣らせてアーニャはエランティスを慰める。あの色情魔に捕まれば何をされるか。想像はつくが、想像すらしたくない惨状だろう。
しかし、慰めるアーニャも、エランティス程でないにせよ不運の連続だ。夏休み中の補修に向かう途中で露出狂の変態に出くわすわ、ろくでなし共に絡まれるわ。言われてみれば自身の不幸も昨日の夜からだったなと思い返す。
「まさか悠までこんな事になっていたりして」
「さてな。この間の様に突然開かれた門から『名付き』の魔獣でも現れぬ限り問題無いであろう」
「そんな悪い夢みたいな偶然、何度も起きる訳……」
そこまで言いかけて、アーニャはある可能性に気付く。一度気付いてしまえば、あらゆることに合点がいく。“偶然”昨日の夜から始まった不幸。“偶然”エランティスや自身の様な異邦者の敵となりうるものに発現する不幸。もしこれが、作為的なものであるならば、そして、そんな事が可能なものは――
みるみる顔色を悪くするアーニャの表情を訝しげに見ながら、エランティスは尋ねる。
「……どうした?」
「ちょっと、待って…… 嘘、“あれ”が来てるの?」
「アーニャ・ガランサス、汝、何を言って……」
アーニャが、エランティスの問いを無視しながら呟く。そのことに対して少しイラつきながらもエランティスは再び尋ねる。
「エランティス、こんな“悪い夢みたいな偶然”を引き起こす方法って、何がある?」
「確率操作の事か?干渉する対象の数と変異率が大きすぎて、魔術ではとても……いや、待て」
そこまで言いかけて、エランティスが言葉を止める。それはつまり、アーニャと同じ心当たりに突き当たったという事だ。既存の法則を塗り替える事の出来ない魔術では、そのような大がかりな確率操作は行えない。だが……
「……魔術じゃなくて、魔法なら?」
「まさか、それこそ“悪い夢”ではないか。よりにもよって“アレ”か?」
「違うと思いたいけれど、これだけ重なると、ただの不運とは――」
その時、偶然隣にあった工事現場で吊り上げていた鉄骨が、偶然吹いた強風によって、偶然外れてしまい、偶然近くにいたアーニャとエランティスに目掛けて降ってくる。警戒していた二人はその事に気付き、降ってきた鉄骨を躱す――そして躱した先で突っ込んできたトラックに轢き飛ばされる。偶然居眠り運転をしていたトラックの運転手が、偶然ハンドルを切り間違え、偶然鉄骨を躱した先にいた二人に目がけて突っ込んできたのだ。
何が起こったか脳が処理できず、固まったままの周囲の人間を余所に、障壁が間に合った二人には大したケガは無く、立ち上がり服に付いた砂埃を払う。だが、その表情は切羽詰まっている。
「ッ……やっぱりこれは、幸運の魔女」
「ええい、“幸運の”だと?あの“厄災”め、何故このような処にッ!!」
“厄災”とは、幸運の魔女に付けられたあだ名、いや蔑称だ。
奇跡は、幸運だけでは成り立たない。ただ恒久的に幸運であれば人はそれに慣れ、普通だと思い、幸運だと感じなくなるのだ。不幸と言う断崖の果てで手に入れた幸運こそが“奇跡”足りうるのである。
故に、幸運の魔女の傍には不幸が在る。ただ在るだけで周りを不幸にし、破滅させ、それでいて己だけは“奇跡”的な偶然で助かる…… 此れを“厄災”と呼ばずに何と呼ぼうか。
だからこそ、元より忌諱され易い魔女の中でも、幸運の魔女は特に蛇蝎の如く嫌われ、恐れられていたのだ。そんな魔女が、目的は不明のまま現れた。そうなれば、今現在一番憂慮すべきは単身で居る竜胆悠だ。悠には魔女や魔獣に対する知識が足りていない。何の対策も無しに御せる程“百年級”の魔女は甘くない。
「悠ッ!!今、どこ?何処にいるの!!?」
『っ――――。アーニャ、念話でその音量はつらいって』
慌てて竜胆悠と念話を繋ぎ、普段と変わらぬその声に、アーニャは胸を撫で下ろす。若干悲鳴の様な声だったのはこの際無視する。一度戦闘が始まってしまえば、そのような精神状態で念話を行うことが出来ない。逆に言えば、このような普段の声色で念話が伝わったという事は、竜胆悠はまだ巻き込まれていないという事だ。しかし、だからと言って事態は予断を許さない。何時不幸が訪れるかは、この魔法の所有者である“幸運の”すらも知らない事なのだ。この瞬間にも、悠に不幸が降りかかる可能性がある。一刻も早く合流する必要があった。
「ごめんなさい!でも、今それどころじゃないの!早く合流しないと……!」
『落ち着いてアーニャ。僕は今――』
――ブツン!
まるでブレーカーを落とされた家電製品のように、一瞬で念話が途切れる。
仕組まれたかの様な展開に、アーニャの表情が青ざめる。疑いようが無い。このようなご都合主義な“不幸”など、幸運の魔女の法に他ならない。
「……ッ!念話が切られました!」
「なんだと?まさかもう“幸運の”と接触したのか!?」
あともう少し繋がっていれば、居場所を聞き出す事が出来たのに――それこそがその魔法の効力だと分かっていても、その歯がゆさに憾まずにはいられない。
「ああ、もう、噂には聞いていたけど、本当に癇に障る魔法。エランティス、お願い、探査の魔術を!」
「うむ……!」
「急いでッエランティス!もし、悠が魔法を使ったら、探知出来なくなる」
「……クッ、駄目だ弾かれた。
ええい、忌々しい!探査の魔術すら触れる事を許さないあの魔法が仇となったか!」
焦るアーニャに、そして中々術式が組みあがらない魔術と自分自身に苛つきながらエランティスは探査魔術を発動させるが、敢え無くその魔術は“誰我接触不叶”によって弾かれる。あの魔法は“接触”という概念自体を拒む魔法だ。その対象は“魔術”や“異能”にも適用される。
「そんな事を言っている場合じゃ無いでしょう!
探査の魔術を弾いたって事は、既に戦闘が始まっているって事よ!早く悠を見つけないと……
アレと戦う事になれば、勝っても負けても不幸になる!」
「分かっておるわッ!!くそっ、遠見の術式で虱潰しに探すぞ!」
エランティスはすぐに別の対処法を探し出し、アーニャもそれに続く。だが、遠見の術式。あるいは千里眼の術式。遠くを見渡す事の出来るその魔術で、直接どこに居るかも分からない相手を探すのは容易ではない。
「お願い悠……無事でいて……」
祈るようなアーニャの呟きは、どこか嘆願の様であった。
◆◇◆◇◆◇
「ッ――」
高速で相手の魔女に迫り、肉薄した僕は、その顎を掬い上げるようなアッパーカットを繰り出す。当たれば相手を打ち上げ花火の様に上空へ吹き飛ばせるだろう一撃を寸でのところで躱す魔女。
「っく、自分を弾き飛ばすなんて、随分と命知らずな……」
……うるさい。自覚はあるさ。
肉薄さえ出来ればこっちのものだ。拒絶の魔法がある限り僕には攻撃が当たらず、僕は相手の攻撃を気にせず、一方的に攻撃することが出来る。ワンサイドなインファイトだ。
……その、筈だった。
斥力を込めた拳を、ギリギリで躱し続ける魔女。素人丸出しの攻撃でも、込められた“法”は強力だ。その事は相手も分かっているようで、必死になって躱している。けど油断は出来ない。攻撃の手を休めて距離を離されてしまえば、詠唱破棄を行っている僕の方が先に“時間切れ”になってしまうだろう。
「……く、今度は、こっちの番ッ!」
体勢を崩しながらも、相手の魔女が魔術を発動させる。発現した魔術はまともな状態で発動できていない為、威力も範囲も小さく、蠅山の魔獣の蠅1匹とそう変りない程度の威力しかない。
「この程度の魔術――」
飛んできた鎌鼬の様な斬撃の魔術を弾こうと僕は其れを見据える。見据えて、それが弾かれず、僕の傍を通り過ぎた。
ピリッとした痛みが頬を走る。
「ぇ……」
僕は呆けた声を出しながら、頬に伝う血に手を添える。
じんわりとした痛みと指先を染め上げる紅が、僕の頬に付けられた傷を主張していた。
魔法はまだ発動している。“詠唱破棄”を行ったせいで、残りの時間は幾らか心許ないけれど、それでもまだ戦闘を続けることが可能な位は残されている。
それなのに、ケガをした。傷を付けられた。そして何より――
「うそ……“誰我接触不叶”が、破られた……?」
あらゆる接触を拒む、絶対防御の法が破られた。




