第二話
驚き過ぎて死ぬ驚死と言うものがあるならば今日だけで3回死んで居るだろう。
一度目は目が覚めたら、自分の身体が女の子になってしまっていた時。
二度目は人語を解する仔犬に死亡宣告と蘇生宣言された時。
そして三度目は爆音と共に3mを超える巨大な熊の様な化け物をみた――今この時だ
「は……?え……?はぁ……?!」
余りの衝撃に言葉を失い、口を魚の様にパクパクとさせる人形の様な僕に構わず、仔犬が説明を続ける。
「アレが闘うべき『悪』――敵の一つ、魔獣と呼ばれる存在だ。人の悪意から産まれし異形の化け物だ。
何、そこまで大きな魔力は感じない。中位にも至らぬ。今の汝でも力を上手く使えば勝てぬ相手では無い」
「あ……ひっ……」
身長二倍以上ある化け物にどうやって勝てと言うのか。思っては見るが言葉に出す余裕なんてものはない。
正確には熊では無いのだろう。熊と言うには不自然に肩から腕にかけてが膨らみあがり、そこに隆々とした筋肉が入ってるのは想像に難くない。その二足で立ち上がる姿は熊と言うよりはボディビルダーの様な佇まいを感じさせている。
ふと、今迄こちらを窺う様に構えていた化け物と目があってしまう。化け物の表情なんて全く分からないが、何と無く理解できた。嗤っている。
曰く―――『オレサマ オマエ マルカジリ』
どうやら訳の分からないまま始まった僕の第二の人生は、訳の分からないまま終わるみたいだ。
「何をしている?早く力を使え。法を展開しろ。やり方は身体が教えてくれるだろう?」
「あ……わ……」
待ってくれ、何だこれ、なんなんだこれ!
化物が殺気を持って僕に近づくに連れ、意識が驚愕から恐怖へと移り変わる。死と言う明確な未来が実感を持って近づくに連れ、他の事を考える余裕など吹き飛び、心が恐怖に完全に支配される。
死ぬ、死ぬ、殺される!いやだ、死にたくない!
怖い怖い怖い怖い助けて怖い怖い嫌だ助けて助けて怖い助けて助けて
「む?おい、聞こえぬのか。何故戦おうとせぬ」
「ひ……ひぃ……」
完全に抜けてしまった腰は言う事を聞かず、尻餅をついた体勢のまま起き上がることが出来ない。
それでも恐怖の元から少しでも離れようとズリズリと這いずるように離れる。それがどれほど無駄な行為か考える余裕もなかった。
「……愚図が。期待外れだったわ。其の儘そこで畜生の贄にでもなるがいい」
「お、おま、人を生き返らせたりでででできるんだろ……!だったらだったらあの化物を倒したりも出来るんじゃないのか!?」
「断る。可能だが貴様が死なねば次に繋がらぬ。精々楽に死ねるよう祈るがいい」
「なっ……なっ…………ヒイッ!!?」
いつの間にか完全に近づいていた化物がほんの数メートル先に居た。
あと1歩の踏込と腕の振りだけで容易く触れてしまえる距離。化物が僕の命を狩り取るのには一瞬で済む距離だ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死死死ししししし
嫌だ嫌だいやだいやいやいやお願い誰か誰か助けて下さい
殺されるお願い
「いいよ」
怖い怖い
「助けてあげる」
助けて助けて殺され殺され殺殺殺死死死……
思考が死への恐怖と命乞いで埋め尽くされる。
「ああぁ…ああああああああぁぁぁ!!!」
あぁ化物が腕を振り下げるのが見える!思わず目をふさいで衝撃に耐えようとする。無駄な事だと理解しながらも、生命の本能と言うものには逆らえない。
――バチン
嫌に耳に響く音が聞こえる。自分の体が吹っ飛んだ音だろうか。衝撃と言うものを全く感じなかった。即死と言うのはこういうものなのだろうか。
恐る恐る目を開けた僕の目に映ったものは、振り下ろした筈の腕が弾かれ不自然に折れ曲がり、呆然としている化物と、それを同じく驚愕の表情で見ている仔犬だった。
「…………え?」
「…まさか法を展開せずに力を使うとは」
「ギ、ギヤアアアアアアアアアァァァアアアアアアアアアア!!!!」
一瞬遅れて化物の絶叫が響く。遅れてきた意識に骨折の激痛が追いついたのだろう。この世のものとは思えぬ恐ろしい絶叫が辺りを震わせる。折れた部分から少し見える白いものは化物の骨だろうか。
「気が変わった。おい、汝、生き残りたいか?死にたくないか?」
「あ、あぁ…」
「為ればアレを殺せ。他に生き残る術などない」
「こ、殺すったってあんな化物、どうやって!?」
「出来なければ死ぬだけだ。それとも此処で朽ちてアレの糧となり果てるのを是とするか?」
「い、嫌だ!認めない、こんな所で死にたくない!」
「ならば我に続いて唱えよ!これが汝の法だ!正義を為す術だ!」
憎悪に燃えた化物がこちらにもう一度狙いを定め、動き出したのが見える。
恐怖に押し潰されそうになりながらも仔犬の言うとおりにする。
『――我は触れられざるもの』
「わ、われは触れられざるもの」
『嗚呼寄るな触るな近づくな。あの日の慟哭は彼方へ』
「あぁ、寄るな、触るな、近づくな。あの日の慟哭はかなたへ」
『此処は汝等の触れてよい夢に非ず』
「ここは汝等の触れてよい夢にあらず」
『「故に―――――」』
『誰我接触不叶』
『誰も 我に 触れること 叶わず』
変化はすぐに起こった
躰に力が溢れてくる
体中に真っ黒なぼろきれの様なものが、あるいは霞のようなものが纏わりつき、マントのような姿になる
同時に強い感情が溢れる
辛い、憎い、怖い、悔しい
そのどれでもあって、どれでもない感情
もっと強い感情
――――喪いたくない
――――護りたい
だから壊さないで。触れないで。
何よりも大切なものを喪いたく無いが故に―――
「あ……あぁ……うわぁあああああぁぁぁぁ!!!」
故に吹き飛べ。弾け飛べ。
それを願ったから。望んだから。
今まさに僕の命を狩り取ろうと突進してきた化物は、僕に触れる瞬間、まるでダンプトラックにでも轢かれた様に弾き飛ばされる。
一直線に公衆便所の壁に叩きつけられ、磔のような状態で一旦止まる。悲鳴をあげる暇もなく、何が起きたか分からないといった化物がうめき声をあげる。
「う……あぁ……あぁぁあぁ……」
対する僕もうめき声をあげる。頭が痛い。意識が混濁する。
あまりの強い感情に僕の心が耐え切れず、きしむ音が聞こえる様だ。
だけど、ここで気絶は出来ない。まだ気を失うわけにはいかない。
磔にされた化物を焦点の定まらない瞳で睨む。
――こいつを殺さないと。
殺さないと殺される。死ぬのは嫌だ。
ふらつきながら化物に近づくと、その分壁に押さえつける力が増えるらしい。一歩ごとに増える圧力に怯えながら化物が鳴く。胸腹部が強圧され、心臓、肺、肝臓などの重要臓器や大動脈などの大血管が破裂し、黒い、ガソリンの様な血が化物から吹き出す。
「……つぶ、れろ……」
最後の一歩を踏みながら絞り出すようにして出した僕の声は、化物の断末魔の絶叫と、その体、骨格が内臓が完全にツブされた音に掻き消える。
一瞬遅れてコンクリートでできた公衆便所の壁がひしゃげて倒壊する音を聞きながら、僕の意識は完全に途絶えた。
だから気を失った僕は知らない。悪魔の高笑いを。歓喜の絶叫を。
「くっ……クハハハ、ハハハハハハハハ!
素晴らしい!やっとだ、やっと見つけたぞ!あの子の力だ!あの子の正義だ!
嗚呼、そうだ。潰えさせぬ。終わらせぬ!あの子の望んだ夢なのだ!
ハハ、ハーッハッハッハッハ!」