第一話
――因果応報と言う言葉がある
何かを為したと言う“原因”には、“結果”と言う答えがある
善因には善果在るべくして然り、悪因には悪果在るべくして然り。
しかし世の常はそうは成らぬ。
悪が蔓延り、善を虐げ、悪が笑い、善が泣く。
そのようなものを一体どうして許容できようか。
世界の理が悪を滅ぼさぬのならば。
善を救うことをせぬのならば。
我等が裁こう。我等が救おう。
――故に正義は此処に在る。
◆◇◆◇◆◇
――人々の怒号と叫び声、子供の泣き声が響く。
道路に残されたブレーキ跡と電信柱に直撃しフロントのひしゃげたトラック、そして辺りに飛び散った鮮血が今ここで何が起きたのかを如実に語っていた。今、目の前で善因を為し、死にゆく青年が一人。幼い少女の身代わりになりトラックに轢かれたのだ。四肢は人体では有りえぬ方向に折れ曲がり、明らかに致死量を超える血液で出来た水溜りが広がっている。まだ息はあるようだが、誰の目から見ても手遅れなのは確実だ。彼は確実に命を落とすだろう。しかし、その善因により救われた命がある。
その行いは正しく正義と呼べるものに他ならない。
――思わず感嘆の言葉が洩れた。
「……見事。あの魂こそあの子の器に相応しい」
◆◇◆◇◆◇
唐突だが、自己紹介をしよう。僕の名前は竜胆 悠 都内の大手食品メーカーに勤務する22歳の男だ。
家族構成はそれなりの企業のサラリーマンである父と専業主婦の母、大学生になったばかりの妹という、至って平凡な中流家庭。いや、このご時世で子供2人を大学に行かせてくれて、更に母が専業主婦でいられる辺り贅沢と言えるかもしれない。
かく言う僕は学生という身分を卒業し、はや4ヶ月と言った所で社会人と言うものがやっと理解し始めた青二才。子供の頃女の子に間違われてた程の中性的な顔立ちと、男女どちらとも取れる名前が少しコンプレックスな程度の至って平凡な人間だ。
いや、あったはずだ。少なくとも僕の22年分の記憶にはそう記録されている。
だとしたらこれは一体全体どういうことなのだろう。
目の前の大きな鏡に映るのは、年齢10代半ばの美少女。真っ青な顔色と引きつった泣き笑いの表情は、今まさに自分がそうしようとしている表情。つまりは目の前の少女が僕の姿と言うことだ。
いや、待て。
おかしい。
何かがおかしい。
おかしくなったのは目の前の鏡か、僕の頭なのかは分からないが、何かがおかしい。僕としては前者がおかしくなったと信じたいが、公衆便所の男子トイレで鏡と険しい顔で睨めっこしている少女を見て仰天しているおっさんは正常に映し出していたので、恐らくは後者がおかしくなってしまったのだろう。
そうだ、そう考えると自分の顔もこんな顔だった気がしてくる。
鏡をもう一度見直してその容姿をもう一度確認してみる。栗色の髪は腰まで伸びており、恐ろしくきめ細かくサラサラの絹糸のような髪だ。丁度耳のあたりでくせっ毛のように跳ねた横髪が子犬の耳のようであどけなさを出している。眼は大きくぱっちりとしており、長い睫毛が彩っている。肌は透明感があり白く瑞々しく、この年くらいにありがちなニキビなどは影も形も見えない。
紛れもない美少女だ。一目見れば中々忘れられないだろう。もし僕がロリコンならばいろいろ危なかった程の美少女だ。
しかし全くこれっぽっちも見たことのない顔だ。こんな可愛い子みたらそうそう忘れないだろう。いくら女顔で小学時代に女男と弄られたと言っても、幾ら何でもここまでではない。そもそも記憶の中の自分の顔と全くこれっぽっちもパーツの一欠片さえも面影は無い。
おかしい、何かが……
「お、おじょうちゃん、ここは、男子トイレだよ?」
思考が意味の無い無限ループに陥りかけていると、先ほどのおっさんから声をかけられた。スーツは草臥れ、不健康そうな肥満体と、かなり寂しくなった頭部が物悲しい。そういえばここは公衆便所の男子トイレだったということを思い出す。何時もの習慣でつい男子トイレに入ってしまったが、見た目美少女が男子トイレに入っていれば誰でも不審に思うだろう。要らぬ心配をかけたなと思い、謝ろうと口に出す前に届いた言葉を聞いて一転、自分の身の心配をすることになる。
「それともこんなとこで立っているって事は、グフ、そういう…」
「――――っ!」
好色そうなニヤけ顔を見た瞬間、えも言われぬ怖気を感じる。トイレから飛出し、兎にも角にも走りだした。『生理的に無理』とはよく言うが、まさに自分が体験するとは思わなかった。これは想像以上にキツい。鳥肌の立った両腕を抱きかかえるようにして嫌悪の元から距離を取るべく足を動かす。
10分程走っただろうか。とりあえず息と気持ちを落ち着かせるために周りに誰もいない、適当なベンチに腰を下ろす。既に調べてはいるが、もう一度ポケットを探して見るが、携帯電話も財布も無いので身元を確認する術が無い。そもそも身のみ着のままと言った出で立ちで、小物の一つすら身につけていなかった。
途方に暮れて居るとダンディな男性の声で話しかけられる。
「新しい躰の具合はどうだ?」
「………へっ?」
急に声を掛けられ、吃驚して声の掛かった方を見ると、白いモフモフ…… もとい子犬がいた。
「か、かわいい!触って大丈夫かな」
おそるおそる手を伸ばしても子犬は佇んだままだった。
「お~~、モフモフだ~」
「……質問に答えて貰いたいのだが」
「……!?」
触れても大人しくしている子犬の頭を撫でて幸せな気分に浸るとまた先ほどの声が聞こえた。辺りを見回しても人の気配はまるでないし、聞き間違えで無ければこの目の前の子犬から発生したようにみえた。
どうやら本格的に頭がおかしくなってしまったらしい。
「犬が……喋った……?」
「始めまして、と言うべきか。我は拒絶の魔獣。汝を黄泉より引き摺り出し、形成したものだ。
契約に従い、世の義に仇なす害悪共を鏖にする輩となるがいい」
「お、おぅ……」
流れるように意味の分からない事を仰る御犬様に思わずたじろいでしまい、生返事を返すと、深い溜息をつかれてしまう。しかも頭を振ると言うオマケ付き。
うわ、なんだろう、すっごいムカつく。
「汝、何も理解しておらぬだろう……答えてやるから何でも質問してくるが良い」
「えーっと、もう既に色々理解の範疇を超えてるんだけど、この状況は君のせいって事なのかな?」
可愛い見た目に反して随分重苦しくて難解な言葉を偉そうにしながら話すワンコに質問を投げかける。
何と無く人間としての尊厳が傷つけられてる気がする。
「『この状況』が何を指すかに寄るが、汝が今此処に立って息をしている事を指すのならば、是と答えよう」
ぜ……?ぜ……是?つまりYesとてことか
「次、僕は記憶の中では22歳の男だった気がするんだけど、今はどう見ても14,5歳の女の子に見えるけど……?」
「肯定だ。汝は生前竜胆悠と言う齢22の男性だった」
あれ、普通に聞き流しかけたが、何やら物騒な単語が…
「せ、生前って、どう言う事だ…?そういえばさっきも黄泉とか…」
「其の儘の意味だが?汝は事故でその命を落とした。そして我によって黄泉返りを果たした。其れだけの事」
「なんだよ……それ……」
「む、覚えておらぬのか?このような場合は記憶障害が出るという事か……?」
眩暈がした。頭の中で何かがグルグル回っている錯覚を受ける。到底理解も納得も出来るはずの無い内容なのに心の何処かで納得している自分がいる。其れがどうしようもなく恐ろしい。まるで他人が自分の頭の中で勝手に理解をさせてるみたいな感覚だ。死んだ、死んだって?誰が?僕が?フラッシュバックの様に記憶が浮かび上がる。
――ボールを追いかけて車道に出る少女。
――それに気付いていないのか、速度を落とさずに近づく4t程度のトラック。
――視界にあるのは焼けるようなアスファルトを染める紅く、紅い……
――僕の、血。
「どう、して、そんな事、を……?」
込み上げる吐気を耐えながら次の質問をする。
「気にいったのだよ。見ず知らずの他人の為に命を投げ出し、救う様を。
故に、其の儘死なすのは惜しいと思った。其れだけの事」
「お前、なんなんだ、何者なんだ?簡単に人を
生き返らせるとか、そんな神様みたいな事……」
怖い、恐い、目の前に居るのは『何だ』?
どうして犬が喋っている?
どうして僕はそれを受け入れる事が出来ている……?
考えるまでもなく、これは異常事態だ。そのどれもが到底許容できるような事象を超えている。こいつの言葉を信じるのなら、僕は一度死んで、こいつに甦させられたと?そんな漫画や小説みたいなことが事が有りえる筈が無い。
「先程の“拒絶の魔獣”…… では不服かね?汝に理解できるような表現を持ち得ておらぬが……
ふむ、神か。言い得て妙だな。為れば我は天使かヴァルキュリアと言った処だ」
何だよそれ。全くわかんねえよ。
次の説明を待つが、出てくる様子はない。どうやらそれ以上言う事は無いということらしい。
「ど、どうして女の子の姿なんだ?どうせなら元の姿に…」
「……男はコストがかかりすぎる故好かぬ。ましてや成人男性など……」
不機嫌そうにそっぽ向く。どうやらケチったらしい。意外にマヌケな奴なのかもしれないと思うと幾分か気持ちに余裕が出来た。
「は、ハハ…… 目的は何なんだ?僕に何を期待してるってんだ?」
「先程天使かヴァルキュリアと言っただろう?
その我によって黄泉返りし汝は謂わばエインフェリア。自ずとその役割も見えて来よう」
エインフェリアは確か、北欧神話に登場する、戦死した英雄のことだ。戦場で死した英雄はヴァルキュリアによってヴァルハラに招かれ、死してもなお何度も蘇り、永久に戦い続けるという。
随分遠回しな言い方だが、理解出来た。つまりこいつは、僕を……
「僕に、戦えって言うのかよ……一体、何と……?」
ドオオオオオオオオオオオオオン
そう言った瞬間、まるでダイナマイトが爆発したかのような爆音が鳴り響いた。叩きつける様な強風と砂塵に思わず尻餅をつく。
「え……えっ……?」
砂埃の中から立ち上がったのは身長3mはありそうな巨大な熊の……真っ黒な熊のような、だが、明らかに熊とは違う、化物だった。まるで墨で塗りつぶしたような体毛から二つだけ除く赤い、紅い双眸は殺気を隠すことなくギラつかせ、僕を見据えていた。
この状況で先程と全く変らず……いや、寧ろ何処か楽しそうに目の前の自称天使は口を開く。
「あぁ、丁度いい。お出ましか」
「征くぞ、あれが敵だ。悪だ」
「さぁ、正義を、始めようか」
そういって仔犬は嗤った。
その笑顔は、天使とは程遠く。
悪魔の笑みを浮かべていた。
初小説。エター成らないよう頑張ろう。