第3話
――己の理解の範疇を超えた現象、若しくは存在と邂逅した時、その人物が示す反応とはどういうものだろう。
ただ呆然とするか、現実から目を背けるか、一目散に逃げるか、果敢に立ち向かうか……。
いずれにせよ、導き出される結果は単純だ。……と思う。
「な……なんだよこいつ……」
つんつんと跳ねた特徴的な赤髪の少年は手に持つ剣を地面に落とし、魂が抜けたような表情で呟いた。
金属の乾いた音が、虚しく空気を震わせる。
危機的状況の中であっても虚勢だけは保っていた少年だが、目の前に鎮座する化け物が相手ではさすがに如何ともし難いらしい。
まぁしゃーないしゃーない。
「ブレイズドラゴンか。美味しそうな臭いに釣られて、飛んできたワケですね」
少年と少女の前に降り立ったのはブレイズドラゴンという竜種。名付きほどではないにせよ、それでも十分な脅威として地上に君臨している。
手がない翼竜タイプで、体格も10m前後とそれなりに大きい。赤紫の硬い鱗で全身を覆い、生半可な物理攻撃は勿論、ある程度の戦術魔法すらも跳ね返す非常に手強い存在である。
竜種は基本的に冒険者単独で挑むものではないとされているけど、一応の推奨討伐ランクはゴールドとなっている。それでも戦えるのは魔道士か魔法の心得のある魔剣士、或いは自らの殺気や闘気を剣気として扱える極一部の剣士くらい。
軍属の兵士が討伐に向かう際は、一番弱い竜種で魔道士一個小隊を含めた大隊規模の戦力で挑まなくてはならない。
まぁブレイズドラゴン自体の格付けは竜種の中じゃ中の下ってところなんだけどねー。
『グルルル……』
野太い声帯から漏れ出る、どこまでも低い唸り声。竜が醸し出す、気が遠のくような威圧感。手練れの冒険者でも顔を真っ白に変色させて、戦意を喪失するに違いない。
意図したのかはわからないけど、舌舐めずりして2人を見据えている。どうやら彼……若しくは彼女も先のレイジクリーチと同様、お腹ぺこぺこらしい。鋭くも歪で巨大な牙の間から、だらしなく涎を覗かせている。きたねーなぁ。
「……」
少女は厳しい表情のまま、鞘に収めた剣を再び抜き放つ。見事な身のこなしでピュルケー3匹を瞬殺してみせた実力者の彼女でも、眼前で自分達を睥睨している存在が強大な力を持つ竜とあっては、さすがに冷や汗は隠せないようだ。
「んーあの子1人ならギリギリ持ち堪えることはできるかもしれないけど、さすがに赤髪の少年を守りながらだと死ぬなこりゃ。それに、あんな駄作な剣でどこまで戦えるかもわからんし――お?」
食物連鎖の頂点に位置する魔物の圧倒的な存在感。それを全身に浴びながらも、赤髪の少年は落とした剣を拾って構えた。
「へぇ、立ち向かうだけの勇気はあるのか。意外と見所あるね。でも――」
震える手で持った剣一本で何とかできるほど、竜は甘い相手じゃないよ?
『――――!!!!』
ブレイズドラゴンの咆哮。耳にした生物を萎縮させ、平伏させる王者の轟に空気が振動する。絶対的強者の前では、人間など塵芥にも等しいと思い知らされるプレッシャーだ。
そして、それに応じた有象無象のピュルケーが其処彼処から集結してくる。その数、ざっと20匹は下らないだろう。
まるで下僕を従えた王族の凱旋のようで、苦笑しか出てこない。いやぁ、強者と自覚してる証拠だね、あの仕草は。実に気に入らない。
そんなことを思っていたら、ブレイズドラゴンを前にして少年と少女が喧嘩を始めた。
「――ここは私が抑えるから、あなたは早く逃げて!!」
「な、何言ってんだよ! お前が強いのはさっき見たから知ってるけど、いくらなんでもこの数を相手に闘り合うのは無謀過ぎるだろ!?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! あなたなんか一撃で――」
「そんなもん知るか! お前が残って戦うってんなら、俺も残る! このまま見殺しにはできねぇよ!」
「冗談はやめて! 邪魔なの! あなたが一緒にいたんじゃ、生き残れるものも生き残れなくなっちゃうの! さっさと消えて!!」
「く……っ!」
少年は致し方ないとして、肝心の少女にも余裕が無くなっているのは少しよろしくない事態だ。言葉もどんどん辛辣になってるし。
「――クソッ! 俺だって、やればできるんだ! うおおおおおっ!!」
「ちょっと嘘でしょ!? お願い、待って!! 止まってぇ!!」
少女の罵倒で意地になったらしい少年は、雄叫びと共に剣を振り被ってドラゴンとピュルケーの群れに突撃していく。
あーあー……自棄になっちゃってまぁ。若いねぇ。でも、見てて飽きないなホント。
「――邪魔だああああ!!!」
気迫だけなら、竜にも負けない勢いで、少年は疾走する。そんな彼に向って、ピュルケーが牙を剥くのは必然というべきか。
「どけえぇぇッ!!」
満足に刃筋も立てられていない斬撃。しかし、そんな未熟な一撃がピュルケーの首を跳ね飛ばすとは、当の本人も予期していなかっただろう。まぁ見た限り7割はビギナーズラックなんだけどね。でも、残りの三割のうち一割は剣の性能。もう二割は……。
「えっ!? 今の動きって――」
少年が自分の動きをトレースしたことを一目で看破した少女は、驚愕に眉を寄せた。
「……や、やったのか? 俺が、コイツを?」
目を見開き、信じられないといった表情で己の剣を凝視する少年。はいはい喜ぶのはいいけど、魔物は空気読んでくれるほどお利口さんじゃないぜ?
『――――!!!!』
あぁほら、小賢しい真似をされてお殿様が怒ってらっしゃる。
咆哮の後、ブレイズドラゴンが少年を丸呑みにしようと大口を開けて迫る。大迫力だ。
「危ないっ!!」
「は……?」
その瞬間、我に返った少女が少年を突き飛ばし、庇う様に立ち塞がった。結末は……まぁ言わなくても予想はつくだろう。
それを避ける為に、俺はここで一つ手を貸すことにした。
「――ッ!!」
殺意と殺気を混ぜて、相手を"殺した"というイメージを連想する。そのイメージを視界を通してブレイズドラゴンに直接に叩き込んだ。
『ギャオンッ!!』
あと頭一つ分で少女の上半身を噛み千切られるといったその刹那、まるで顎をハンマーでぶん殴られたかのようにブレイズドラゴンが仰け反る。
周りを飛んでいたピュルケーもボトボトと虫の死骸のように地面へ落ちていった。
――濃密な死という剣気を視界から直接脳に焼き付けたことで、魔物共に『自分は死んだ』と錯覚させたのだ。
「「……え?」」
何が起こったのか理解できないらしく、少年と少女は口をぽかんと開けて硬直している。むぅ……この程度で我を忘れちゃうなんて、まだまだひよっこだなぁ。
今俺が用いたのは、睨んだ相手を一時的な仮死状態にさせる技。まぁ込める殺気次第では、人間くらいなら本当に殺せちゃうケド。ちょっと応用すれば、相手を俗に言う金縛りにすることもできる。
閑話休題。
「はいはい。いつまでも固まってないで、動いて動いてー。お譲ちゃんはドラゴンをエスコート、お坊ちゃんは周りの雑魚を始末してお譲ちゃんをサポート。どぅーゆーあんだーすたん?」
手を叩いて2人の子供を促す。とりあえず俺が面倒をみるべきは……両方だな、うん。
「が、餓鬼だと!? バカ野郎! こんな危ないところを1人でうろついてるんじゃねえ!」
「ここは本当に危険な場所だから、早く安全なところへ逃げて――あれ? その髪の色……」
魔物が跳梁跋扈する危険地帯で幼児が1人でうろついている事態に少年と少女は焦り覚えているようだが、それはとんだ時間の無駄である。
ていうかバカて。バカてなんだい!せっかく助けてあげたのに!失礼なお坊ちゃんだぜ、まったく。
「談笑してる暇はないよ。もうすぐドラゴン起きちゃうからね。ほらほら、急いで急いでー。時間は有効に使いなさい」
俺の言葉を証明するように、ブレイズドラゴンがゆっくりと活動を再開する。だるそうに頭を振ってるところを見ると、まだ死の夢心地からは抜け出せていないようだ。
「ほらほら、お譲ちゃんはドラゴンの気を引いて引いてー。お坊ちゃんは雑魚がお譲ちゃんに向かわないように気張って気張ってー」
少女はまだ俺の存在が気になっているようだが、それよりもまずは目の前の魔物を倒す方が大事と判断したみたいで、一足飛びにドラゴンの頭へ飛び乗る。うーん……判断が遅過ぎる。
「はあっ!」
少女は呆けているドラゴンの頭上へ一気に剣を突き立てる。しかし、なまくらな剣とドラゴン特有の強固な鱗のせいで、致命傷にはならなかった。
ただ、いい気付けにはなったみたいで、我に返ったドラゴンは怒りの形相で少女を睨む。
「こっちよ!」
この場所で暴れさせては少年の身が危ない。それを承知している少女は周囲に誰もいない場所へドラゴンを釣りつつ離れていった。
その様子を見届けたあと、俺は少年に視線を移した。
「ほれ、お坊ちゃん。君はお譲ちゃんがドラゴンと戦っている間に、周りのお掃除だ」
「お坊ちゃんじゃねぇ! 餓鬼が偉そうに指図すんなっ!」
と言いつつ、少年は地面を転がっているピュルケーの首に次々と剣を突き立てていく。根は素直な子のようだ。
そのまま半数のピュルケーを葬ったところで、残りが一斉に活動を再開する。
「うわわ!? クソッ、もう目覚めやがったのか!」
どうしてピュルケー達が地面に転がったのか、その理由も把握していない割には順応力が高い。
うーむ、やっぱりこの少年、見所あるかも。
俺は少年の戦闘に手を出すつもりはなかったので、適当な家の屋根に上ると、そこに腰を降ろして見守ることにした。
「数が多過ぎる……こんなのいったいどうやって……」
次々と身体を起こして宙へ飛んでいくピュルケーの数に脅える少年。その足がどんどん重くなっていくのが傍目から見ても丸分かりである。
「足止めちゃ駄目だよー。そのままだと、囲まれて完全に動けなくなっちゃうよー」
「でも、こんだけの数どうすれば……!?」
まだ10匹以上も残っているピュルケーを前にして、剣を構えながらも少年は狼狽する。むぅ……さすがにこれだけの数を1人で相手にするには、中堅くらいの実力者にならないと厳しいかな?
「やれやれ仕方ない。お坊ちゃん、耳を塞いでなさい」
「はぁ? ……よくわかんねぇけど、わかったよ」
「うむうむ。物分かりのいい子は好きだよ。さて――」
フラフラと頼りなく飛んでいるピュルケー達には悪いけど、この少年の礎になってもらう為に、もう少しだけ辛い目にあってもらおう。
「喝ッ!!!」
◆◆◆
街の中は酷い有様だった。無数の魔物が我が物顔で徘徊し、何の躊躇いも持たずに人を殺戮していく。民家はボロボロに破壊されて、多くの人々が躯となって果てていた。
「あのカルセイデが見る影もないなんて……」
ソーイチを送り出したあと、私と二代目も馬車を適当な場所に退避させてから、作り置きしておいた錬金兵器を持って街に入ったのだが……その惨状を目にした瞬間、言葉を失った。
「クククッ……まるで人間と魔物の戦争だな」
小人状態の二代目が、私の肩の上でくつくつと笑う。
これが彼のスタイルだっていうのは理解してはいるものの、これだけ悲惨な状況を前にして尚笑える神経には、さすがに不快感を覚える。
「二代目、魔物が一番密集してる場所を探してきなさい。私達はそこへ向かうことにする」
「了解した。では、しばしお待ちを」
私の命令に頷いた二代目は空高く飛んでいく。上空から街を観察して、魔物の動向を調べるようだ。
帰ってくるまでそう時間は掛らないとは思うけど、少しの間でも生存者を探しておこう。もしかしたら、奇跡的に一命を取り留めている人がいるかもしれない。
早速、半壊した手近な民家に駆け寄り、中の様子を窺ってみる。
「――誰かいる? いたら返事をして」
返ってくるのは静寂だけで、誰の返事もない。
その家の住人はとっくに非難した後なのか、埃だけが虚しく室内を舞っているだけで、人の気配はなかった。
気を取り直して次の民家に向かうが、そこには既に事切れた遺体しか残されておらず、その次の民家も同様だった。
「――ここも手遅れ、と」
魔物に食べられてしまったらしい夫婦と思しき男女の肉片に軽く黙祷を捧げる。
もしかしたら、この辺りには生きてる人間など残っていないのかもしれない。
……我ながら、ネガティブな思考だ。
「この街、復興は絶望的かも」
軽く辺りの様子を確認しているところへ、二代目が偵察から帰ってきた。
「戻ったぞマイロード。魔物が密集している地域を特定してきた。中央の広場だ」
「また都合のいい場所で群れてくれる……。行きましょう」
「待ってくれ、マイロード」
そう言って、民家から離れようとした私の服の裾を二代目が掴む。
「なに?」
「瓦礫の下から人の息遣いが聞こえる。どうやら子供が埋まっているようだ」
「なんですって?」
――全く気が付けなかった!
「二代目! 早く瓦礫をどうにかして、助けてあげて!」
「言われずとも」
瞬時に平均的な成人男性の大きさに変化した二代目が、魔法の構築にかかる。
もし二代目がいなかったら、私は間違いなく子供を放置して、中央の広場へ足を向けていただろう。
……夫のように気配を察知することができれば、生きてる人をちゃんと見つけてあげられるのに。大事な時に限って無能になる自分が悔しくて堪らない。
「マイロード、子供を引っ張り出してくれ」
風魔法を制御し、下にいる子供を傷つけないようにゆっくりと瓦礫を除けた二代目が叫ぶ。
私は意識を失っている子供をなんとか背負うと、急いで瓦礫から距離をとった。
救出した女の子には多少の擦り傷や切り傷があるだけで、特に目立った外傷はない。どうやら積み重なった瓦礫の隙間に運良く閉じ込めらることで、難を逃れたみたい。……よかった。
「ん、もう大丈夫」
「了解した」
私達の安全を確認した二代目は魔法の制御を手放す。
風の力で宙に浮いていた瓦礫は、力を失ったように地面へと落下した。
「この子を連れて広場へは行けない。一度、馬車まで戻りましょう」
「マイロードの体格でその子を背負うのは大変だろう。僕が代わるよ」
「お願い」
女の子を二代目に託し、今度こそ民家を出る。
さて、この子を馬車に運んで手当てするのはいいとして、問題はその後……。
二代目の背中におぶられている女の子を眺めながら、悩む。
この子の両親は、ほぼ間違いなくあの男女の遺体だろう。ということは、この子は孤児になってしまったということになる。
私も一応、二児の母親だ。子供を無責任に放置することなんてできない。ましてや、他人に任せるなど以ての外。
「ソーイチと相談しないとね……」
助けた以上は、この子の処遇についてちゃんと考えてあげないと。このままでは、我が子を置いて逝ってしまった両親も浮かばれない。
それにしても、どうして魔物の大群が突然攻めてきたのか。そこがわからない。
カルセイデは山脈に住み着いた魔物にそれこそ日常茶飯事のように襲撃されていたけど、それでもせいぜい飢えた魔物が数匹、多くて数十匹徒党を組んでやってくるくらいで、こんな街を飲み込むような群れを成して襲ってきたことはない。
それ以前に、名付きの竜が街を飛んでいるって話も解せない。名付きは確かに人類の天敵というか、単体で小国を滅ぼしかねないくらい脅威的な存在だけど、彼らは揃って賢い。テリトリーを荒らしたり、攻撃を仕掛けたりしなければ、自ら進んで人間を襲うことはあり得ないハズだ。
何故なら、人間にとって最大の脅威が竜であるように、竜にとって最大の脅威は私達人間なのだから。
種族的に見れば、確かに人類は脆弱な部類に入る。それこそ、魔物を含めた動物の中では、底辺をうろつくような身体能力しか持ち合わせていない。
故に私達人間は、その知恵を振り絞って獲物を狩り、外敵から身を守ってきた。
でも、そんな弱い人間にだって例外と呼ばれる存在はいる。私の夫だって、その例外の1人。……まぁ彼の場合は、色んな意味で例外中の例外って感じだけど。
とにかく、食物連鎖の理をまるごとひっくり返すような、比類なき戦闘力を持つ特別な存在が人間にはいるのだ。
そして、そういった例外に多くの同類が滅ぼされてきたことを、名付きの竜はよく知っている――知っている、ハズなのに。
「……今となっては考えるだけ無駄、かな」
如何様な理由があったにせよ、こうなってしまってはもうどうしようもない。皇国は国の命運を懸けて全力で討伐に臨むだろうし、名付きの竜は自らにとって害悪と見做した人類を片っ端から殺していくだろう。
結局、残るのは悲しみと憎しみだけだ。