0*プロローグ
天の川の奥には、人の世からは見えない国がある──天河界。
その都の中心で、天上の布を織り、季節や運命の糸を紡ぐ織姫。
天河界の統治者であり、星々を巡らせる重要な職務を担う彦星。
流星群の夜にだけ架かる銀橋の下、二人は出会い、恋をする。
「僕は君を、ずっと待っていた──また、恋をさせてほしい」
今度こそ、君は僕を覚えているだろうか。
七夕を舞台にした天河界に生きる者たちの運命と恋が、銀橋の光の下で紡がれていく。これは決して終わることのない──星を渡る恋のファンタジー。
七夕の夜。夜空に細い銀の糸が一本、地上へ垂れ下がる。
その光は誰の目にも見えないが、ある少女の足もとだけを照らしていた。
風が止まり、時間さえも息を潜める。
次の瞬間、少女の身体はふわりと浮かび──
光に包まれたまま、空へと吸い上げられた。
*
天の川に一陣の風が走った。
白銀の流星が一斉に、暗闇を切り裂くように輝いた。
天空の都に低く澄んだ鐘の音が響きわたる。
「……また、この時期がやってきたんだね」
牽牛府の奥深く。
青い外套をまとった彦星は、星の群れの向こうの空を見つめていた。
彼の横顔はいつもより少し緊張しているようにも、少し安堵しているようにも見える。
だが誰も、その理由を知らない。
「彦星様、宮からの知らせです。“新しい織姫”が……目覚められました」
従者が告げると、彦星は静かに目を閉じた。
「……わかっている。行こう」
表情は変わらない。ただ──
胸の奥がわずかに震えたことだけは、彼自身も隠しきれなかった。
*
織星宮の白い部屋で、少女はゆっくりと目を開けた。
見慣れない天井。見慣れない空気。
心臓がどきどきと早鐘を打つ。
「……ここ、どこ……?」
昔伽草子の中でしか見たことのない、美しい衣を身をまとった女たちは優しく微笑むが、誰も何も説明しない。
ただ淡い光に包まれた部屋の中で、少女は途方に暮れるばかりだった。
そこへ──足音がした。
扉が静かに開き、青い外套の青年が姿を現す。
その瞬間、少女は息を呑んだ。
理由はわからない。
初めて会うはずなのに、なぜか胸がざわついた。
青年は一歩近づき、穏やかな声で言う。
「初めまして。今日から君を導く者だ」
少女は困惑しながらも、その言葉に頷くしかなかった。
「……あの、私……あなたを……」
知っている気がする。
そう言いかけて、言葉が喉に詰まった。
そんなはずはない、と本能が制止した。
青年は微笑んだ。そして、かすかに呟く。
「大丈夫。ゆっくり思い出せばいい」
“何を”とは言わない。
“誰を”とも言わない。
ただ、その瞳の奥に、誰も知らない“祈り”のようなものだけが揺れていた。




