ねずみの国
昔々、さまざまな事情から深く絶望し「今夜でもう終いだな」と山奥の大きな縦穴に身投げした人がいました。
目をつむり息をギュッと止めて頭から落ちてすぐに終わる……はずでした。が、そこで終わりませんでした。
気づくとその人は、たくさんの白いネズミに囲まれていました。
あまりに大勢の群れで、果てのない蠢く白い絨毯のように見えるほどでした。
ネズミのなかのいっぴきが言いました。
「おむすびコロリンすってんころりん。もしかしておむすびを持っていませんか?」
「いいえ。わたしはなにも持っていません。でも生きるのは疲れました。もうすぐ骸になる予定ですので、その後でしたらこのように痩せていてもうしわけないのですが、いかようにも召し上がっていただいてかまいません。あなたたちの住処を荒らしてしまったせめてものお詫びです」
その人はそれだけ言うと話は終わったとばかりにその場で横になりました。
そうしていればじきに飢えて死ねるでしょう。
困ったのはネズミたちです。
おにぎりをくれる人間であれば相応の礼をして地上に返してやろうと思っていました。
なにもくれない人間も追い返してやればいいことです。
しかし、この人間はくれると言います。でも、ネズミたちは痩せた人間の骸なんていりませんでした。ほしいのはおにぎりです。でもその人間がおにぎりを持っていないことは明白でした。
見れば見るほどボロボロでやつれはて疲れている様子で、その人があげることができるのは、真実その身ひとつだけだとわかります。
はるかな昔、お釈迦さまにその身を捧げたウサギの話もあります。ネズミにとってはいらないものですが、その人間にとっては真心かもしれません。
真心を無碍にしてもいいものでしょうか。
ネズミたちは思い悩んだ末、その人が死んだのち骸をもらい受けることにしました。
そうしてその人は息を引き取りました。
次にその人が目を覚ましたとき、白くてあたたかいふわふわのものに包まれているのがわかりました。
その人はもう人ではありませんでした。
密集して白い波のようにも見えるたくさんのちいさな命でした。