まるで”お嬢様”
セーシェにとっては、今の人生は前世と比べ物にならないくらい楽しかった。前世に思い残したことなど一つもないと言い切れるくらいに。
(いや、一つ思い残しがあるな。龍義さんは今どこで何をしているのだろう。私なんて忘れて楽しく暮らしているだろうか。それだけが気がかりだ。)
(それとも、あの時溺れていた私に手を差し伸べようとしてくれたのが龍義さんなんだろうか。それとも、あれは私の都合のいい幻なんだろうか。)
この世界に生を受けてから七年、セーシェもとい雪乃が元(?)婚約者である龍義を忘れた日はなかった。今でも眠りにつくと、彼の顔が鮮明に浮かび上がってくる。寧ろ薄気味悪いくらいだ。
セーシェは龍義の影をシャンドラに重ね合わせていた。真面目で正直で、自分が名家だからといって媚び諂うような人間ではない部分が共通しているからだ。
それに、まるで両方とも運命のような出会い方をしたのも忘れてはならない。
(もしかして…龍義さんがシャンドラに転生してたりして…。ふふふ、それはないか。)
「ねぇ、シャンドラ。今日は私が見つけた秘密の場所に行かないかしら?」
珍しいセーシェからの誘いにシャンドラは深く興味を持ったようで胸に期待を膨らませてその誘いに乗った。
「もちろん!さあ、私を連れて行って王子様!」
「な、なんで私が王子様みたいに——」
「いいから、早く!」
場所も知らないはずのシャンドラに手を引かれ、セーシェはぜぇぜぇと息を切らした。
「こ、校舎の裏…。そこの草むらを…左に曲がるの。少し…止まってちょうだい…。」
シャンドラは聞く耳なしでセーシェの腕を力強く掴んだ。セーシェはもうこの際身を任せて、ずるずると引きづられて行った。
「毒性のある植物があるので、触れてはいけません!」
でかでかと赤文字で描かれた注意文をシャンドラはおどおどしながら読み進めていた。
「ねぇ、毒性のある植物があるんだって。」
「えぇ、知ってるわよ。でも触らなければ大丈夫。ほら、学園の正面口にはない美しい花々がたくさんあるの!」
草むらをかき分けて進んだ先には広大な花園が広がっていた。数色ごとに分けられたエリアで各色の多種多様な花が咲き誇っている。シャンドラはその壮観に感激を覚え、歓喜の声を上げた。
「すごい…とてもきれい…。」
その美しい景色に目も心も奪われているシャンドラを横目に、セーシェは風で揺れる髪をかき分けながら言った。
「先週、水魔法のランゲラ先生に教えてもらったの。その先生が全部ここにある花を植えたんだって…。」
「へぇ…どのぐらい時間がかかったんだろう。…で、どうして私をここに連れてきてくれたの?」
シャンドラが、にししと笑うような顔つきで首を傾げながらこちらを覗いてきた。
セーシェは一息ついた後、ゆっくりと口を開いた。
「私がお花畑を好きなのもある。でも、ここなら…誰にも話を聞かれないと思ってね。」
「どういうこと?」
「ねぇシャンドラ…異世界転生って知ってる?」
「なぁに、それ?イセカイテンセイ?知らないよ、それがどうかしたの?」
「実は私——」
花園に吹き付けた風が押し寄せ、その時、辺りにはただ風の轟音だけが響き渡った。風が鳴り止んだあと、一度の静寂が訪れた。
「ごめん。セーシェが何を言おうとしたのか、聞こえなかった。」
「…何でもないのよ。」
「ごまかさないでよ。このーっ!」
シャンドラがセーシェの背筋をわきわきと撫で出した。セーシェは思わず笑い声を上げる。
「あははっ!やめてよ、もうっ!」
そんな仲睦まじい様子を、眺める一人の黒い影が草むらの葉に映っていた。
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「シャンドラさん、ちょっといいかしら。」
シャンドラが廊下の先で振り返ると、声の主はレイラだった。レイラは不敵な笑みを浮かべながら、シャンドラに向かって馬鹿にするように手招きしてみせた。
「な、なあに?レイラさん。私に用事なの…?」
シャンドラの目にはセーシェとレイラは一見適度に会話を交わす軽い仲だと思い込んでいたため、多少の警戒はあれど過度な違和感を感じることはなかった。
「ええ、そうよ。あなたにお話があるの。今すぐに校舎裏に来てくださる?」
シャンドラはレイラに言われるがまま、校舎裏へと連れて行かれた。校舎裏に着くなり、レイラはその不敵な笑みをフッと消して真剣な面持ちに変えてみせた。
「実は…セーシェ様に関するお話なのですけど…。」
セーシェの名前が出た途端、シャンドラの顔は急に顔が明るくなった。
「セーシェ!あのセーシェの話よね?どうかしたの?」
「そうそれ!あなたのそれが原因ですわ!」
思いもよらぬ指摘にシャンドラはびくついた。身を縮め、小動物のように怯える様子を見せた。レイラは憤慨するような顔をしながら指を鋭くシャンドラに向けた。
「あなたがセーシェ様を呼び捨てするから…セーシェ様の大貴族として品格が落ちてしまいます。」
「でっ…でもセーシェは構わないって…。」
「そうやってセーシェ様の優しさにつけ入ることが邪悪だと言っているのです。あなたも私と同じ小貴族なら…どれだけセーシェ様と我々の間に身分差があるかはご存知でしょう?私たちは卑しい身分なのです。」
「そっ…それは…。」
「本当にセーシェ様の事を慕うのであれば、様をつける。適切な距離を置く。丁寧な言葉遣いで接する。何を言われても同調する…。それが小貴族に与えられた役目なのです!分かりましたね?」
レイラの言圧にシャンドラは気圧され、小さく頷いた。その反応を見るなり、レイラは元の不敵な笑みに戻ってその場を後にした。震え上がったシャンドラは、その場にへなへなと座り込んだ。
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「シャンドラ、さぁご飯を食べに行きましょう。」
「…セ、セーシェ様。そっ、そんな…。私なんか…っ!ご迷惑ですよ…。」
挙動不審なシャンドラの様子を見て、セーシェは何気なく笑いをこぼした。
「何冗談を言っているの。早く行きましょう。」
「わっ、分かりましたセーシェ様。の言うとおりに…っ。」
「シャンドラ、冗談はそこまでよ。」
「いやっ、でもっ…。私は…今まで無礼を働いて…っ!まるで対等かのようにセーシェ様と…お話をしてしまって…。」
セーシェは愕然と、そして絶望した。シャンドラが今している無害そうに振る舞う笑顔は、まさにセーシェの前世そのものだった。
鉄仮面にそのまま貼り付けたような気味の悪い笑い方。そして敬うことを盾にして、大貴族の歓心を買おうとする姿。今まで親しく思えた友人が一気に真っ黒に染まった魔物のようにすら見えた。
(——結局、あなたも他の人々と変わらないのね。シャンドラ)
セーシェはただ一言、ぼそりと呟いた。
「まるで”お嬢様”…。」
その言葉にシャンドラは喜びの色を示した。
「お嬢様!?私、そんな褒められ方した事ないです!セーシェ様、ありがとうござい——」
「もう…二度と私に話しかけないでちょうだい。」
「…え?ちょ、ちょっと!?」
意味もわからず困憊するシャンドラを尻目に、セーシェは一人で歩きだしたのだった。