悪役にでもなれるなら
雨宮雪乃は、夢を見ていた。海の中で永遠にもがき苦しむ自分を…。暗闇の中へ溶けていく自分を…。抵抗するために必死に声を出す。
「ん…!う…!」
「おぎゃあ!」
いつの間にかその声は、赤ん坊のものに置き換わっていた。
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雪乃は辺りを見回す。木製で形どられた部屋の一室、綺麗に分厚い本が並べられた本棚に書類の積み重なる机。そして…雪乃を見つめる大勢の笑顔の人々。何より全てが大きく見えたことが雪乃にとって衝撃であった。
(…は?どういうこと?私、海で溺れて死んだはずじゃ…)
すると、驚くような大きい声で雪乃の真正面にいた貴族の装いの男が宣言した。
「よぉし、この子の名はセーシェとしよう!」
そうして6年が経過した。雪乃もといセーシェはこの6年間でこの不思議な世界について教本を読み漁った。
自身の生まれについてはある程度分かった。
この世界はオルデストラと呼ばれており、ラドナーク王国という国に仕えている五大貴族の内の一つ、バロンバルグ家の現当主であるドレイク=フォン=バロンバルグ。彼こそがセーシェの父である。
そして、今セーシェが住んでいるのはバロンバルグ家の治めるアルデンブルグという海を埋め立てて生まれた領土であるということ。
(海が嫌いだと前世で恨み言を呟いたのに海の領土に生まれるとは…)
しかし、自身がなぜこの世界に転生したのかはどんな本にも記述されていなかった。
(とりあえず…私はこちらの世界でも名家に生まれてしまったということね。)
セーシェは不服そうに眉を顰めながら床に寝転がった。セーシェにとって、名家に生まれることは憂鬱でしかなかった。
転生前、雨宮雪乃は絵に描いたような”お嬢様”だった。清楚で、礼儀正しく、上品で文芸にも優れていた上で類稀なる美貌を持ち合わせていた。
しかし、それは彼女の表の顔である。裏では自分に媚び諂う全ての人間を見下し、蔑んでいた。
名家に生まれることは死ぬまで”お嬢様”の理想像に縛られることを意味する。嘘で塗り固められた自分を演じるのは吐き気を催すほどの辛さであった。
(せっかく生まれ変わることができたのに…縛られるなんて嫌!)
(私は…自分のやりたいように生きたい!それが例え、物語で描かれるような悪役令嬢だとしても!)
セーシェは転生前の無念を晴らすため、悠々自適にこの世界で生きることを誓った。
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セーシェが七つになる頃、父であるバロンバルグ卿から魔法学園への入学を言い渡された。
オルデストラには”魔法”というものが存在する。その種類は多岐に渡るのだが、この世界の身分は魔法によって階級付けられている。
この世界では、”完全修得が可能な魔法の種類”がそのまま身分に適用されている。その数は生まれつき決まっており、増えたり減ったりはいない。
平民は0〜1種類。中小貴族は1種類。バロンバルグ家のような大貴族は2種類。そして、国王の血筋は3種類の魔法を完全習得できる。
初級魔法であれば、どの種類の魔法であっても誰でも習得可能であるが、中級以上は適性がないと徐々に難易度が高くなっていき…完全習得は不可能である。
そのため、高度な呪文が使えない者は卑しい身分とされる。剣術の腕や化学知識を磨くことは望ましいとされているが、それを職業にする騎士や化学者などは身分の低い人間がなる仕事とされ、薄給であった。
現に、セーシェも生まれつき水と毒の2種類の魔法が使える。毒の魔法を使えることをバロンバルグ卿に伝えた時は、あまりいい顔はされなかったが。
「お父様…魔法学園に入学の件、承知しました。しかし、条件があります。」
セーシェは改まった態度で父親の顔色を伺った。バロンバルグ卿は何を言い出すかと不安気な顔つきをしている。
「なんだセーシェ、言ってみるがいい。」
「…もし、魔法学園で優秀な成績を収め卒業出来たのなら…私を自由の身にしてください。」
「…何を言っている。お前は私の唯一の子だ。お前が相応しい紳士を見つけ、バロンバルグ家に更なる繁栄をもたらすことが役目だろう。」
その時、セーシェの頭に、前世の父の言葉がよぎった。
「名家に生まれれば、死ぬまで名家の人間だ。名家のために良い男と出会い、名家のために死ぬまで尽くす。それがお前の使命だ。」
忘れかけていたその言葉が、再び脳を駆け巡りセーシェは軽い眩暈を起こした。
(本当に…どこの名家もこんなものなのかしら?このセリフ、前世で聞き飽きたわよ…)
今すぐにでも突っぱねてやりたい気分だったが、セーシェは一呼吸置いたあと
「承知しました。先ほどの条件はお忘れください。では、失礼します。」
と言い、バロンバルグ卿の御前から退いた。
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バロンバルグ家専属の馬車に揺られ、アルベンブルグの中心地にある大規模な魔法学園「アルベンブルグ魔法学園」にセーシェは着いた。
上品なバッグを前で両手に持ち、コツコツと足音を鳴らしながら馬車の階段を降りる。目の前に広がるのは花園で造られたレンガ道の先にある巨大校舎であった。青を基調とした美しいデザインが特徴的だ。
アルベンブルグは海を埋め立てた土地であるが、故に塩害が発生しやすく、農作に向いていないことから魔法技術の発展が目覚ましかった歴史がある。
そのため、アルベンブルグ魔法学園は全世界から身分を問わず魔法が使える者が多く集うのだ。
「身分問わず色んな子供達が混じるんだもの…きっと前世よりも自由に生きられるはずよ!」
そんなセーシェの切なる願いは瞬時にして打ち砕かれることとなる。入学当日から、セーシェの席の周りには人だかりが絶えなかった。
よく考えれば当たり前である。セーシェはアルベンブルグを治める領主の娘だからだ。中小家族や平民がセーシェに興味を持つのも、無理はなかった。
(なんなの…本当に。私はもう”お嬢様”を演じることはやめたいの!内なる私を表に出したいの!)
「セーシェ様、私に何かできることはないでしょうか!」
「セーシェ様、僕がおやつを買ってきます!」
人だかりが減る様子もない。セーシェはあまりの気味悪さに嫌気が差して思わず席を立ち上がり廊下へと駆け出した。
(拒絶したいのに…なんで?どうしてできないの?)
セーシェには”お嬢様”が染み付いていた。癇癪を起こさず、笑顔で相手の言葉に耳を貸し、上品に振る舞う。セーシェが拒絶することとは、まるで真反対だった。
セーシェは廊下を走ることをやめず、突っ走った。途中で教師に怒られたような気もしたが止まることなく曲がり角の所までやってきた。
その刹那、奇遇にも曲がり角から一人の少女が飛び出してきた。二人はぶつかり、同時に声を上げた。
「「いててっ…!」」
セーシェは尻餅を付いたが、すぐに立ち上がると少女の手を取って言った。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「わっ、私こそごめんなさいっ!」
少女は自信なさげな顔つきでセーシェの顔を見上げた。
「あなた、お名前は?」
「…シャンドラ。シャンドラ=キーリエ=ネブローンです。こっ、この領地の…弱小貴族ですっ!」
二人の少女は、お互いの目を見つめ合いながら静かに、運命というものを感じていた。