模様
コンビニエンスストアの窓ガラスに描かれている模様に、私は憧れたことがある。
何か、この模様に意味はあるのか。あったとしても、なかったとしても、私はこれになりたいと願う。他人の人生に彩りを与える訳でも無く、一目見ても、『模様である』といった以外のなんの感情も抱かないものに、なりたかった。
この先、何かいい事がこの人生であるのだろうか。いつもふとした瞬間に考えてしまう。まだ高校3年生、未来ある時期なのに、こんな事を考えるのはおかしいと両親から言われたこともある。いやいや、未来があるから不安なのだと大声出してしまいたくなる。活気のよい時代を生きた世代である両親が羨ましい。これからを生きつづけると、幸せなことよりも辛いことの方が多いのではないか。快楽よりも、苦痛の方が多いのではないか。…そんな人生ならやめてしまいたい。いや、そもそも始まっていなければよかったのに。だからこそ、無機物や意味の無いように見えるものに憧れるのかもしれない。
さて、話を変えようか。君は、出入り口について考えたことはあるだろうか。コンビニエンスストアをまた例にして考えても、自動ドアが出口の象徴で、入退店時にはピロピロと音がなる。少なくとも、窓ガラスの模様よりも目立っており、重要だ。そして、役に立っている。
私は模様になりたかった。しかし残念なことに、私は自由にどの世界へも行くことができる、まさに出入り口の様な能力を得てしまった。まあ、他の世界でのうのうと生きていく自信のない不器用な私にはぴったりだったのかもしれない。
あのことは唐突だった。8月10日、いつもと違う道で高校から自宅へ向かう時、妙な日差しを目にした。綺麗な緑が風にそよぐ。傾斜がきついカーブを徒歩で上がり、辺りを見回してみるが、誰もいない。そこには古い神社のような、小さな小屋があった。周りは木で囲われており、風が吹くのに合わせ葉が踊っている。
そっと引き戸を開ける。少しつっかかるようで開けにくい。ぐっと力を入れ、思いっきり開けた。壊れてもいいと思ってしまった。何故そこまでしてこの小屋に入りたかったのかはわからない。その時はそこにとても惹かれていたとしか言いようがない。
入ってみると、埃まみれではあるが、壺や掛け軸、農作業用の道具などが大切にしまわれていた。私はゆっくり歩きだし、物色し始めた。